永劫回帰

百万と一回目の生

 

1998年10月9日

西洋の人にとっては、東洋の「輪廻転生」という思想はどうにも唐突なものに思えるらしい。キリスト教では死んだら天国か地獄へ行き、そこで永遠に暮らすことになっているからだろうか。

ニーチェがツァラトゥストラに語らせた「永劫回帰」(えいごうかいき)」は、西洋の思想としてはめずらしく「輪廻転生」に似ているが、実際はまったく違う。

仏教での輪廻転生は、人は修行のためにこの世に生まれてきて、修行のために何度も何度も多くの生を経験することになっている。

「永劫回帰」は、今まで自分の生きてきた生をそっくりそのまま、また繰り返す。これが無限に続く。今まであなたが経験してきたすべてのこと、うれしいことも悲しいこともすべてひっくるめて、一からまったく同じことが始まる。ビデオの再生を何度も繰り返すように。

こう言われても、「まあ、それも悪くないか」と思っている人もいるだろう。しかし、本当にそう言い切れる自信があるだろうか。今までのあなたの人生がそこそこうまくやってこれていたのなら、そう言える人もいるだろう。しかし、今までのことだけでなく、これから先、あなたにどのようなことが起きるかわからない。そのようなリスク、不安も全部ひっくるめて、なおかつ、"Yes"と言える自信があるだろうか。

今までのすべての喜び、悲しみも、これから先起きるであろう、すべてのことをひっくるめて、「もう一度でも、二度でも、百万回でも同じことを繰り返してもよい」と言い切れるとき、人は何も恐くなくなる。しかし、これは大抵の人にとって、簡単なことではないはずだ。だがこれが言えない限り、自分自身の生を肯定できない。「すべてOK!」と言えたとき、自分の過去への復讐心も消え、将来に対する不安も消える。

人は喜びも悲しみも経験しながら生きてきた。もし、繰り返される生があるのなら、今度は楽しいところだけにして欲しいと願うのもよくわかる。しかし、あなたが今まで経験してきた悲しい出来事、悔しい出来事、思い出したくもない出来事、それらをすべてすっぽり消してくれる薬が現実にあったなら、あなたはそれを飲みたいだろうか。それさえ飲めば、今まで経験してきたすべての嫌なこと、悲しいことが全部あなたの記憶から消えて、残っているのは楽しい想い出ばかりという薬があるとして、本当にそれを試してみたいだろうか。記憶から消えると言うことは、現実に体験しなかったのと同じことである。このような薬があっても、ほとんどの人は「いらない」と言うだろう。

うれしいことと悲しいことは、実際には分けられない。そのことを人はよく知っている。片一方を消してしまえば他方も一緒に消えてしまう。全部を肯定するしか仕方がない。「美味しいとこ取り」は出来ない。美味しいと思えるところだけを抜き出してきても、そこだけ食べたところで実際はまったくおいしくない。すべての体験が何もかも混ざり合ってあなたができている。一部だけを抜き出してきても、それはもうあなたではない。あの体験もこの体験も、全部肯定して自分ができている。

これから先、私にもあなたにも何が起きるかまったくわからない。不安と言えば不安だろうが、そう恐がることもない。どうせなるようにしかならない。うれしいことも悲しいことも含めて、「すべてOK!」と心の底から言えるようになったとき、自分自身が何かに向かって動き出していることに気がつく。動き出すことが恐くない。変化が恐くない。おもしろくなる。何かに挑戦してみることもOK、ずーと寝ていたいのならそれもOK。

★推薦図書『ツァラトゥストラはこう言った(上・下)』(ニーチェ著 氷上英廣訳上下巻 岩波文庫) 


indexindex homeHome Pageへ
k-miwa@nisiq.net:Send Mail