オプ・トランス!

色不異空 空不異色

 

2001年7月6日


「オプ・アート」というのを知っているだろうか。"Optical Art"を略したものらしい。今、大阪の「南」、難波にあるKPOキリンプラザ大阪で、「オプ・トランス!」展が開催されている。(2001年6月16日〜7月29日)

会場入り口にあるパンフレットを読むと「小学生以下のお子様、光過敏症、心臓疾患のある方、また寝不足、体調の悪い方は展覧会、イベントへのご来場をお控えください」とあった。

光を使ったアートなのだろうとは思ったが、どのようなものが展示されているのかよくわからなかった。最近寝不足気味ではあるが、ポケモンを見ていて気分が悪くなった子供のようなことにはならないだろう。とにかく入ってみることにした。

会場は4階と6階にわかれていた。

まず4階でチケットを購入し、展示室に一歩入ったが、がらんとした空間があるだけで、どこに展示物があるのかさえわからなかった。部屋の左奥には、むき出しの蛍光灯が数本一列に並んだものが、左右対称に立っている。これがそうなのだろうか。右側には展示品らしいものは何もない。壁には縦横1.5メートルほどの板に、格子模様が描かれたものが数枚掛かっている。部屋の中央には、天井から巨大な風船のようなものがぶら下がり、小さな電球が点滅を繰り返していた。さらにその奥の壁には、色とりどりの布をつなぎ合わせた大きなカーテンのようなものがあった。

部屋の中には、私以外には美大の学生風の女性が一人いただけであった。一般にはあまり関心を持たれていないのだろう。

格子模様の絵が3枚壁にかかっているが、これが何なのか、わけがわからない。格子模様の図柄をしばらくじっとながめていると、平面がうねり始めた。錯視の実験に使われる絵をながめている気分になってくる。

左奥にあった蛍光灯が突然点滅を始めた。蛍光灯の間には機械が置いてあり、これで点滅の速度や光量を変化させているのだろうが、これも何を見せたいのか、わけがわからない。

上の階に行くと、階段の途中にヘッドフォンとサングラスがおいてある。ヘッドフォンを耳にあてると、「ジーッ、ジーッ」という雑音が聞こえてくる。これは蛍光灯から発生しているノイズなのだそうだ。また、サングラスには電気のコードがついており、ガラスの部分には黄色の発光ダイオードなのだろうか、直径2ミリ程度の小さなLEDが左右それぞれに5、6個ずつ取り付けられていた。この眼鏡を掛けると、眼球、1、2センチのところで光の点滅が起きるため、しばらく掛けたままにしていると、気持ちが悪くなってきた。この機械も、視覚や聴覚に非日常的な体験をさせることで、驚きを与えるのが目的なのだろうか。しかし、私にはどちらもあまり気分のよいものではなかったので、ヘッドフォンも眼鏡もすぐにはずした。

この展示会のタイトルが「オプ・トランス」、つまり"Optical Trance"、「眼の恍惚」であることを思い出した。どうやらこれは視覚を刺激することで、日常では体験できないある種の「目眩(めまい)」を体験させようという試みらしい。

しかし、頭に蛍光灯のノイズが聞こえてくるヘッドフォンを付け、黄色い光が点滅しているサングラスを掛けている姿は、どう見ても奇妙である。数年前問題になった某宗教団体の信者は、電極の付いたヘッドギアを頭に装着していたが、あの人たちのことを思い浮かべてしまった。

さらに上の階に行くと、ここには自動車が一台だけ展示されていた。自動車のガラスはすべて半透明の「磨りガラス」のため、外から車内は見えないのだが、螺旋状に回転する映像がフロントガラスや、ドアのガラスに映し出されていた。しばらくながめていたが、これも一体何が面白いのかさっぱりわからなかった。

会場の売店に寄ってみると、先ほどの蛍光灯のノイズが録音されたCDや、『美術手帳』(美術出版社)の7月号が販売されていた。この号で「オプ・アート」の特集をやっている。これを読めば多少は事情がわかるのかも知れないと思い、買ってきた。あと、今回の参加者の一人がデザインした扇子は絵柄が気に入ったので購入した。(2,000円)

『美術手帳』を読んでみると、「オプ・アート」というのは1960年代の中頃、ごく短期間だけアメリカでブームになり、あっと言う間に消えてしまった芸術だそうである。60年代後半と言えばベトナム戦争の後、ヒッピーが現れ、LSDや様々なドラッグ等が出回り始め、退廃的な雰囲気が広がり始めていた頃である。「ハップニング」「サイケデリック」等という言葉も流行っていた。

このような時代の中で、いっとき現実から逃避する手段としてマリファナやハシシなどが急激に広まっていた。疑似神秘体験を安直に経験する手段であったのだろう。アメリカやイギリスの大物歌手や芸能人の中には、実際にインドまで行き、インチキグルの下で「修行」に励んでいる者も少なくなかった。このような時代背景を思い浮かべれば、「オプ・アート」が産まれ、すぐに消えてしまったのもわからないでもない。

しばらく消えていたのに、ここ数年、また息を吹き返してきたらしい。とは言え、私には何が面白いのか、どうにも理解できない。理解はできなくても、もう少し劇的に視覚や聴覚に刺激を与えてくれるのであればそれなりに面白いのだが、今のままではつまらない。せめてユニバーサル・スタジオ・ジャパンの中でやっている「ターミネーター2:3D」くらいのおもしろさがあればよいのだが、これでは刺激がなさ過ぎる。

釈然としないまま展示室を出て1階まで降りると、そこはドリンクバーになっていた。ここではキリンビールのできたてが数種類飲める。扱っているビールは、すべてこの建物の中で作っているそうだ。まだ陽は高かったが、あまりの暑さに、黒ビールをグラスで頼んだ。もう一度パンフレットや先ほど購入した本をながめていると、般若心経の中に出てくる言葉、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」が浮かんできた。

般若心経というのは、悟るための方法論のひとつを大変短い言葉にまとめたものである。キーワードは「空(くう)」であり、これがわかれば確かにこのお経の大半は理解できる。逆に言えば、「空」がわからない限り、このお経は理解できない。

「空」とは、この世のすべてのものには実体がないこと、つまりどのようなものでも、エネルギーがいっとき花になったり、人になったり、石になったりしているだけであり、いずれそれは形を変えるということである。

また、私たちが見たり聞いたり考えたりしていることも、すべては自分の「心」というフィルターを通しているため、何かをあるがままに見たり、聞いたりはできないようになっている。

要するに、私たちが今見ているもの(色)は「現実」ではなく「空」、つまり「仮の姿」である。とは言え、「空」はそのまま「現実」でもある。「空」と「色」の間に差はないと言っている。二元論に慣れきってしまっている頭でも、これは理解できるのではないかと思っている。

この展示会から数日後、夜道を歩いているとき、ふと見上げると、空には月が出ていた。しばらく立ち止まってながめていると、加賀の国の俳人、千代女(ちよじょ)が悟りを開いたときの逸話を思い出した。私の大好きな話なので紹介したい。

ある夜、千代女は井戸から汲んだ水を桶に入れ、天秤棒にぶらさげて運んでいた。疲れたので、途中一休みをしたとき、桶の中を見ると月が映っていた。鏡のようになった水面にはくっきりと澄み切った月があった。しかし桶を少しでも叩けば小さな波が立ち、月の姿はくずれてしまう。叩かなくても、風が吹いたり、虫が桶に飛び込んだだけでも月の姿は揺れ動く。まして桶を棒にかけて、歩き始めれば大きな波が立ち、月の姿はわからないくらいに乱れてしまう。

千代女は自分の心、つまりは本当の自分、「意識」と言ってもよいのだが、それをいつも澄み切った状態にしておきたいと願っていた。しかしながら、常に揺れ動く自分の心はこの桶の水面のようなものだと思い、悲嘆にくれていた。どれだけ平静を保とうとしても、心は何かの拍子にすぐに乱れてしまう。あるがままに物事を見たいと思っていても、波打つ水面のように途方もなく乱れてしまう。どうすればいつも心穏やかで、対象をあるがままに見ることができるようになるのか、そのことを考えていた。

桶を再び持ち上げ、家に向かおうとした瞬間、底が突然抜けてしまい、水がすべてなくなってしまった。空になった桶には、月も消えてしいた。しかし夜空を見上げると、何事もなかったかのように月はそこにあった。これを見て千代女は大笑いした。このとき千代女は悟った。

「存在」はいつも在るがまま存在している。月は自分がこの世に産まれる前にも、自分が消えた後にも、それは変わらずにそこに在る。

私たちを作っている五蘊(ごうん)と呼ばれるもの、「色・受・想・行・識」からなる肉体や意識、思い、このようなものは一切実体のない「空」であることを認識できれば、千代女や禅の坊さんが月を見て呵呵大笑(かかたいしょう)したのと同じ種類の気づきが起きる。

オプ・トランス展の話から、気がついたら随分遠くまで来てしまった。しかし、「見る」というごく日常的な行為でさえ、私たちは物事をあるがままになど見ていないことに気づかせてくれるという意味では、このオプ・アートもそれなりに面白いのではないかと思えてきた。

自分が在ることの不思議に気がついた人は必ず存在の不思議に立ち止まる。「在る」とは何なのか、「無い」とは何なのか。

月も自分も大元は同じ宇宙に充満しているエネルギーが、今いっとき、「月」になったり、「私」になったりしているにすぎない。「柳は緑、花は紅(くれない)」である。この緑や紅を、桶の水に映すのではなく、直に観ることができれば、自分の周りのものがすべて輝いてくる。

オプ・アートというのは、「空」を体感させてくれる芸術と思えば、それなりに楽しめるかも知れない。


「オプ・トランス!」 

2001年6月16日(土)〜7月29日(日)
11:00 〜 21:00
KPOキリンプラザ大阪(4 階KPO GALLERY, 6階KPO HALL)
入 場 料 大人700円/学生500円(中学生以下無料) >


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