★某シャトーのオーナーの御言葉

 

毎日だったら、とっておきの楽しみがなくなってしまうじゃないか。

 


マジェイアの蛇足

フランスに大きなブドウ畑を持ち、ワインを生産しているシャトーのオーナーがいます。飛びきりの高級ワインとして、日本でもよく知られているワイナリーです。ある日本人記者がこのシャトーに取材で行ったとき、オーナーから夕食に招待されました。

いったいどんなワインを飲ませてもらえるのか、夕食の場面を想像するだけで胸が高まりました。日本で飲めば一本数万円、いやひょっとすると一般には市場に出ないオーナー専用の特別なワインが出てくるかもしれないと期待は膨らむ一方でした。

夕食のテーブルに着いたとき、テーブルに出されたのは、そこのシャトーが売り出しているもののなかでは最も普及品にちかいものでした。地元では1,000円程度で買える安いワインです。このような大きなシャトーのオーナーなのだから、食事のたびにとっておきの高級ワインを飲んでいると思っていたのに拍子抜けしてしまいました。思い切ってオーナーにたずねてみました。

「あなたのような方ですから、毎晩のように高級ワインを飲んでおられるのかと思いましたが、普段はごく普通のワインを飲んでおられるのですね」

「うちが出しているあのようなすごいワインは、私だって何か特別な日にしか飲まないよ。毎日飲んでいたら、せっかくのとっておきの楽しみが楽しみでなくなってしまうじゃないか」


人が感激するのは、これまで知らなかったこと、体験したことのないことに出会ったときです。音楽、絵画、食事、酒、芸、何であってもおなじです。

ライブに行ったとき、そのときだけ出演者に何かがのりうつったのか、観客との相性がよほどよかったのか、奇跡的とも言ってよいステージに出会うことがあります。そのような感動を味わったとき、再びそれを求めて翌日も行く人がいます。しかし奇蹟はそう何度も起きません。またどのような感激であっても、二度目、三度目と回を重ねるごとに薄れてくるものです。それは仕方のないことです。

中にはゲップが出るほど通い詰めて、本人自身がもう飽きたと感じるまで行かないと気の済まない人もいますが、私にはこれが理解できません。感動は一度で十分です。

マジックの驚きは意外性につきます。どれほど初めて見たときに驚いた現象であっても、何度も見ていたら驚きは大幅に減ってしまいます。マジックに限らず、音楽でも、芝居でも同じです。

チャニング・ポロックの「鳩出し」の演技を初めて見たときの感激は忘れません。そのときの感激を封印するためには、二度とポロックの演技を見ないことだと私は思っています。今ではビデオにもなっているため、見ようと思えばいつでも何度でも見ることはできますが、そのようなことはしたくありません。最低でも5年は間をあけたいのです。実際には10年でも20年、間があいてもかまいません。

1976年に私はフレッド・カップスと親しく接する機会がありました。古今東西、すべてのマジシャンのなかでカップスは私の最も好きなマジシャンですが、もし彼が今も生きていて、毎年日本に来たとしても、彼のショーには行かないでしょう。せいぜい数年に一度で十分です。あの感激を日常のレベルにまで下げてしまいたくないからです。

食べ物でもおなじです。最近ではピエール・エルメのケーキに感動しました。あのケーキ自体は毎日何個か作られるもののひとつであり、イクスピアリかホテルオークラにあるピエール・エルメの店に行けば同じものが食べられます。いつ食べてもおいしいケーキであることはまちがいありませんが、では毎日食べたいかというと、そのようなことはありません。年に1,2度食べたらそれで満足です。

天からの贈り物のような最上質の楽しみは、いつ出会えるのかわかりません。そのようなものにめぐりあえたとき、その感激を大切にしたいと思うのなら、適度に自主規制することが必要なのではないでしょうか。


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