★古川緑波氏の御言葉おめえの座ったとこが下座だ。
古川緑波 (1903〜1961)
俳優の森繁久彌(1913-)は若いとき古川緑波(ろっぱ)の一座にいました。あるとき部屋に入ると、大きな円卓がありました。中華料理を大勢で食べるときに使用するような円形のテーブルです。座敷であればどこが上座(かみざ)で、どこが下座(しもざ)なのかだいたいわかりますが、このような円形のテーブルではどこが下座なのかわかりません。どこに座ってよいものか、おそるおそる緑波にたずねてみました。
「先生、僕はどこへ座ったらよいのでしょう」
「どこでも座りゃいい。おめえの座ったところが下座だ」
マジェイアの蛇足
「どこでも座りゃいい。おめえの座ったところが下座だ」というのは、山藤章二と立川談志の対談で、談志師匠が紹介していた逸話です。『対談 「笑い」の混沌』(山藤章二 講談社 1990年)
円卓でも実際は入り口から遠い席が上座になるのでしょうが、その席から最も遠い場所といえば直径の両端にあたる位置、つまり上座の人の真向かいになります。いくら離れているとはいえ、上座に座っている人の真正面というのは新入りの人にとって座り心地のよい席ではないはずです。
どこに座ったらよいのかわからないとき、「どこでも座りゃいい。おめえの座ったところが下座だ」という表現は突き放しているようで、実際は思いやりなのでしょう。新入りが上座、下座を気にすること自体、先輩諸氏と同等になってしまいます。てめーがそんなことを気にするのは「十年早い」ということを気づかせると同時に、そのようなことに気をつかわなくてもいいんだよ、というやさしさでもあるのでしょう。
相手に何かをしてあげるとき、してもらった人の負担にならないようにしてあげることは実際には大変難しいものです。芸の名人は例外なく、その場の空気を読む達人です。これくらいの気遣いができるからこそ、観客の要求を的確に見抜き、満足させることができるのでしょう。