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二木真希子氏逝去
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月刊近メ像インターネット
2016年5月20日
二木真希子氏逝去
スタジオジブリなどでアニメーターとして活躍されていた二木真希子氏が5月13日に、58歳で病気のため亡くなられたと、トラッシュスタジオから5月16日に発表がありました。
二木真希子氏はアマチュア時代の1979年頃に「シネ・カリニバル」と「思いつくまま」という二本の8mmフィルムによる、シネカリグラフ作品を発表。約6mmから4mmという狭い面積の中に繊細に描かれた馬の走りや植物の成長シーンは当時のシネカリのレベルを遥かに超越し、確かなデッサン力と卓越した動きの感覚は当時の観客を圧倒しました。当時この作品を観た海外のアート関係者は「何故日本のスポンサーは彼女にお金を出して作らせないのか」と不思議がったという伝説もあります。
その後二木氏はプロの世界に進み、テレコムに入社されましたが、入社に際しては、宮崎駿監督が「彼女はNFBに入るべき人材なのだから、ここの会社に入れずに落とせ」と要望したという伝説もあります。(この「伝説」たち、どうも本当らしい。)
その後テレコムを経てスタジオジブリのアニメーターとなった二木氏は、宮崎駿監督の信頼の厚いアニメーターの一人として数々の宮崎作品に参加されました。(「さらば愛しきルパン」に登場する「小山田真希」の名前は二木氏の名前から来ているとの事です。)
その一方で、画家・イラストレーターとしても力量を発揮、著書に「世界の真ん中の木」の他、「精霊の守り人」の挿絵なども描かれました。
スタジオジブリの製作部門が解体した後はフリーのアニメーターとしてお仕事をされていた、との事です。まだまだご活躍を期待できるご年齢でしたのに、誠に残念です。ご冥福をお祈りいたします。