JAN VERMEER

フェルメール

 

Vermeer

2000年4月8日


今年になって、「青いターバンの少女」をJRの駅などで見かけることが多くなった。フェルメールの絵なのだが、私はこの画家についてはまったく知らなかった。しかし、このポスターの絵には不思議なくらい惹きつけられるものがあった。幸いにも昨日、それを目の前で見ることができた。 現在、大阪市立美術館で「フェルメールとその時代」と題した展覧会が開催されている。 (2000年4月4日(火)−7月2日(日))

日本とオランダの国交が始まってから、今年でちょうど400年になり、それを記念してのことらしい。現存しているフェルメールの作品は36点だそうだが、そのうちの5点が今回日本に来ている。フェルメールの作品が一度に5点も見られるのは奇蹟に近いそうである。


地球上には様々な岩石がある。それらのなかでも、ダイヤ、ルビー、サファイアなど、いくつかの石は光と出会うことで、神秘的で美しい輝きを放つ。このような石は、地球の熱や圧力によって原子が偶然特定の配列に並び、その結果生じたものだろう。誰かが意識して作ったものではない。

フェルメールの絵は、絵の具とキャンバスに彼の「魂」を媒介とすることで、偶然、この地球上に生まれた宝石のようなものかも知れない。光と陰の中で輝いている。とりわけ「青」が美しい。

今回、フェルメールの作品は「青いターバンの少女」「天秤を持つ女」「地理学者」「聖女プラクセデス」「窓辺でリュートを弾く女」の5点が展示されている。この5つの作品を目の前で見ていたとき、私がなぜこれほどフェルメールに惹かれるのかわかってきた。

フェルメールの絵が宝石のように美しいということは別にして、もうひとつ私の心を捕らえたのは、描かれている「魂」である。

芸術家は、「宇宙の神秘」をその人独自の切り口で私たちに見せてくれるが、フェルメールは瞬間の中に永遠を見ること、もしくは、一瞬がそのまま永遠であることを私たちに示してくれる。画家のインスピレイションは、カメラよりも短い時間を切り取る。

「天秤を持つ女」は天秤が釣り合う微妙な一瞬に、「窓辺でリュートを弾く女」は調弦の一瞬に意識が集中している。「地理学者」も「聖女プラクセデス」も「人物」は消えている。フェルメールの描いている人物は、肉体としては消失している。描かれているのはその人のエネルギーが対象に向かって集中している三昧の境地、その人の魂が肉体をとおして表出している表情である。それはみんな美しい。

なかでも「青いターバンの少女」が他の作品より一層際立っているのは、三昧の境地をも越えたところにあるからだろう。あの絵に描かれている少女の魂は何かに熱中しているわけではない。ただそこにあること、そのことのすごさを気づかせてくれる。時間と空間を越えた宇宙の暗闇と静寂の向こうから、ただじっとこちらを見つめている。まるで宇宙に充満している「意識」に見つめられているような怖さと安らぎがある。

マジェイア


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