ショー&レクチャーレポート

2000/3/24記


いっこく堂スーパーライブ
ボイス・イリュージョン&マジック

いっこく堂

日時:2000年 3月21日(火曜)
    7:00p.m.-9:00p.m.

会場:リーガロイヤルホテル(大阪・中之島)
料金:12,000円(ブッフェ料理・飲み物付き)
    ライブは座席指定

出演:腹話術師 いっこく堂
     手品師 上口龍生(かみぐちりゅうせい)



今話題の腹話術師、いっこく堂のライブに行ってきました。このライブではマジシャンの上口龍生氏も出演していましたが、今回はいっこく堂だけを紹介します。上口龍生氏のマジックについては、次回の「魔法都市日記」で触れるつもりです。

いっこく堂が急激に世間に知られるようになったのは今から2年ほど前、夜10時からのニュース番組「ニュースステーション」で紹介された頃からだと思います。私がはじめていっこく堂を知ったのも、この番組を通してです。この頃から突然売れ始め、ライブのチケットは発売と同時に完売になるなど、チケットを手に入れるだけでも難しくなりました。

ニュースステーションに出演したときの反響は大きかったようですが、私にはまったくつまらなくて、なんでこれが人気があるのか、全然理解できませんでした。

確かに、人形が喋っているとき術者の口元は動きません。しかしその程度のことで観客を喜ばせることなどできません。観客が見たいのは術者の口元ではなく、人形との対話のおもしろさです。その部分がつまらなければ、唇がいくら動かなくても、どうってこともないのです。

マジックで特定の技法、例えばセカンドディールやパスがいくらうまくてもそれだけではマジックになりません。マニアには感心してもらえるでしょうが、技法だけで観客を楽しませることができないのと同じです。

話が少しそれますが、松田さんの本、『おどろきの発見』(松田道弘著、岩波ジュニア新書、1999年)によると、腹話術は二千年前のエジプトにすでにあったそうです。当時は神のお告げをする巫女(みこ)の技術でした。腹話術の歴史は長いのに、これが現在一般におこなわれているような、人形と組み合わせて、人形と人間のやり取りを芸にしたのは高々100年くらい前のことだそうです。しかも人形と組み合わせて使うことを思いついたのは奇術師でした。舞台で切断された人間の首だけをテーブルの上に置き、その首と奇術師が対話するマジックなどがよく知られています。

3、40年前は、マジシャンでもあり腹話術師でもあった保田春雄氏(ドラゴン魔術団主宰)や、吉本興業所属の腹話術師、川上のぼる氏の芸をテレビで見ることはありましたが、最近はまったくと言ってよいほど見かけません。たまに見る腹話術といえば、婦人警官が、幼稚園や小学校で開かれる交通ルールを教える講習会などで演じるものくらいでしょう。しかしこれはとても芸と呼べるようなレベルではありません。

日本ではこの2、30年、プロの芸としては完全に衰退していたところに、突然、腹話術の世界にスターが現れました。それがいっこく堂です。ただ、私自身は先に触れたように、はじめてテレビでいっこく堂を見たとき、本当に何の感動もなかったのです。人形2体を同時に扱うとか、声が口の動きよりも1秒ほど遅れて流れてくる「衛星中継」の芸をみても、驚きよりむしろ、なんてつまらない芸だと思ったくらいです。もう少し正確に言うと、芸がつまらないというより、プロの芸としてはあまりにも生硬で未熟であり、観客を楽しませるというレベルからはほど遠かったのです。プロの芸人とは思えませんでした。

その印象は、そのあと、いっこく堂のチケットが入手できないほど売れているという評判を聞くことが増えても変わりませんでした。むしろ、あの芸がそれほど一般の人にうけていることが信じられなかったのです。何か作られたブームのような気がしていました。

ただ、テレビではライブとは違う出し物をやっているかも知れないので、実際に生で見ないことには感想も書けないと思い、この魔法都市案内の中でもいっこく堂のことは意識して触れないでいました。幸い、今回大阪でライブがあり、しかも知人の尽力で、最前列の真ん中というこれ以上ない席で見ることができました。

正直な感想を言いますと、確かにテレビで断片的に見ているより数段楽しめましたが、それでも2年前に見たときの印象と変わらない部分もあります。

まず私が一番気になったのは、マスコミなどがあまりにもいっこく堂の口が動かないという点を強調するため、観客の意識がそちらにばかり向いてしまうことです。元来、腹話術のおもしろさは、扱っている人形が生命を持っており、その人形が独立したキャラクターとして術者と様々な対話をしたり、やり合ったりする点です。そのやり取りのおもしろさで観客を引きつけます。

いっこく堂の場合、人形が喋っているとき、唇が動かないという点が強調されすぎているため、観客は人形が喋っているときでさえ人形よりもいっこく堂の口元を見てしまいます。またそのような観客の視線や意識がいっこく堂自身にも反映し、術者までがそちらに意識の何割かが行っています。唇や喉を動かさないことを意識するあまり、いっこく堂の顔下半分が能面のように固くなってしまっています。これは致命的です。

人形が何かを喋ったら、それに合わせて術者が驚いてみせたり、しかめっ面をしたりして、もっと顔の表情が変化しなくてはならないところでさえ、口元を動かさないことに意識が過剰なため、顔の表情が固いのです。口元を動かさないことに神経を使うよりも、人形の言葉に対してもっとリアクションをしたほうが観客は楽しめます。人形が喋っているとき、顔の下半分は動かせないのであれば、顔の上半分、目や眉毛、鼻、おでこのしわなどでも、もっとリアルタイムで人形の言葉に対して反応できるはずです。

唇が動かないという点に限れば、いっこく堂の技術は確かに優れています。演出面でも、「時差」を使ったものなど、今までにないものを見せてくれます。これだけできる人ですから、これからはもっと人形に生命を与えることができるはずです。そうして、人形が喋っているとき、観客の誰もいっこく堂の口元など気にしなくなってこそ、腹話術師として一人前だと思うのです。観客がいっこく堂の唇ばかり見ている間は、まだまだです。古いイタリア映画、「ヨーロッパの夜」にも腹話術師が出てきます。あれを見ていると、アヒルが喋っているとき、観客は術者の口元など見ていません。 本当にうまい腹話術師は、観客に技術のことなど意識させません。人形そのものが生きているのです。

マジックでも同じことが言えます。マジックを見せて、器用さが目立つ間はまだ芸は未熟です。本当にうまい人は、観客にそのようなことさえも感じさせません。何もあやしげなことをしていないのに、自然な動作のうちに不思議な現象が起きます。いっこく堂の技術は、おそらく腹話術の歴史過去二千年にさかのぼっても最高でしょう。古今東西、これほど完璧な技術を持った人はいなかったに違いありません。第一、腹話術だけで数百名入る会場のチケットが発売後1時間足らずで完売になり、今回も食事付きではあっても、12,000円というデビッド・カッパーフィールドなみの高い入場料でありながら400名を越える席が満席になるのですから、これは奇蹟に近いことです。

日本語では唇を動かさずには発音できない音があります。「ま、み、む、め、も」「ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ」「ば、び、ぶ、べ、ぼ」です。実際にやってみてください。これは唇を動かさずには発音できません。これもいっこく堂がやると本当に動きません。これは企業秘密でしょうから、この技術を公開することはまだないでしょうが、いっこく堂の活躍に刺激され、若い人で、挑戦してみようという人が出てくるかも知れません。それは喜ばしいことです。一人の天才が出てくると、それをきっかけに次々と新しい技術や人が生まれてきますから、腹話術にも新しい時代がやってくるかもしれません。

ただ、今うけているのは技術の物珍しさの部分がかなりの割合を占めていることをわかっておく必要があります。技術の物珍しさだけでは長続きしません。いっこく堂がこれからも長く腹話術師としてやっていくためには、人形が喋っているとき、自分の顔の表情を豊かにすることと、ネタを常に開発し続けていく必要があるでしょう。「意外性」も重要な要素ですから、一通り世間に知れ渡ったあとは、テレビなどにはあまり出ないでライブに徹したほうがよいかも知れません。

ライブショーの報告というより、私が前から感じていた腹話術という芸や、いっこく堂そのものについて雑感になってしました。ショーの報告は次回の「魔法都市日記」で少し触れておきます。

追加(2000/4/3):「魔法都市日記(40)」にジャンプできます。

魔法都市の住人 マジェイア


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