クリスマスの朝に

(1997年)

1997年12月25日

クリスマスは何の日なのか知っていますか?バレンタインデーはチョコレートメーカの陰謀が成功した例ですが、クリスマスはケーキ屋やゲームメーカーが作ったイベントの日ではありませんよ。数年前まではホテルの陰謀かと思えるようなこともありましたが、ホテルが作った日でもありません。

クリスマスというのはイエス・キリストの誕生日ですよ。知っていました?(笑)

日本人全体にアンケートを取ったら、キリスト教と何かの関係はありそうだけれど、実際には何の日か知らない人が3,4割はいるような気がします。

イエスの「生まれた日」と言いましたが、これは正確にわかっているわけではありません。
実際のところ、イエスの生まれた日はわかっていません。3世紀末までは、クリスマスは1月6日であったり、3月28日、4月29日、5月20日、4月2日など様々でした。

イエスの生まれた日がわからないということに関しては、初期の教会ですら、さして不都合を感じていなかったのです。と言うのは、イエスがこの地上に現れた日を特に祝わねばならない必要性を感じていなかったからです。初期の教会にとっては、キリストの「死と復活」が、キリストの受肉(誕生)よりはるかに大きな関心事でした。しかし、4世紀頃からは、現在の12月25日をキリストの降臨の日として定着したようです。

昨晩、近所の教会で開かれたクリスマスミサに行ってきました。私はクリスチャンではありませんが、普段、汚れきった私のような人間でも、年に一度くらい、厳粛な雰囲気にひたるのも悪くありません。正月に神社に行くのと同じ気分です。

X'mas

ミサの後、飲み過ぎて、まだ少しアルコールが残っているのですが、少しばかり清浄な雰囲気が残っている間に、私の好きなマイスター・エックハルトの言葉を紹介しましょう。彼が昔(13世紀)、クリスマスの時、ドイツ語でおこなった説教です。

長いお説教ですので全文引用はしませんが、要点は、「キリストはいつ、どこで生まれるのか」ということです。

「各瞬間ごとに魂は生むからである」

「父の本性は(des vaters wesen)は、子を生むことであり、子の本性(des sunes wesen)は、わたしが彼のうちに、彼にならって生まれることである」

つまり、「いつ」というのは「今、この瞬間瞬間に生まれ続けている」のであり、「どこ」というのは「私の魂の中」です。

イエスが、約2,000年前に、遠く離れたパレスチナで生まれただけの者であるのなら、そのような者が、現在の私と何の関係があるのか。そのようなものが私に何らかの影響を及ぼすことなどできるはずもない。イエスはこの瞬間にも一人一人の魂の中に生まれ続けていることに意味があるのだということです。

このような意味では、クリスマスを12月25日の1日だけに限定する必要はありません。毎日がクリスマスなのです。


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