<2013.09.22 K.Kotani>大阪国際児童文学館・寄贈本返却請求裁判「敗訴」


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2013年9月22日

大阪国際児童文学館・寄贈本返却請求裁判「敗訴」



 9月5日、大阪高等裁判所において、大阪国際児童文学館・寄贈本返却請求裁判の控訴審判決が下され、「寄贈図書返却は認めない」と、ほぼ一審通りの内容で原告の敗訴となりました。
 大阪国際児童文学館では、かってゴールデンウィークにアニメーション上映、夏休みには子供アニメ教室が行われていました。
 原告団は最高裁への「上告」を行うと発表しましたが、判決の覆る見込みはなく、ほぼ敗訴が確定しました。
 この裁判は、2008年に、当時の大阪府橋下知事が、吹田市の大阪国際児童文学館の廃止と、東大阪市の中央図書館への蔵書移転を打ち出したのに対し、当初蔵書の大半を寄贈した鳥越信氏らが、「最初の約束と違う。寄贈した本を返せ。」と起こしたものです。
 大阪国際児童文学館は、児童文学者の鳥越信氏が、個人的に収集した12万点に及ぶ児童図書が散逸する事をおそれ、寄贈先を公募、応募した大阪府と滋賀県が激烈な誘致合戦を繰り広げ、結局当時の大阪府の岸知事が「どうせ乗るなら大きな船。」などと「安心してまかせて下さい。」という雰囲気で誘致を勝ちとり、1984年5月に開館したものです。
 廃止・移転を打ち出した、当時の橋下知事のマスコミ上の発言では、児童文学の研究拠点である児童文学館を「こども図書館」と勘違いしているとしか思えないものもあり、また、「返せというなら返してもいい」などという発言も報道されていました。
 また、隠しビデオカメラを持ち込んで児童文学館職員の勤務ぶりを「盗撮」させたとして、マスコミ上で騒がれた事もありました。
 その後、「児童文学の研究拠点なんか府の仕事ではない。」と勘違いを意識したらしい発言もありましたが、当時の圧倒的な橋下人気を背景に、文学館廃止条例は2009年3月に可決され、2010年3月、文学館の蔵書は、大阪府立中央図書館の国際児童文学館に移送され、同年5月、再公開されました。吹田市以来の専門員は期間を限定して継続雇用となりました。
 これをもって、「橋下改革の一つの象徴として、国際児童文学館を廃止した。」と勘違いしている方も多いのですが、蔵書はそっくりそのまま移転、専門員もほほそのまま、名称もほぼそのまま、組織が財団法人から府直営にかわり、場所が吹田市から東大阪市に代わっただけ、というのが実情です。(この移転に際しては、中央図書館の改修と、図書の移転費用で「五億円」かかったと報道されています。また、元の吹田の施設は、転用の見込みも無く、無人の「廃墟」として吹田の万博公園に残されています。)
 当初の児童文学館の特色として、蔵書の多くが「購入」ではなく、「寄贈」によって集まっている事がありました。この寄贈も、個人のみならず、児童文学の出版社が国会図書館に納本するように、自主的に行われてきたものです。(国会図書館への納本は、法律上の「義務」)この寄贈は一時年間2万点を超える年もあり、おおむね年間8000点前後が寄贈され、現在では当初12万点の蔵書が70万点を超えているようです。
 ところが、「廃止」が大々的に報道され、移転が実施されると同時に、「そんな所に寄贈しても仕方ないのではないか」とばかりに寄贈は激減、5000点を割るような年も現れました。あわてた大阪府は、2013年に府直営から財団法人への委託復活を打ち出したと報道されています。
 この中で、児童文学館自体の利用者は東大阪への移転・統合後、かえって増えている事が報じられています。(大阪市内からの交通自体は、吹田の万博公園よりも便利であることも理由と思われます。)
 この中で、裁判所は、「当初の寄贈契約の中に、原告が主張する、「寄贈する代わりに、児童図書をきちんと管理し、収集を続け、児童文学のために役立てる」という事は明記されていない。」との理由で原告敗訴とし、一審に続いて、橋下元知事の証人喚問も「必要なし」と却下しました。
 「大阪国際児童文学館を児童文学の研究拠点として、永く、大切に育てて行きたい。」という原告の思い、府民の税金を使い、「そんな事は書いてない」と裁判で主張する一方、児童文学館を維持し続ける大阪府、かっての人気もいまやボロボロの橋下元知事は、この件に関しては、「僕はもう大阪府の人間ではないですから。」と知らんぷりを決め込んでいるようです。


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