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「浮かれの蝶」


2004/11/22 一部更新
2004/11/20



 日本の古典手品のひとつに、白紙を切って蝶を作り、扇の風でそれを操る「胡蝶の舞」がある。「浮連(うかれ)の蝶」とも呼ばれている。先般、「NHKアーカイブス」で、この「浮かれの蝶」を扱った番組があった。(2004年10月17日23時10分放送) 「NHKアーカイブス」は今から数十年前にNHKテレビで放送されたものの中から、今見ることであらためて様々なことを感じさせてくれる番組を紹介している。この「浮かれの蝶」も最初に放送されたのは1968年5月4日ということなので36年前になる。

 番組の中では当時すでに87歳であった「浮かれの蝶」の名人、三代目帰天斎正一(きてんさい しょういち)師の芸や、この芸を誰に継がせるかという後継者問題が扱われていた。一子相伝が原則のため、弟子の中からこれはと見込んだ一人に四代目を名乗らせることになっているのだが、様々な問題があり、簡単には決められないようであった。 

 後継者問題もドキュメンタリー番組としては興味深いものがあったのだが、それはさておき、「浮かれの蝶」という芸と、三代目帰天斎正一師については多大な感銘を受けたので、そちらに焦点をあてて紹介したい。番組の中では「浮かれの蝶」の完全な手順が放送されたわけではなく、ごく一部だけであったのだが、それでも三代目帰天斎正一師のすごさや、ひいては芸を極めればどうなるのかということが伝わってきた。

 「浮かれの蝶」は一枚の白紙を切り、紙で作った蝶に扇の風をおくることで本当に生きているかのように蝶を舞わせる芸である。はじめてこの芸を見ると、ほとんどの人はタネも仕掛けもなく、扇が作りだす風だけで蝶を操っていると思うにちがいない。しかし実際はタネも仕掛けもある。ただ、タネは確かにあるのだが、タネだけを教えてもらってもこの芸は簡単にはできない。

 西洋のマジックでも、観客の目の前で何かを浮かせてみせるということであれば、1970年代にフレッド・カップスが演じていた「フローティング・コルク」がある。1990年代にはマイケル・アマーがお札を浮かせる「フローティング・ビル」を解説したビデオを売り出したこともあるため、至近距離で演じる「浮揚現象」自体は、今ではそれほど珍しいものではない。昨今のマジックブームの中、すっかり売れっ子になったふじいあきら氏もプロになった当初から、ウルトラマンの小さい人形を飛ばすことでうけていたが、これなどさしずめ現代版「胡蝶の舞」ということになるのかもしれない。

 ふじい氏のウルトラマンは別にしても、コルクやお札を浮かせる程度のことであれば比較的容易に、誰でもそれなりに演じることは可能である。しかし蝶を三代目帰天斎正一師のように舞わせることは一朝一夕にはできない。

 「浮かれの蝶」をご存じない方のために、もう少し詳しく現象を紹介しておこう。

三代目帰天斎正一

 この芸は、蝶をただひらひらと飛ばすだけではない。紙でできた蝶が、自分の意志があるかのように蜜を求めて花のそばに舞って行き、水を求めてはお椀のところ飛んで行く。また開いた扇子の縁にそって、端から端までゆっくり渡って行く。さらに途中からは二匹になった夫婦の蝶が飛び交い、最後は舞台一面に広がる無数の子蝶を生み出す。一枚の紙と扇子だけで、壮大なドラマが展開されている。

 このようなことを表現するのは、いくらタネがあるとはいえ容易でない。演者自身にも舞踊の素養がないことには、羽織袴をつけ、扇を優雅に扱うことすら難しい。しかし何年か訓練を続ければ、「蝶を舞わせる」ところまではできるようになるはずである。現在でも、このレベルであれば帰天斎一門以外でも演じているマジシャンは何名かいる。ところが三代目帰天斎正一師の演じる「浮かれの蝶」は、演者が飛ばしているのではなく、自らの意志をもった一匹の雄蝶が舞っている。私が師の演技で、最も感銘を受けたのはこの部分である。

 芸の力だけで、生命のない紙切れに命を吹き込み、ここまで演じられたら、これはもう手品というレベルを超えている。マジックに、安直に芸術などという言葉は使いたくなのだが、これは芸も芸術も超えた壮大な生命のドラマである。まさに魔法としか言いようがない。芸をきわめれば、演者は消えてしまうのかも知れない。舞台の上に漂っているのは、演者が作り出した新たな命だけである。

 演者が消えるということに関連して、マイムのマルセル・マルソーの言葉を思い出した。


「舞踊の芸術が最高峰をきわめうるのは、魔法の助けをかりて意識が消えるときか、さもなければ、意識が人間各個の拘束ということについてはっきりめざめているときのいずれかです。」

「迫力がみえなくなったとき、大衆はやっと俳優の発光するものに気づきます。」
  
 (『パントマイム芸術』マルセル・マルソー、マルベルト・イェーリンク対談 未来社 1971年) 

 昨今、舞台で行われるイリュージョンはますます大がかりになっている。一方、「浮かれの蝶」で使われる道具と言えば小さな紙切れと扇子、お椀や花程度のものにすぎない。イリュージョンの道具立てとは比べものにならないほどささやかであるが、舞台の上で繰り広げられるドラマは、どれほど大層な仕掛けを用いたものよりも、壮大である。これは人間のイマジネーションが無限であるからということに他ならないのだが、ここまで想像力を刺激させてくれる芸を見たのは久しぶりであった。

魔法都市の住人 マジェイア


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