嘘の髪の毛をドーランで描いた
おじいさんが電車に座っている。
車内の熱気が髪の上に無数の玉となってこぼれ落ちてゆく。
夕暮れどきの商店街を慌ただしく迂回して
車は滑ってゆく。
「かき氷が食べたいなあ」
慎重に額の汗を拭いながら老人はつぶやく。

線路の幅が進むにつれ狭くなってゆくような気がする。
狭い車内に押し込められてひどく気分が悪い。
外は少しづつ暗くなっていくようだ。

「用事がなければすぐにでも電車をおりてしまうのに」
しかし用事がなんだかは思い出せない
。 思い出しかかると老人の髪が一瞬風になびいたような
気配に気を取られて、肝心なことを忘れてしまう。
嘘の髪の毛が。。。

いやよく見ると少しだけ髪が生えていることに気付く。
あはは、なんだか愉快な気分になる。
慣れた手付きで老人が、少しだけ残された髪の毛を繰るような動作をしている。
引っ張るとどういう仕掛けか、少しづつ髪の毛が生えてくる。
愉快でたまらない。 笑いがとまらなくなる。

僕の笑いに答えるように老人はどんどん髪を引き出してくる。
真新しい髪の毛をふさふさとはやして満足げな老人に
僕は見とれてしまう。
新しく毛を生やした老人はどこかで見覚えがあるような顔をしている。
僕の記憶から掬いあげるよりも先に老人は電車をおりてしまう。
用事のことなどは忘れてしまい、どうしても老人のことが頭から離れない。
確かによく知っている顔に違いがなかった。
ふと頭に手をやるとさっきまであったはずの髪がない。
なぜだかそれが懐かしく、溢れる涙がとまらない。
気付くと電車には一枚のドアもないのであった。