進化する映像

影絵からマルチメディアへの民俗学

<写す側の責任、写される側の決断>

 

進化する映像

2000年7月22日


大阪の万博公園内にある国立民俗学博物館で、「影絵からマルチメディアへの民俗学・進化する映像」と題した特別展が開催されている。 <2000年7月20日(木)−11月21日(火)>

1830年代、残像を利用することで、紙に描いた絵が動いているように見える玩具が考案された。ひとコマずつ描かれた絵をパラパラとはじくものや、細いスリットからのぞいて見ることで残像を作り出すものなどがある。現在のアニメやインターネットでよく見かける「動画GIF」にしても、基本的な原理は同じである。

エジソンが発明したキネトスコープと呼ばれるものは、これをもう少し長時間見られるようにしたもので、コインを入れると30秒間程度、動く画像を見ることができる。これは私が小学校の低学年あたりまで、デパートの屋上に置いてあった。大きな双眼鏡などと並んで置いてあってので、私も行くたびにこれをのぞいていた。一回10円程度だったのだろうか。

博物館に展示されている装置を、実際に子供の頃見たというと、マジェイアというのは本当は100歳くらいいっているんじゃないかと思うかも知れないが、まだそこまでは行っていない。

民博の会場では、このような装置や、その他の道具類を実際に手にとって試してみることができる。

もう少し大がかりなものでは、弁士がつき、スクリーンに映した絵を動かしながらストーリーを話し、上映する実演もやってくれた。(この実演は7月30日まで)

これを見せる劇場、テアトル・オプティクが1890年代初頭から1900年までパリにあった。1900年に入り、絵ではなく、実際の写真を動かしてみせる劇場が作られると急激に人気がなくなったが、それまでの8年間に、約50万人を越える観客が見に来たそうだ。

1900年になり、世界各地の異民族の風俗習慣を写真に撮り、動く映像を見せる劇場やカフェができ、そのようなカフェも会場の中に再現されていた。

二階の展示場では、人類史上、初めて動く映像に撮られた人々が、数十台のモニターで放映されていた。ほとんどの映像が1890年代に撮影されたものである。アフリカの原住民、戦いの場面、京都の八坂神社の前を行き交う人々、扇子を持って舞って見せている芸者風の女性、その他、数多くの人が写っている。ここに写っている人たちは、自分の動く画像を見ていないだろう。

撮影されてから100年以上経っているので、ここに写っている人はもう誰も生きてはいないとは思うが、もしその人がこの映像を見たらどう思うのだろう。自分の姿が、100年後、日本の博物館でみんなに見られていると知ったら、どんな気がするものなのか、そちらのほうに関心が向いてしまう。

10年ほど前、神戸にあったビルの壁に、パリのオープンカフェの写真が大きく引き伸ばされ、貼ってあった。壁一面を使った巨大なものである。コーヒーを飲んだり、談笑している人の顔が、はっきりと写っている。写っている人たちは、この写真が撮られるとき気がつかなかったのかもしれない。たとえ気がついていたとしても、カフェの写真を撮っているだけに過ぎないと思い、たいして気にも留めなかっただろう。その写真が撮影された年代は不明であるが、もしそれほど古いものではなく、写っている人が偶然神戸に来て、自分の姿を壁に見たとき、ぎょうてんするに違いない。私がパリに行ったとき、麦茶を飲んでいる私の姿がパリの街角にあったとしたら、それはひっくり返るほど驚くだろう。 自分の姿が知らない間に、どこかの会社の宣伝用写真として使われていることもあり得るのだ。

報道写真でも同じようなことがある。実際にあった話であるが、ある事故の場面が写され、テレビや新聞に現場の写真が載った。その現場写真に、偶然通りかかった一人の男性が写っていた。それをその人の奥さんが見てしまった。その時間、そのような現場にいるはずがないのに、そのことから男性の浮気がばれてしまったそうだ。

今回の特別展では、先の100年前に撮られた映像を見せるブースの最後におもしろい企画があった。「『あなたの決断』のコーナー」と題して、ビデオカメラに向かい、何でもよいので約30秒間、自由にしゃべることが許されていた。

カメラに向かってしゃべった映像は100年間民博が保存してくれる。ただし条件があり、その映像および音声は、民博が自由に使ってもよいという承諾書にサインして提出することが義務づけられている。住所、氏名、署名をして、次のような承諾書を提出する。

<承諾書>

1.博物館が、承諾の日から100年間にわたり映像を保存すること。
2.博物館が、博物館の活動の中で映像を使用すること。
3.博物館が、博物館の広報、民俗学の普及のため、公共性のある報道機関等に映像の使用を許可すること。

ここで録画された自分の映像が、将来どこでどのように使われるのかはまったく予測できない。民博のことだから、それほどひどい使い方はしないだろうと思っても、そのようなことは当てにならない。将来民博がなくなり、そのフィルムが流失し、別の機関に利用されるかもしれない。社会体制が変われば、発言内容によっては逮捕されることになるかも知れない。海外のどこかの国で自分の顔がテレビのコマーシャルに使われたり、茶髪、ガングロ、ルーズソックスの女子高生など、外国の教科書に、「2000年頃の日本人の高校生」として載っているかも知れない。100年前、カメラの前で裸で踊っていたアフリカの人たちは、100年後自分の姿が日本の民博の中でさらされていることなど夢にも思わなかっただろう。それと同じことが、100年後、自分の身に起きることもあり得る。

明治時代、今ほど写真が普及していなかったとき、写真に撮られるのを嫌がった人がいたそうだ。写真に撮られると、自分の魂が抜かれるというのがその理由であったそうだが、そのような嫌悪感も、まんざらまとはずれとも言えないのではないかとさえ思ってしまう。

魂が抜かれるというよりも、自分の分身がいくらでも増殖される気味悪さは、インターネットの時代になり、一層増している。今のインターネットの世界では不正にコピーされたり、無断で撮られた画像が承諾なくネット上に流れている。自分の姿が誰かに撮られ、それがいつの間にかネット上で無断で使われ、世界中の人から見られる場所にあるなんて、それだけで薄気味悪い。

当初、この特別展を見に行ったのは、インドネシアの影絵から始まり、動く映像がどのように進歩してきたのか、その技術的な側面に興味があったからである。しかし実際に行ってみると、そのこと以上に、写すことの責任、写される側の決断といったことが問題提起されており、そちらのほうに一層驚いてしまった。

IT革命(Information Technology) が叫ばれている昨今、撮る側の責任、撮られる側の決断、この二つがますます重要になってくる。 最低限のマナーとして、写真やビデオを撮影するときは必ず確認をとること、また写される側も、撮られることを許可するのであればそれなりの決断が必要jになる。


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関連イベント

テアトル・オプティクの実演「光と影の劇場」
日時:2000年7月20日(木)−7月30日(日)
   毎日3回公演 11:30〜、13:30〜、15:00〜(一回約40分)
会場:国立民俗学博物館 特別展示場 1階

★アメリカ自然史博物館マーガレット・ミード記録映画祭特集上映会
 8月18日(金) 上映会
 8月19日(土) 上映会(みんぱくゼミナール)
 8月20日(日) 上映会

★フランスパリ人類博物館民族史映画祭特集上映会
 9月15日(金) 上映会
 9月16日(土) 上映会(みんぱくゼミナール)
 9月17日(日) 上映会

★山形国際ドキュメンタリー映画祭特集上映会
 10月21日(土) 上映会(みんぱくゼミナール)
 10月22日(日) 上映会

マジックランタンショー(マジックランタンというのは、幻灯機のこと)
日時:2000年11月9日(木)−11月19日(日)
   開演時間(7月22日現在では未定)
会場::国立民俗学博物館 特別展示場 1階

マジェイア


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