魔法都市日記(7)

1997年4月頃


某月某日

しばらくごぶさたしている教会のシスターから、お花見のお誘いをいただいた。 私はクリスチャンではないのだが、この教会にあるライブラリーはキリスト教関係の本やビデオが充実しているので、資料を調べたいとき利用させてもらっている。広い教会の庭や、隣接している公園にも桜の木が数多くあり、今が一番の見頃なのだろう。

この教会は月に一度、関西各地にあるカトリック教会から神父さんが集まってこられる日がある。前回は偶然そのような日に行ってしまった。100名くらいの神父さんがいたのだろうか。シスターの方々も、大勢他の教会から手伝いにきているようで、普段見かけないシスターの方から何度も、「神父様、こんにちは」と挨拶されて弱った。最初はその都度、「いえ、私は神父ではありません。本をお借りしに来ています」と説明していたのだが、何度も重なると、それも面倒になってきた。それでつい、「こんにちは」とだけ挨拶をしたら、そのシスターは私をどこかの教会の神父のつもりで話し込んでこられたので冷や汗ものだった。

クリスチャンではないが、クリスマスや日曜礼拝のミサの雰囲気は好きなので、ここの教会に限らず、何度か参加させてもらった。しかし、クリスマスから1週間後の元旦には、近所の神社と墓にもお参りに行くのが慣例となっている。宗教的には日本ほど寛容な国もないだろう。私の個人的な友人、知人にも、神主、坊主、神父と一通り揃っている。八百万の神々と仲良くしたからって、嫉妬されることもない。

チェンジングバッグ教会と言えば、先日、松田道弘さんの新刊、『メンタルマジック事典』(松田道弘著、東京堂出版)を読んでいたら、昔からマジックショップで売られている「チェンジングバッグ」(左の写真はStevens Magic Emporiumで$30.00)は、キリスト教の教会で使われている、献金を集めるための袋であると書いてあった。

「チェンジングバッグ」というのは、直径20センチくらいの金属の輪に袋がついていて、30センチほどの長さの杖が、持つところとして付いている。何かをすり替えるのに使う道具として販売されている。小物をすり替えたり、「消失」「出現」「フォーシング」等に利用する袋である。技術はまったく不要で、簡単にできるので、ステージでのマジックによく使われている。私も昔から持ってはいたが、実際には使ったことはほとんどない。便利とは言え、日本では日常見ることもない道具なので、どうしても不自然に思えてしまう。マジックのためにだけ存在しているものだと思っていた。そのため、あれに何かを入れて変化させたところで、それほど不思議でもないだろうと思い、使うこともなかった。

ところが、あれは教会で日曜礼拝などのときに、小さい子供が献金を集めるために持ってまわる袋であったのだ。今まで全然気がつかなかった。確かにマジックショップで売られているものと同じデザインなのだから気が付いてもよさそうなのに、これまでまったくわからなかった。マジックショップと教会という、あまりにも雰囲気の違うところで見るので、同じものを見ても、それが同じものだと気づかなかったのだろう。

今度教会へ行ったとき、チェンジングバッグを持って行き、私が献金を集めようか。献金の多くは100円玉程度の小銭であるが、たまにお札を入れる人もいる。そのような人の前ではハンドルを回転させて、お札と小銭を分類しておくと、集まったお金を献金箱に入れるとき、お札だけがバッグに残っているという使い方ができる……、なんてことを考えている私にはきっとバチがあたるだろう。

某月某日

羽生善治名人(五冠王)と谷川浩司竜王(挑戦者)の間で戦われる名人戦第1局の解説を大阪の福島にある日本将棋連盟関西本部に聞きに行く。

名人戦は7番勝負で、1局の将棋に二日をかけ、フルセットまで行けば、約2ヶ月かかる。今回の名人戦は羽生対谷川という最高の組み合わせであると同時に、谷川が勝てば通算5回目の名人で、引退後、永世名人を名乗ることができる。永世名人というのは将棋の歴史上、約300年間で、今まで16名しかいない。私は二人とも好きなので、面白い将棋が見られたらそれで満足であり、勝負は二の次ではあるが、谷川は神戸出身であり、彼の高校時代からよく知っているので、心情的には谷川を応援している。

名人戦の慣例で、挑戦者が決まった時点で、挑戦者と名人で扇子に一文字ずつ揮毫(きごう)し、記念扇子を作ることになっている。それに谷川は「遊」、羽生は「一」と書いた。

私は谷川の「遊」を見て、今回の名人戦は谷川が名人を奪回するのではないかと思っている。谷川にとって、今期の名人戦は大勝負である。そのような対局に臨んで、「遊」と書ける心境というのは心に余裕がないと、とても書けない。

この「遊」から、『論語』の「雍也篇」にある孔子の有名な言葉、「これを知る者はこれを好む者に如(シ)かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」を連想してしまった。 今回の名人戦で、谷川が勝ち負けにこだわらず、一局一局の将棋を楽しもうと思っているのなら、名人を取れるのではないかと思っている。

一年ほど前、羽生が将棋界の7大タイトルを独占した。このときほど、将棋がTVや一般の雑誌等に取り上げられたことはない。週刊誌の見出しでも、「羽生マジック」という言葉がよく見られた。「マジック」という言葉につられてそちらを見ると「羽生マジック」のことであったという経験が何度もあった。「羽生マジック」と言っても、羽生が実際にマジックをやるわけではない。

将棋界には昔からマジックの好きな棋士は多く、古くは木村十四世名人。現在でも鈴木七段、神吉六段などがいる。鈴木七段など、「たっぷりとクロースアップマジック」という、年に一回開催されるマジックのイベントに参加されるくらい熱心だ。

「羽生マジック」という言葉は、羽生がデビューした12、3年前から言われていた。

どうにも不利な局面で、相手が予想もしていなかったような手を指して、逆転勝ちをするところから誰かがつけた。この名人戦の直前に行われた羽生対森下の五番勝負でも、三局とも森下が序盤から中盤までは良かったのに、終盤の入り口あたりでことごとく逆転されていた。人はこれを称して「羽生マジック」という。しかし、私は以前からこれには疑問を感じていた。羽生自身は、自分の指すこのような手をマジックと思っているのかということである。これに関して、将棋観戦記者の池崎氏が、羽生にインタビューした記事の中で、羽生自身が答えていた。

それによると、羽生自身は自分の指すそのような「逆転の一手」を、マジックなどとは思っておらず、その局面の最善手を指しているだけだと言っていた。

つまり、まわりが逆転だと思うのは、その一手前の局面が、相手のほうが有利だと思っていたから、羽生の次の一手で逆転したように見えるのであるが、羽生自身は、もっと前からこの局面まで読んでいたので、逆転でもマジックでもなく、当然の一手を指したに過ぎないのである。

日食や月食が起こる日を前もって知ることができたら、それだけで魔法使いになれる時代もあった。他人の知らないことを自分だけが知っていると、知らない人から見ると魔法になってしまう。しかし、今では日食や月食を予言しても誰も驚かない。「羽生マジック」で驚いているのは、日食や月食の予言に驚いているようなものなのだろう。 どうも、今回は「福島村日記」になってしまった。

マジェイア

追加:「福島村日記」は、将棋観戦記者の池崎氏が専門誌、『近代将棋』に連載しておられる「対局日記」である。 大阪の福島には、日本将棋連盟の関西支部、関西将棋会館があり、ここで羽生や谷川など、専門棋士の対局が行われている。


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