★ジョーク集から

すべてはタイミングだよ。

発言者不明

2000/3/16


マジェイアの蛇足

20数年前、マジック・ショップ「ミスター・マジシャン」のオーナー、根本さんからうかがったジョークを紹介します。

ニューヨークのマンハッタンには、コント作家やジョークを専門に書いている作家が毎週集まってくるバーがあります。そこに来る連中はジョークを作るプロですから、今までに発表されたものであればたいてい知っています。おまけにアメリカにはジョーク事典と呼んでもよいような、分厚いジョーク集が何冊も出ています。そのような本に載っているジョークには通し番号がついており、「何番」と言うだけでわかってしまうくらい、そこに来る人たちは隅から隅まで記憶していました。

あるとき、偶然そのバーに行った若者がいました。常連同士がおかしそうに腹を抱えて笑っているのを見て、どんなジョークを言っているのか知りたくなり、こっそり、そばに行き、聞き耳を立てていました。すると、まともなジョークなどひとつもなく、ただお互いに数字を言い合って、それだけで笑い転げています。

誰かが「351番!」と叫べば大笑いし、また別の人が「あの本の1261番!」と言うだけで、参加者同士がひっくり返って笑っているのです。

この若者は、常連の会話によく出てくるジョーク集をメモして帰り、翌日、早速その本を買いました。1週間かけてその本を読破し、中でも特におもしろかったものをいくつか覚えて、例のバーに行きました。先週見かけたメンバーがそろった頃を見計らい、そのグループに近づき、声をかけたのです。

「私もジョークを知っているのですが、ひとつ披露しても構いませんか?」
「ああいいよ。言ってみなよ」
「782番!」

782番は飛び切りおもしろかったのに、誰一人笑いません。シーンとしたままです。みかねた常連の一人が若者に声をかけました。

「若いの、覚えておきな。いいかい、ジョークはセリフじゃないんだ。それをいう言い方、タイミングがすべてなんだ」

確かにそうです。ある芸人がうけているジョークを、別の人がそっくりそのまま真似したところで、普通はうけません。ジョークの内容そのものよりも、それを言うタイミング、その場にいる人、言い方、このようなものをすべて理解した上で、適切に切り出さないとうけるものではありません。

マジックでもまったくおなじことです。私のところにも、「うけるマジックを教えてください」というメールがきます。しかし、誰がやってもうけるマジックなどありません。あるマジシャンがやってうけているからといって、別のマジシャンが同じことをやっても、うけるとは限りません。誰がやってもうけるネタなどどこにもありません。

九代目市川団十郎も同じようなことを言っています。

「踊(おどり)の間(ま)と云うものに二種ある。教えられる間と教えられない間だ。 教えられる『間』はこの字を書くが、教えられない『間』は『魔』」と書く」

その場の状況に応じて、臨機応変に変える「間」は、教えようとしても教えられるものではありません。たしかに、「魔」という字を使いたくなるような微妙なタイミングを含んでいます。これは経験や才能によってしか身に付きません。

ジョークひとつにしても、マジックを見せるときでもおなじことです。すべては「間」です。名人と言われるような人と、新入りの芸人でも、技術的なことにそれほど差があるわけではありません。ほんのちょっとした間の取り方が違うだけです。ただ、この「ちょっとした差」が、実際にはちょっとやそっとでは越えられない差でもあるのです。一生かかっても越えられない人もいくらでもいます。このような人は、何十年芸人をやっていてもおなじことです。

芸能人の「隠し芸大会」や、プロマジシャンが開催するマジックショーに漫才師や落語家などが出演し、簡単なマジックを見せることがあります。このようなとき、売れている漫才師などが演じるマジックは、マジックの腕はまったく素人同然であっても、うけるという意味では本職のマジシャン以上にうけることがめずらしくありません。これは観客にうけるツボを知っているからです。そこさえはずさなければ、出し物は何であってもうけてしまいます。

優秀な芸人はその場の雰囲気に合わせることができるか、自分の力で、周りの雰囲気を自分のペースにしてしまっています。アマチュアの場合、自分には向いていない雰囲気だと思えば、無理して演じるよりも予定を変更してでも中止するほうが賢明です。


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