BANDAI SOCIOLOGICAL RESEARCH
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身近な新潟の再発見〜「蒲原祭(かんばらまつり)」について〜
毎年、梅雨の季節を迎える頃、どうもそわそわすると思いきや、
それもそのはず、今年も蒲原祭のシーズンがやってきます。
毎年、7月1日から3日まで開催される蒲原祭は、昔から変わらない
郷土新潟のお祭りです。夜店が賑わうのは、前日6月30日からです。
子供の頃から親しんでいる蒲原祭であり、蒲原神社ですが、
その由来や歴史のこととなると、全然知らないことがわかりました。
そこで、重い腰を上げて滅多に行かない図書館等に通って、「いったい
この蒲原祭というのは、どういうお祭りなんだろ〜?」という観点から
あれこれと調べた事を書いてみたいと思います。
まず、蒲原神社の由来から...
1 蒲原神社=五社神社?(蒲原神社の起源)
(1)所在地
蒲原神社は、新潟市長嶺町3番8号に所在しています。
信越本線の高架橋と栗の木バイパスの立体交差する付近です。
赤い鳥居がありますから、すぐに分かります。
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創立は、大化改新以前とされ、「神社御改帳」では、神社の所在地は
金鉢山(金八山)で、八の山七つの谷があり、竹や木が多く繁茂して
いて東西に湊があったと紹介されています。現在でも新潟関屋方面には
金鉢山と呼ばれる場所がありますが、そこではありません。
現在地に遷座したのは、元禄3年(1690年)です。
それ以前の資料としては、延宝6年(1678年)新発田藩主が
本社に寄付した社領三反歩の寄進状のみ。詳しいことは残念ながら
わかりません。
(2)神社の名前
蒲原神社は、別名「五社神社」ともいい、5柱の神様を祭っています。
すなわち、
久久廼智命(くくのちのみこと)・木の神様
加具都知命(かぐつちのみこと)・土の神様
金山彦命(かなやまひこのみこと)・金の神様
水波之売命(みずはのめのみこと)・水の神様
埴山姫命(はにやまひめのみこと)・火の神様
別名、「五社明神」ともいい、新発田藩の史料には「五社宮」とあります。
(3)「青海社」の額
蒲原神社の参道正面の神楽殿の奥の拝殿には、「青海社」の額が
かかっていますが、「蒲原神社」じゃないの?と思う方いませんか。
社伝によれば、式内社の青海神社2座のうちの1座をいい、蒲原の津の
金鉢山に鎮座し、はるかに青海を眺めることができたので、この社名(
青海社)が付けられたといいます。
この額は、新発田藩第七代藩主 溝口直温(みぞぐちなおあつ)自筆
(明治21年焼失、復刻)とのことです。蒲原神社は蒲原四郡の総鎮守とされ、
武家の信仰も厚かったようです。
昭和56年、蒲原の地に千数百年来鎮守したことから、蒲原祭の名で親
しまれて来た「蒲原神社」と改称されました。
(注1)「式内社」とは、延喜式神名帳に登載されていた神社で、十世紀前半、
延喜式の編集段階で官社として認定されていた神社を言います。
(注2)「青海神社2座のうちの1座」のもうひとつは、加茂市にある
青海神社(新潟県加茂市大字加茂229番地)ということのようです。
「北越雑記」長沼寛之輔(文政年間1818-1830)による。
2 御託宣と六郎重宗
(1)御託宣(ごたくせん)
五穀豊穣を祈り,その年の米の作況を占うのが御託宣です。
7月1日の深夜に行われます(俗に「六郎さまの御託宣」という)。
神職が、豊凶を書いたくじの中から1本引き参拝者の前で発表します。
(2)御託宣の由来
六郎重宗(ろくろうしげむね)は、源頼朝の家臣、畠山次郎重忠の弟です。
兄重忠が北条氏に破れて没した後、重宗は、難を逃れて妻とともに蒲原に逃れて
蒲原神社の境内に草庵を建て、後に出家しました。
重宗は、亡くなる前に「五穀豊饒、民の安全を守護すべし」と遺言したとされて
います。重宗の死後、村人は一寺を建て、百蓮寺と名付け、重宗が生前彫った
夫妻の木像を安置しました。後に五社神社に合祀されました。
御託宣は、五穀豊饒の神として祀られた六郎重宗にちなんで始められました。
(異説では自ら「蒲原平野の豊凶は、この神の託宣による」と唱えた。)
蒲原神社史によれば、1813年の御造営で生じた借金の返済の一環として御託宣を
行うようになったのではないか、と推考されています。
この御託宣は、良く当たり大正期には、米相場に影響を及ぼすとして官(当局)
から一時停止を命ぜられたこともあったといいます。
ちなみに平成16年の御託宣は、「七、八分の作、風あり」でした。
平成15年の御託宣は、「五穀七分作水有り」でした。
そしてその結果は...
「北陸農政局新潟統計・情報センターは10月28日、2003年新潟県産米の作況指数
(10月15日現在)を「やや不良」の96と発表した。」
恐るべし御託宣!結果は、平成5年の大凶作の再来は免れたものの、新米の
盗難等が相次ぎ、また、新米価格も前年を大きく上回る見込みです。
3 蒲原祭の起源
蒲原祭の起源は古く鎌倉時代にまで遡るといわれています。
ただ、例祭に興行が加わるようになったのは、文化10年(1813年)以後
のことのようです。蒲原神社は、川欠け、大洪水の被害により大規模な造営が
必要となり、その建設費の借金を返済して行く過程の中で、畠山六郎公の木像
の御開帳、角力(すもう)、子供手踊り、枕狂言、曲馬興行等が借金減らしの
一策として催されるようになりました。

2005 |
従って、現在のような祭りの形態が完成したのは1813年以降の事といえる
と思われます。
庶民にとってこの祭りは、田植えや草取りから解放される農民の息を抜く祭
でもあり、亀田郷一帯では、この祭礼を農作業の一区切りとし、祭の間、亀田
郷内の農家では作業を休み、笹だんごを作って祝ったそうです。
4 夜店(露店)の分布と相場
新潟市の発表によると、「延べ1kmにわたり700余りも露店が並びます」
とのことで、露店の規模、種類とも群を抜いたものがあり、これが蒲原
祭の大きな特徴の一つとなっています。狭い路地にひしめく露店と人の波。
露店が立ち並ぶ隘路の独特な雰囲気は、非常に興味深い観察対象です。
(1)露店の種類の概要
ア 食べ物系
・代表格は「ぽっぽ焼き」(よく「蒸気パン」等と比較して議論されるもの)何ソレ?→GO!
・H15は、何故か目についた「牛串焼き」(ソースの焦げる匂いが良い)
・タコが異様にでかい「タコ焼き」(イイダコ)、具沢山のお好み焼き
・個人的にイチ押しの「ぴかちゅ〜カステラ」
・定番の綿あめ、リンゴ飴、バナナチョコ、パイナップル、かき氷、甘栗
イ 生き物系
・金魚すくい(今年は、もなかタイプばかりで残念!)
・亀すくい(ミドリ亀、甲羅に文字が書いてあると当たり亀!?)
・ハムスターすくいとひよこは発見できず。
ウ おもちゃ系
・参道の両脇に集中して出店されています。よくこれだけ玩具を並べる
ものと感心して眺めてます。
・アイドル系の何か
・カードゲームの専門店
・ディズニーも根強い人気のようです。
・スーパーボールすくい、健康ボール(なんて名前?)
・風船、キャラクター風船
・光り物、ガラス細工
エ 賭博系(誤解のないように)
・射的、輪投げ、ダーツ、ボール投げ等(拝殿の周囲に集中している)
・型抜き(専用のニードルでガムベースを突きまくって形を抜き出す)
・くじ(専用の容器に空気循環してくじがぐるぐる回るタイプ)
オ オバケ屋敷系
・これも定番、「恐くない、怖くない」今年も1件だけでした。
カ 手相系
・コンピュータ手相占いと人生相談がトレンド?当たる!
キ 植木系
・昼間は、こちらが主流のはず。盆栽に植木(それから瀬戸物も)
(2)露店の相場
お祭は、小銭を掴んで何か買喰いするのが正解。他にも、射的の1回もすると結構
いいお金になります。今回は、射的等の体験を書きます。
複数の店の料金や遊戯条件を比較した訳ではないので、ご了承下さい。
| 遊戯の種類 |
料金 |
条件 |
備考(条件) |
射的
 |
500円/回 |
6発打てる |
必ず、棚の後ろに落とさないとダメ
(その場で倒すだけではダメ) |
| 輪投げ |
500円/回 |
5回投げられる |
正確に輪が景品を囲わないとダメ |
ダーツ
 |
500円/回 |
3本投げられる |
中心に当てれば高得点 |
| ボール投げ |
500円/回 |
2回(+1回)投げられる |
2段になっている缶等に当てて落とす |
これらのゲームは射幸心をくすぐる反面、罪がない娯楽でもあります。
更に、失敗しても「お駄賃」がもらえるので、人情味があり、ある種の社会
保障制度が機能している印象です(cf. 普通のゲ−センだとお駄賃なし)。
<歴史に関する参考図書>
・「沼垂定住三百年記念誌ぬったり」1984(昭和59)代表編集者 伊藤鼎
・「新潟県の歴史散歩」1995(平成7)新潟県の歴史散歩編集委員会
・「蒲原神社史」1981(昭和56)山下隆吉編
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