<2017.04.30 K.Kotani>相原信洋七回忌追悼映像展


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2017年4月30日

相原信洋七回忌追悼映像展





 4月28日から30日まで、京都五条のルーメンギャラリーにおいて、2011年4月30日に亡くなられた相原信洋氏を追悼する「相原信洋七回忌追悼映像展」が開催されています。故人の残した作品群は現在デジタルアーカイブ化が進んでおり、この日は既に復元が済んだ作品の中から16作品・約92分分がセレクトされ、デジタル上映されました。



 29日午後6時50分からは、相原氏の教え子で、同僚の、京都造形芸術大学の大西宏志氏と稚内北星学園大の阪本裕文氏によるトークが行われました。氏が遺した作品はおよそ80本。大西氏によると、相原氏が亡くなられた当時、研究室・自宅など(自宅以外にも、函館他にトレス台を置いて作業できるようにしてあったアパートとか定宿などもあったそうです。)に無造作に遺されたものは「どれがゴミでどれが作品なのかよくわからない状態」だったそうで、数人がかりで整理してとりあえず箱詰めにして学校に保管した、との事です。
 ただいつまでも学校に置いておけるものでもないので、上映会場のルーメン・ギャラリーにも「保管・活用ができないか」と相談があったとの事ですが、検討の結果、とてもルーメン・ギャラリーだけで全部出来る量ではない、という事が判明したそうです。
 また、デジタル化を進めている阪本氏によると、作品は時期にもよるが、「上映用のプリントしかないもの」「上映用のプリントと、画のネガがあり、音ネガの無いもの」「プリントとネガが揃っているもの」があり、「音ネガの無いもの」については、プリントから音を、ネガから画を取って合わせたそうですが、プリントとネガの画の順番が全然違っていて、ネガの最後にタイトルがあったりするものがあり、「元のプリントを観ながら合わせた」そうです。「1987年頃より後の作品は、比較的きちんと揃っていた」との事でした。この1987年頃というのは、相原さんがイメージフォーラムに作品を出し始めていた時期にあたり、先方の方のご尽力によってきちんとした形でのネガが残るようになったのではないか、という事でした。
 これは、想像ですが、ごく初期は、リバーサルのフィルムで撮っていたので、当然ネガは無い。途中から、リバーサルの一般での取り扱いが無くなってネガで撮影するようになっても、ネガ編をしてプリントを作るのではなく、最初に同時に帰ってくるポジを編集してマグネコーティングして音を入れていた、という事ではないでしょうか。(当時、時々あった、と聞いています。)
 さて、このデジタルアーカイブ化ですが、「この夏頃には完了する見込み」との事でした。また、遺されたフィルムについては、全作品、国立フィルムセンターで保存される事が決まっているそうです。



 会場の入り口近辺には、相原さんの原画・ドローイング・構想スケッチ等も展示されていました。
 

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