<2004.09.20 K.Kotani>投稿「岡本忠成アニメーションの世界」展見聞


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2004年09月20日

投稿「岡本忠成アニメーションの世界」展見聞



 岡本忠成氏のアニメーション(以下アニメと略)を体系的に見たのは昭和46(1971)年11月だった。大阪・豊中氏出身の岡本氏は故郷での初上映会でもあった。{岡本忠成アニメーション映画作品集」と題し、第一作「ふしぎなくすり」から、「キツツキ計画」「おじいちゃんが海賊だったころ」「10人の小さなインディアン」「ホーム・マイホーム」「花ともぐら」「チコタン」の7本の作品の特集上映であった。「チコタン」や「花ともぐら」は朝日主催の教育映画祭で見たが、他作品は初見であった。
 翌47年から岡本氏は同業の川本喜八郎氏とコンビを組まれ、人形劇とアニメをマッチングさせた「パペット・アニメショウ」のネーミングで楽しい催しを毎年見せてくれた。川本氏はエスプリとシニカルな笑いの充満した人形劇を中心に新作人形アニメを。岡本氏は和紙や杉板を素材にした斬新な人形アニメ「モチモチの木」や、「南無一病息災」の他、桂町丸(現ざこば)の大阪弁丸出しのしゃべりで現代社会を風刺した人間いじめシリーズと題したセル・アニメーションも見せてくれた。
 今回、フィルムセンターで岡本氏が作られた人形やセル・アニメのオリジナルな素材を展示するユニークな企画が実現した。過去に、スクリーンで映像として子供たちから大人まで笑わせ泣かせた岡本作品の素材が造形作品として一堂に集められ展示されたのは圧巻であった。無生物の人形がアニメーターの手で演技をつけられ、一コマづつ撮影され、手間暇かけて人形に生命を吹き込む作業の集積。多くのスタッフの汗の結晶によって人形たちは甦る。
 チェコの偉大な人形アニメ作家で画家でもあったJ・トルンカ氏は「人形は魂を持っている」と表現した。岡本氏の人形アニメの素材は多岐にわたる。一本の毛糸が小鳥になり小リスにも変身する。年老いた元海賊のおじいさんが若かりし頃、大海原での活躍を太いバスで歌った。その人形は荒削りの木彫りであった。寝小便たれで弱虫の豆太はクラフト製の紙人形。マイホームは庶民の夢。日本列島改造論をぶち上げた田中角栄によって土地は高謄し、夢はつぶされた。岡本氏はペーパークラフトの狐とモグラを使って土地神話を風刺。新聞の不動産広告をエッチラオッチラかじりながら進むモグラ君はユーモラスで笑わせてくれた。「ホーム・マイホーム」は45年の制作。土地神話はバブル崩壊でもろくも喪失した。人形アニメの背景として実際に使用された新聞の不動産広告は制作から30余年の歳月を経て新聞用紙も変色し、時代の変化を象徴しているように思えた。
 岡本氏の傑作の一つ「おこんじょうるり」の、占いが外れて落ち込む婆さまと浄るり語りで難病を直す神通力を持つおこん狐との暖かい愛情の交流は、人々の胸をうった。この人形は紙張子の素材。実物は以外と小さかったが、本物の人形との対面は感激であった。また、画面の添景に過ぎない小道具の果物一つにしても、精巧な手作りで、人形アニメに愛情を注いだ岡本氏の神髄を垣間見た思いがした。
 頑健な身体でスポーツマンでもあった岡本氏はおしくも早世されたが、さと子夫人はじめエコー社のスタッフは岡本氏の残された遺産ともいえる人形やセルまで大切に保存された。保存スペースの確保だけでも大変だったであろう。通常、映像が完成すれば、素材は廃棄される運命にある。初期作品からよくぞここまで大切に保存されて来られたのはスタッフの努力と人形たちへの愛情があってこそだろう。映像は見れても、素材そのものは実際にはなかなか見られない。素材を一つの造形作品としてスポットをあてて展示する企画を実現されたフィルムセンターにも感謝したい。
 かってスクリーンで感動を与えてくれた人形たちの実物に再開できたのは、私にとって至福のひとときであった。岡本氏の手で作られた多くの人形たちは、一堂に会して真夜中に甦り、お酒の好きだった岡本氏を偲びながら饗宴を開いているのではなかろうか、と考えながら薄暗い展示室でスポット照明をあてられた人形達が一瞬ふと動いたような幻想を抱いた。(日本アニメーション学会会員 渡辺泰さん)

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