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『月刊 カリヨン』

カリヨン

2001/4/30


1973年9月、マジックのメーカー「トリックス」がスポンサーになり、『月刊 カリヨン』という無料のパンフレットが発刊されました。B5判で毎回8ページあり、紙面をマニアに開放して好きなことを書いてもらっていました。一部新製品情報なども入っていましたので、広告媒体としての役目もあったのでしょうが、デパートのマジックコーナーで、トリックスが入っているところに無料で置いてありました。

創刊時からの主な執筆者としては、斉藤正喜氏、渡部寛厚氏、荒井晋一氏、野村章則氏、麦谷真理氏、茅場幸雄氏、ファントマ氏等がおられました。わずか8ページのパンフレットとはいえ、これを5年以上も出し続けられたのは、若さと、マジックに憑かれたようになっていたメンバーがそろっていたからでしょう。中心メンバーの平均年齢は20代半ばくらいであったと思います。

無料ではあっても中味は大変充実していました。斉藤正喜氏の「カップ&ボールの研究」、麦谷真理氏の「海外カードマジック解説」、小林淑郎氏の「4本リングの研究」、今井雅晴氏のオリジナルマジック、荒井晋一氏の「ビリヤードボール・ルーティン」等、当時その分野でよく知られていた方々が、ご自分の得意なものを解説されていただけに、読み応えがありました。他には「鳩出しの研究」、茅場幸雄氏の独特のタッチで演じられるカードマジックなどもありました。編集を担当しておられた斉藤氏や渡部氏のコラムも面白く、毎号紙面いっぱいにマニアの熱気が溢れていたものでした。

1973年頃といえば私がマジックに最ものめり込んでいた時期でもあります。当時は神戸の大丸にもトリックスのマジックコーナーがあり、そこで偶然『カリヨン』の創刊号を目にしました。売り場には山田さんがおられ、平田君、現在の旭人氏がまだ学生で、売り場でバイトをしていたのもこの頃です。

このパンフレットは何号まで出たのか不明ですが、私の手元には創刊号から48号までを合本にしたものがあります。薄いパンフレットなので、バラバラにしたままでは紛失するため、知人の印刷屋に頼んで4年分を合本にしてもらったものが手元に残っています。この後もバラで何号か手元にありますので5、6年以上出ていたことは間違いありません。最終号が何号なのかはわかりません。

「カリヨン」という名前の由来は、マニアがたまり場にしていた喫茶店から来ているそうです。1973年に『月刊 カリヨン』の第1号が出る数年前から、新宿にあった喫茶店「カリヨン」にマニアが不定期に集まっていました。それがいつの頃からか、毎週日曜日に集まるようになり、カリヨン集団というグループが自然発生的にできたようです。

さらに歴史をさかのぼると、カリヨンの中心メンバーである斉藤さんは1967年頃、銀座のすずらん通りにあった「ムジール」という喫茶店で茅場さんとよく会っていたそうです。茅場さんは当時、銀座の松屋でディーラーをされていました。この頃から同好の士が集まり始めたのでしょう。その後何度か喫茶店を渡り歩き、1970年頃から新宿にあった喫茶店、「カリヨン」がホームグラウンドになりました。

ここではカードやコインはいうまでもなく、カップ&ボール、ロープ、ダンシングケーンのようなサロンマジックまでやっていたそうです。マニアにすれば天国のような場所ですが、やがて経営不振で店じまいをすることになりました。コーヒー一杯で、何時間も独占されたら店が傾いても無理はないと思うのですが、最初から壁は汚く、カーテンは薄汚れたような店であったので、マニアが毎週2,30人集まってくれたら店も喜んでいたのかも知れません。いずれにしてもその店がなくなり、隣にあった「六本木」という喫茶店に移動することになったようです。ここがその後長い間、カリヨン集団のホームグラウンドになったようです。『月刊カリヨン』の第1号が出たときには、すでに「六本木」に移っていました。

1974年12月、沢浩氏が天海賞を受賞され、その出版記念パーティが新宿の京王プラザホテルであったとき、私と同じIBM大阪リングのメンバーである宮中桂煥氏と一緒に、大阪から参加しました。パーティ終了後、新宿の喫茶店「六本木」に寄ってみることにしました。

そこは想像していたよりも広く、100名近く入れたのではないでしょうか。店に入ればすぐにカリヨン集団の人が集まっている席くらいわかると思ったのに、予想外に広かったため、店員にたずねてやっとわかった次第です。 この喫茶店は、飲み物全品200円、それにゆで卵がついてきて、おまけにトーストが無料で食べ放題というのですから、当時の物価を考慮に入れても、これで店がやって行けたのが不思議なくらいです。

私たち同様、この日は天海賞のパーティに参加するために地方から上京して、その流れでここに集まった方も何名かいました。簡単な自己紹介もそこそこに、斉藤さんにはボールのマジックを、片倉氏にはカードやコインを見せてもらいました。片倉氏は当時から東京では群を抜いてうまく、何を見せてもらっても大変きれいに演じておられたのが印象に残っています。茅場氏のことはそのときまでまったく知らなかったのですが、大変個性的なキャラクターで、私はお会いしていっぺんにファンになってしまったくらいです。

最初の予定では1、2時間で店を出て、その日の新幹線で帰るつもりにしていました。しかしよほど面白かったのか、そのまま残って、結局一泊することにしました。常連のお一人、中央大学奇術部の方のご好意で、下宿に泊めてもらうことになりました。そこに数名で押し掛け、雑魚寝をしたことを覚えています。と言っても、私はその部屋にあったベッドを一人で独占して、先に寝てしまったようです。朝起きたら、部屋の主まで含めて、私以外はみんな床の上で寝ていました(汗)。寝つきがよすぎるのも困ったものです。

後にも先にも私が「六本木」に行ったのはこのときだけですが、その後斉藤氏にはカップ&ボールの資料を送っていただいたり、ファントマ氏にはオリジナルの「本を貫通するカード」を解説したパンフレットを譲っていただいたり、大垣の吉田氏には暮れも押し詰まった気ぜわしいときに、ご自宅までお邪魔させていただいたりしたこともあります。今はすっかり出不精になっていますが、当時はあきれるほどどこへでも行っていました。

1960年代中頃から70年代の中頃までが、日本の奇術界が一番燃えていた時期なのかも知れません。この頃の『奇術研究』(力書房発行)を見ても、当時はマジシャンの熱気が紙面からあふれていました。情報に飢えていた時代です。洋書を一冊手に入れるだけでも簡単なことではありませんでした。私も『奇術界報』の古いものをコピーするために、一泊二日で国会図書館まで行ったこともあります。今から思えば何かにとりつかれていたような時代でしたが不思議なエネルギーが渦巻いていました。『月刊カリヨン』の第1号に、渡部寛厚氏が書いておられる記事を以下にご紹介させていただきます。これをお読みいただくと、当時の雰囲気がご理解いただけるのではないかと思います。


 変わった本がある。本と言えるかどうか、それはともかくとして、コクヨのファイルにはさんだ全ページコピーの本である。表紙にはSlydini Encoresと書いてある。

 そうスライディーニ・アンコールの本を借りてきて、コピーしたものだ。その本を借りるのさえ容易でなかったのを覚えている。一行一行たんねんに単語の意味が書き込んである。今からみると、こんな簡単な単語までと思うくらいたくさん。

 ズィ アートオブ ユージィングザラップ アズ ア セルバンテ  

 スライディーニズ インプパス  

 スライディーニズ リボルブバニッシュ  

 そしていよいよワンコインルーティンとつづくのだ。ワンコインルーティンさえできたら、他の手品は覚えられなくてもいい。

 その気違いの様な情熱をもって、スライディーニアンコールはまたたく間に裏表紙を閉じることになったのである。

 彼のけっさくの1つであるスィートソルトの名に象徴されるかのようにその時の思い出がよみがえってくる。奇術への情熱は加速度を増して燃え上がり、そして燃えつきた。今わずかに情熱の燃え残りが、くすぶりながらこの筆を走らせている。

 コオロギの音が、静寂を切り刻む今

 歳月の流れをたどり

 思い出を暖める。

 遠い 遠い あれは過去

     '73.9.15

『月刊 カリヨンNo.1』

 


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