「その1」


「「TVLIFE」の謎」(2000/8/31UP)

 すっかり悩んでしまった。私の愛読している「TVLIFE」は 他誌と比べて、ドラマに力を入れていて、ドラマ好きの私には合っていると 思う。それなのに、それなのに。
なぜか愛するユースケ主演の「花村大介」だけが特集されていない。偶然じゃない。2号連続で載ってないんだから。 最終回特集の記事にも姿なし。トホホ・・・。
 「なぜだ〜、なぜなんだ〜!」と叫んだところで私の叫びは届くわけもなし。 ドラマの視聴率が異常に悪い・・・なんてことはない。 同業他誌では2誌もユースケが表紙を飾っているし、 「TVぴあ」ではランキング6位につけているのだから、悪くはないと思う。
あぁ、それなのに、それなのに。なのである。
 私はこの事象について大胆にも仮説を試みた。

 1)番組スタッフと雑誌の間に諍いがあった
 なんだろ。セクハラとか、セクハラとか、セクハラとか。

 2)出演者と雑誌の間に諍いがあった。
 はてさて、なんだろ。セクハラとか、セクハラとか、セクハラとか。

 3)番組の存在が忘れられてる
 さ、さすがにそれはないだろう・・・う?

 2週間以上も続く悩みに答えはでない。
 でも、でも、もしかすると?いうヒント(!?)らしき記述があった。 「TVLIFE」のP21。「関西テレビ枠の火10を別にすると・・・」 とある。そう、「花村大介」は火10。もし、関テレが関係するのだとすると これまでの火10枠も「TVLIFE」には載らなかったと推測される。 う〜ん、でも覚えてないんだなぁ。 それに関テレだから、何だというのだろう。素人にはさっぱりわかんない。 誰か教えてくれ〜。


「大好きな人々へ贈る言葉」(2000/8/20UP)

 出典の思い出せない言葉。新聞?本?どこで見たのか思い出せないのだけれど 何日か前、自転車に乗っている時に急に思い出した。

 「世界はときどき美しい。」

 私も本当にそう思う。つらいことも悲しいこともあるけど、 ときどきは世界が微笑みかけてくれる瞬間がある。 その時が来るのを、一緒に待とうね。


「お芝居2本」(2000/8/20UP)

 扉座「まほうつかいのでし」について書こうと思ったけど、キャラメルの 「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」で泣きすぎて、色々考えてたことが飛んでしまった。 「まほう・・・」の方は扉座の中では傍流の作品なのだそうで、扉座初見の私としては 何と比較することもできない。それでも十分面白かったし、また観に行きたいと思えた。

 本当はそのお芝居を観て自分が感じたこと、考えの転がっていった先を書ければよいの だけれど、そういうことはうまく言えなくて、そのかわりに照明だとか舞台美術 だとかそういう周辺のことを述べてしまう。自分に自信がないんだなって思う。 名前や評判、他人の視線に惑わされずにいたい。本当にそう思うんだけれど・・・。
(と言い訳をしながら、感想をば。汚い奴<私)

 「まほう・・・」では、「この世界に自分が必要とされたい」という気持ちが 一つの意思決定のファクターになっているのだけれど、果たして「世界」にそんな期待を するものかしら・・・と私は思う。何かに必要とされているから生きている。私は そういうのがすごく苦手だ。 確かに、この世の全てから見放されたような時、そんな気持ちにもなる。 わかるけれど、わかりたくないなぁ。
 主人公は、「自分を必要としない世界」を終わらせてしまおうと3回だけ使える魔法の3回目を使う。 でも、それはなしえなかった。劇中で彼は「魔法はその前に使い終わっていたのかもしれない。」 というのだけれど、最後に別の奇跡が起こる。 それは魔法かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
 私はそれが最後の魔法だったのだと思う。彼が心の底から望んでいたのは 世界を終わらせることじゃなかったのだと思う。そう思いたいなぁ。物語に救いを求めるのは くだらないことかもしれないけど。

 「カレッジ・・・」のテーマは家族。私が一生追っかけ続けるであろうテーマ。 何度も出てくる言葉「(死んでしまっては)肩を叩くこともできない、がんばれって背中を押すことも できない」を聴く度に涙がとまらなくなる。短いかもしれない自分の人生。 ごまかして生きてたらもったいないと思った。

 だらだらと書いたけど、やっぱりまとまらない。 後日削除の可能性あり。


「体を動かす」(2000/8/8UP)

 何日も前から、ずっと楽しみにしてた。 たった10分くらいだったけど、子どもの頃に戻ったみたい。 キャッチボール、楽しかったよ。 付き合ってくれて、ありがとね。ぶりちゃん。


「想像力をかきたてるもの」(2000/8/3UP)

 京浜急行線沿線にある、かなり古びた感じのペットショップ。 ペットショップと同じ軒下にある「鳥獣肉店」


「異文化交流」(2000/8/1UP)

〜エピソード1「ある職場でのこと」;Aさん(50代男性)〜

 Eさんはお客様にお出しする用として麦茶を作っている。職場の人も飲んでいる。 (遠慮している人もいる。)急にお客様が見えても慌てないで済むように、 大きな瓶に2本作っている。片方が空になると、お湯を沸かして作る。

 Eさんの告白;「その麦茶が、何故か2本同時進行で減っていくんです。普通、量の少ない方(先に作った方)から 減っていくと思うんですけど。今年に入ってからずっとそうなんです。」
 古い方から飲まないと、腐りやすいものだから心配だし、片方を空にしないと麦茶を作れないし、 困ってしまうのだという。
 「例えば2本同じ種類のジュースで、蓋の開いているもの(少し減っている)と、 開いてないもの(減っていない)が入っていたら、蓋の開いているものから 飲むと思うんですけど。」とEさん。

 ある日Eさんは、近くにいたAさんに「ちょっときいて下さいよ〜。」と世間話のつもりで そのことを言った。すると

「普通、量が同じくらいになるように飲んでいくんじゃないの?」

とAさんに真顔で返されてしまった。何のために・・・。
 「麦茶均等減り」の犯人はAさんだった。いいひとなんだけどなぁ。

 #私も、スーパーで卵を買う時、後ろから日付の新しいものをとるので あまり他人のことは言えないかも・・・。


  〜エピソード2「これもある職場でのこと」;Bさん(50代男性既婚)〜

 これもEさんの職場のお話。Bさんは7月から勤務割の担当になった。四半期毎に勤務を割り振り、 残業の当番も割り当てる。前任者と違い、Bさんは「残業当番は個人の都合なんか考えず に一度決めた順番どおりにしましょう。」という主張の持ち主だった。

 ふと見ると、9月分の残業の当番表が一日抜けていた。 さて、その分を誰にやってもらうか決めなければならない。抜けていた日を 課長が受け持つことになり、課長が受け持つはずだった日の当番を誰かが埋めることに なった。順番でいけばBさんのはず。
 ところがBさん、

「Cさんにやってもらいましょう。」

と発言。
 ダンスだの、漫画喫茶だの、遊びに忙しいBさん。金曜日の残業はしたくないのだ。 Cさん、30代前半で独身。また、出会いのチャンスが少なくなるではないか。 7月からの残業当番表をみると、順番どおりならBさんが残業に当たっているはずの金曜日は 全てCさんに入れ替えられていた。
 ちなみに、Bさん。決してEさんには頼まない。人を見る目があるというか・・・。 いいひとなんだけどなぁ。


〜エピソード3「ある二人のこと」;極々身近なDさん(20代男性)〜

 それは土曜日の掃除中の出来事だった。Eさんは驚いた。
「掃除をする時って、家具を拭いたりして埃を落とすものなんじゃないの?」

そこで、Dさん。

「それって大掃除の時だけじゃないの?」


 世の中は異文化の交流に満ち満ちている。


「横断幕」(2000/7/31UP)

 構想約2年、作業1日半で横断幕を作った。不器用な私は、アクリル絵の具を 丁寧に塗り続ける人達を見守る(響きが甘いか?)係になってしまった。
 今、うちにはその横断幕がまるで洗濯物のように干してある。 今日一日、私はこの横断幕をみつめて生活をした。
 昼ご飯を食べて横になった時、「ロ」という黄色い文字を見て はっとした。デザインをする時、太さのある字体がなくて仕方なしに丸っぽい字体を選んだ。

 特徴のある左上の開いたカタカナの「ろ」。

 それは紛れもなく、私の大好きな「彼」の横断幕と同じ文字だった。


「病院」(2000/7/24UP)

 やっと病院通いが終わった。もう来なくても良いと言われた。 月1回程度の通院とはいえ、本当に苦痛だった。特に内診は最悪だった。 大きな病院では待ち時間が異常に長い。その間、私は本を読むか、考え事をしていた。
 自分の病気がどんなものかわからなくて不安な時も、鷺沢萌のエッセイを読んだら 楽しい気持ちになれた。入院中は、辻仁成を読んで痛みをやり過ごした。 病院へ行く前の日は、図書館で文庫本を何冊か借りる習慣がついた。 たくさんの本に出逢えて、支えられた。
 今日は1冊も本を持っていかなかった。カバちゃんの宝塚記念の時のことを 思い出したり、書き出したりしながら、ぼーっと病院の廊下を眺めていた。

「何か変わったことがあったら、来て下さい。」

と言われ、ほんとに嬉しかった。診察室から会計窓口までの間の階段に目を遣る。 そこには地下へ降りる階段がある。そこを降りると、テレビカードや飲み物の置いてある売店だ。 入院するまで、私は「ここの病院には売店がないのだ。」と思っていた。 やけに明るいピンク色の壁。配管がむき出しの天井。
 心配してくれた人達もいた。本当にありがたかった。本当に不安だった。 全てがもう随分と昔のことのような気がする。


「愛読書」(2000/7/23UP)

 夏が来て、私は鬱の時期に突入した。最近、わけも無く気持ちが沈む。 軽い鬱気分の時は、掃除と料理が効果的だ。料理は特に刻みものが集中できて よい。部屋がきれいになり、料理が出来上がった頃には大抵すっきりしてる。 気心の知れた友と話をするのもよい。
 でも、もっとブルーな時は一人でごろごろと漫画を読む。 私の愛読書、「マスターキートン」。ほとんど細部の台詞まで頭に入ってしまいそうなほど 繰り返し読んでいて、いつも同じ所で泣いてしまう。自分のことではあまり泣けないのに、 本や映画や漫画なら泣けてしまう私にとって「涙を流す」という行為が心の健康のために 必要らしい。今はビデオレンタルでキートンのアニメも借りてきている。 TV放映分2話に新作1話の構成で、原作にいくつか手を加えながらも、その変更が 非常に良心的。「マスターキートン」という作品を愛している人達によって、作られている ことが伝わってくる。それがまた嬉しい。
 人間の持っている素晴らしい可能性や良心を本当は信じたいと思っている私の背中を 押してくれる。大好きな作品だ。


ミーハーコレクションchap.1「ユースケ・サンタマリア」(2000/7/10UP)

 彼の主演のドラマが始まって、楽しみが増えた。 私は彼を密かに「犬男」と呼んでいる。理由は簡単。顔も(存在も) 犬っぽいから。お世辞にも抜け目のなさそうな顔とは言えないし、 得意になって嬉しそうな顔も、失敗して所在無さ気な顔も犬っぽい。 好きな人に誉めて欲しくて、一生懸命やってるのにはた迷惑だったり するのもまた、犬っぽい。
 ああいう顔はほんとに得だわ。とりたててハンサムではないのに 許したくなるもん。見栄っ張りも強がりも「しょ〜がないなぁ。」と。 ハンサムではないけど、彼の顔が私は好きだ。 もてる人が全てハンサムとは限らない。
 男の人はユースケに嫉妬しないのかしら? キムタクや反町くんには最初からなれっこないけど、ユースケなら なれそうで、却ってそれがジェラシーになったりしないのかしら?


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