L'AMOUR

美輪明宏音楽会

 

1998年9月18日


昨晩、大阪のサンケイホールで開かれた美輪明宏音楽会 「愛」に行って来た。

美輪さんのことは約30年前、私がまだ中学生であった頃から知っていたが、ステージを生で見るのは今回がはじめてであった。デビュー当時から、宝塚の男役のようなメイクをして話題をよんでいた。当時は「ニューハーフ」という言葉もなく、「ちょっとかわったおかま」という印象で世間には知られていた。性別を超越した生き物、今では化け物、と言ったほうが当たっている。だって、昨晩だって本人が何度も自分でそう言っていたもの。(笑)

1957年、「メケメケ」がヒットしたそうだが、これはさすがに私も幼すぎて覚えていない。1960年代半ば、「ヨイトマケの唄」がヒットしたのは知っている。これは当時一大ブームになっていたフォークソングの影響かあったのかもしれない。あの頃のフォークソングは歌詞にメッセージを入れ、自分の「思想」を伝えるのがはやりであった。 「ヨイトマケの唄」はストレートに本当のことを歌っていたから、後に放送禁止になってしまった。いつの時代でも、本当のことを言われると耳が痛い連中はいっぱいいるのだろう。

このフォークブームは数年で消えてしまった。当時からウソ臭いメッセージが多く、そうそういつまでも聞いてる人をだまし続けることもできなかったのだろう。伝えるメッセージも「反戦」や「差別」を歌ったものが多い割には中身は薄っぺらで、インチキ臭かった。

演歌は今も昔も地道に続いている。これは世間に向かってのアピールというより、個人の「心情の吐露」とでもいうのだろうか。そこにウソはないかも知れないが、掃いて捨てるほどある「男と女の痴話言」にすぎない。

また、技巧を凝らして、「お話」を作り上げることもできるが、ウソをウソと感じさせないように虚構をでっち上げるのは、途方もないエネルギーと才能がいる。

今回の美輪明宏のリサイタルは、一口で言えば、様々な人生をぶつけられた音楽会であった。歌詞の重さが実感できた。最初から最後まで、これくらい本気で拍手をした音楽会もない。終わった後、しばらくほうけたようになっていた。

想いが必死で、切実で、ウソ偽りがなく、この世のどんな出来事もただの紙屑になってしまうような出来事があり、それを言葉で表現しなければ死なずにはおれないようなことがあったとき、そこから吐き出された言葉は「詩」になる。そのような状況から出てきた言葉は一人の人間の全存在、全宇宙を含んでいる。軽いはずがない。そのような言葉、詩にメロディーをつけ、歌っているのが美輪明宏であった。やつはただの「もののけ姫」ではなかったのだ。(笑)

「心・技・体」がそろった、などと言うと、相撲部屋か、小さな会社の社長室に掛かっている額を思い浮かべてしまいそうで興ざめだが、全存在をかけて心の中から吐き出された言葉を、よく訓練された体や表現技術を使って歌うとき、何倍にも増幅されてこちらに伝わってくる。実際、昨晩も客席から何度もすすり泣く声が聞こえてきた。歌だけの音楽会で、泣く人がこんなにいるのを知ったのははじめての体験であった。私も隣にばれないように苦労した

美輪の立ち姿、歌っている最中の姿には、無駄な動きが全くない点にも感心した。必要にして十分な動き、必要最小限度の動きしかしていない。無駄な動きがないのは、何も高齢(63歳....ゲー、確かに化け物だ。笑)だからというわけではない。最近の若い人のステージなど、動かないと間が持たないから動いているだけなのだろう。美輪の場合、芝居や歌の基礎がしっかりしているから、そのあたりにも細かく神経が行き届いているのだと思う。

昨今のピーピーとうるさいだけの歌はBGMにもならないが、美輪明宏の歌も別の意味でBGMにはならない。あれは魂の語り部、何かをしながら適当に聞くというわけには行かない。

昨晩、エディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌うとき、ピアフがこれを書いたときの経緯を説明してくれた。「愛の讃歌」は日本でもよく知られているが、原詩は日本語のものとはまったく別で、オリジナルはピアフの魂の叫びがそのまま言葉になっている。このようなものを歌って聴かせるわけだから、聴いているだけで重くのしかかってくるものがある。しかし、それはまた同時にこちらの魂も癒してくれる。勇気づけてくれる。

新しい宇宙、今まですでに存在していながら気づかなかった世界を切り取って見せてくるものが芸術であるのなら、美輪明宏が歌い上げる世界はまさに芸術である。

マジェイア


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