2017.05.15 K.Kotani>
「トレス台」について考える
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月刊近メ像インターネット
2017年5月15日
「トレス台」について考える
現在、京都の国際マンガミュージアムにおいて、「にっぽんアニメーションことはじめ「動く漫画」のパイオニアたち」の前期展示が公開されています。また、4月23日には、京都・おもちゃ映画ミュージアムにおいて、国産アニメーション誕生100周年記念講演「凸坊新画帖からアニメへ」が開催されました。この中で、当時のアニメーション制作の中で、「トレス台」が作られ、使用されたという内容のものがありました。このトレス台、セルアニメに関しては、デジタル化が進み、一部がペンタブレットによる液晶画面上の作画に置き換えられつつありますが、従来は、セルアニメの原画作画や、ペーパーアニメの動画作画には欠かせないものでした。今回は、この「トレス台」について考えてみたいと思います。
トレス台の効果
セルアニメや、多くのペーパーアニメでは、「動画用紙」と呼ばれるタップ用の穴の空いた上質紙に鉛筆で動画を描いてゆきます。一枚描いては、その上に新しい紙を載せて下の絵を見ながら少しずつ違った絵を描いて行く、というのが一つの作画のやり方です。さて、多くのアマチュアの方もご経験された事があると思いますが、この上質紙という紙は、二枚重ねた場合、下の絵はかろうじて透かしてみる事が出来ますが、三枚重ねた場合は、二枚下の絵はまったく見る事は出来ません。
ドローイング系のアニメーションの場合は、動画1と動画3の間に中間ポーズ動画2を入れる場合、1と3を重ね、2の用紙を載せて、1と3の中間ポーズを入れる、という事を日常的に行いますから、これでは作画が出来ません。
ところが、下から蛍光灯で光を当てると、下の絵が透けて見えるようになります。
このように、トレス台は、まったく中割りをせず、一枚下の絵を透かしながら描き進めて行く作画方法で製作する方法(「アオイホノオ」には、上の綴じてある「計算用紙」で作画する、という方法で作画する、という方法が紹介されていた)か、下の透けて見えるトレーシングペーパーで作画する、という特殊な方法で作画する場合を除き、タップと並んでアニメーターの必須のアイテムとして認識されてきました。
トレス台の始まり
さて、この「トレス台」、漫画ミュージアムの展示等に依ると、1917年公開の日本最初のアニメーション作品群には既に「トレス台」を使用した作品が含まれていた、という表現があります。海外のアニメーション等が輸入公開されたものを観たり、海外の文献などから「トレス台」の機能と基本的構造等を推定して、自分で作って使ってアニメーションを作った、という事だそうです。
当時のトレス台の図面や写真は残っていないとの事で、上図は研究者の発表した当時のトレス台の想像図です。天板ガラスは素通し、電球の出力は、当時の使われ方から見て、最低40Wは必要だったと思われるそうです。
基本的構造が現在と異なるのは、天板がすりガラス(曇りガラス)で無い事、光源が白熱電球である事です。
蛍光灯が世界で初めて販売されたのは1937年ですから、光源としては白熱電球しかなかったものと思われます。想像図では、素通しガラスのクリア電球が使われているようですが、現在のような白いシリカ電球が発売されたのは1974年、「内面をつや消しにした電球」が発明されたのが1925年ですから、これは当然と思われます。また、すりガラスは昔からあったようです。
さて、当時、このトレス台で、印刷した背景のキャラクターの部分を白く塗りつぶし、その上にキャラクターを描く、という方法でアニメーションを制作していた下川凹天さんは、眼を悪くして、アニメーション制作を断念するはめになってしまいました。素通しガラスを通して、裸電球を至近距離で見続けるという事を行ったのですから、眼が悪くなっても不自然ではありません。
私とトレス台
さて。時は 1972年頃、大阪で一人の中学生が、自分でアニメを作るために、トレス台を自作しました。(私です)当時の写真は残っていませんが、記憶によると下図のような構造です。
何故天板が透明下敷きで、蛍光灯が箱に収まらずに両端にはみ出していたのか、というと、要は、当時の中学生が、小遣いの範囲で手に入るものと、その辺にあるもので、取りあえず使えるものを作ったらこうなった、という事です。
下敷きは、トレス台の天板に比べるとずいぶん小さいが、当時使っていた「計算用紙」(「アオイホノオ」に出て来たのと同じもの。)がB5サイズで、この天板になんとか収まったので、少々やりにくかったですが、作画・製作には支障はありませんでした。
この、蛍光灯の両端がはみ出した「トレス台」なんとそのまま、大学2年の春まで6年間、現役をつづけたのですから、あきれるというか、大したものです。
さて、時に1978年、大阪で「相原信洋・実践アニメ塾」という一週間ちょっとの短期講座が開講される事になり、「プロのアニメーターで、現役の作家の方が作り方を教えてくれる」という事で、私は早速受講を申し込みました。「トレス台をお持ちでない方は、ご用意下さい」という事でした。講座の方で紹介してくれた三起社製のアマチュア用トレス台を買った方もいたようです。
(現在もピピアめふアニメ教室で活躍中の三起社製トレス台)
で、動画用紙も今までのB5ではなく、プロが使っている標準サイズの紙になる、という事で、従来のトレス台を改造(というか、ほとんど新造に近い)して、持って行く事にしました。
天板の部分には、アクリル板を購入。蛍光灯は、6Wをものがあったので、それを使用しました。また、ベニヤ板で、三起社製に習って、手前を低くした「箱」を作り、本体側面に、普通の「スイッチ」を装備。(それまでは、電源の抜き差しで電源のオンオフをやっていました。)
この天板の部分のアクリル板が「クリアー」のアクリル板でした。いままでずっと透明の下敷きですませて来た事だし、蛍光灯が6Wで若干非力なので、「クリアー」の方がいいかな、という判断もあったのかもしれません。
さて、講座初日、そのトレス台を持って行った所、講師の相原さんはそのトレス台を見て、「透明のガラスで眼を悪くした人がいますから、紙を一枚載せて書くようにして下さいね。」とおしゃられました。
透明天板は眼に悪い?
先日のおもちゃ映画ミュージアムでの発表の際、研究者の方に、「昔、こういわれたのですが、この「眼を悪くした人」というのはこの凹天さんの事ではないのか?」
とおうかがいしたのですが、「眼が悪くなるのは、一般的なアニメーターの職業病のようなものですから、そうとは言えないと思います。」との事でした。
しかしながら、「トレス台で天板の部分が透明なもの」というものを見た事は、この私の自作のトレス台と、再現された凹天さんのトレス台以外は見た事がありません。過去に三起社で販売されていたトレス台は全て天板が半透明乳白色のアクリル板で、写真等で見るプロ用の動画机の天板部分にはめ込まれているのは全部すりガラスでした。また、徳島アニメ学校に初期に導入されたアメリカ式回転トレス台も、天板は乳白色になっていました。
少なくとも70年代頃に、「透明な天板は眼に悪い」という事を認知していたアニメーターが実在した事は間違いありません。また、少なくとも戦後、東映動画がスタートした時に導入した動画机の天板はすでに磨りガラスになっていたと思われます。思うに、「凹天さんが眼を悪くされた」という事が、当時ごく少数だったアニメ関係者に知れ渡り、以後、日常的にトレス台で作業をするアニメーター達にとって「透明の天板は眼に悪い」という事が、常識として共有されていたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
なお、この透明の天板は、その後、私の自宅の机を動画机風に改造する際に、天板となって机にはめこまれ、現在も現役で働いています。
トレス台の進化
LED化される前の、昔の普通のアニメーション用トレス台は、手前の方が低く、奥が高くなって傾斜がついています。奥が10cm位、手前が7cm位で、机の上からはかなり高さがあります。これは、光源を中に収納する必要があるためで、光源は、当時は10Wの直蛍光灯が一般的でした。この蛍光灯は、素通しの裸電球に比べるとかなり発光部が広く、眼に優しい効果があります。
また、蛍光灯は、白熱電球に比較して、かなり発熱量が低くなる、というメリットもあります。昔、「白熱灯の光の方が、蛍光灯より眼に優しいのではないか。」と、小型の白熱電球4個を入れたトレス台を作ってみた事がありますが、点灯してしばらく経つと、天板が熱くなって触れないほどになり、とても長時間の作業が出来るようなものではありませんでした。凹天さんも、「アチ、アチ」と言いながら、付けたり消したりして、天板を冷やしながら作業されたのではないでしょうか。
このトレス台、高さがあるため、机の上に置いたり、持ち運びをする場合はかなりかさばります。私のトレス台は、蛍光灯が6Wで細いため、若干低くなっていました。(蛍光灯は、8W以下と、10W以上で太さが大分違う)
6Wの蛍光灯を使ったトレス台の内部。細さが分かると思います。
徳島アニメ学校のスタッフの方は、「理屈の上では、ノートパソコンの画面部分位の厚さのトレス台が作れるはずだ」と言っていました。後日、たまたま同じ機能のものが無料で手に入ったもので、分解して中の仕組みを確認してみました。中は、ものすごく細い特殊な蛍光灯と、半透過する特殊なパターンを印刷したシートを巧みに組み合わせて、画面全体の明るさを均一にするような仕組みになっていました。(これは、箱に入れて自作トレス台の光源にした上で、とある方に進呈いたしました。)
後年、LEDを使った、2cm位の厚さのトレス台が発売されました。徳島アニメ学校でも、受講生の持ち帰り自宅作業用に何台か導入、相原信洋さんも一台買って、「最近のトレス台は薄くなって、旅行の時とかは便利だ。」と言っていました。これが現在発売されている、一般的なトレス台の原型です。
ところが、このLEDトレス台は当時けっこうな値段がしたので、貧乏な私は、電池式の4W蛍光灯2本を使った、ぺったんこ簡易式小型トレス台を自作しました。
この自作ぺったんこトレス台、後日、ACアダプターを使えるように改造して使用した所、過電流が流れて片方のコンデンサーが破裂してしまいました。
後日、パソコンのUSBポートから電源を取るタイプのLEDライトが980円で手に入ったため、光源をそのライトに換装、ついでに電源を「乾電池」「携帯充電器改造のACアダプタ」「USBポート」の三電源からとれるようにしました。LED部分に紙がかぶせてあるのは、光を拡散させるためです。
このLEDライト、5V0.5Aで十分な光量が出る他、ダイヤルで光量が無段階に調整が可能です。この明るさが調整できる、というのは、眼に対する悪影響を防ぐ重要な点かと思います。最近のトレス台では、「とにかく明るい」という点をセールスポイントにしているものもありますが、必要以上に明るすぎる、というのは、眼に悪いのではないでしょうか。動画作業ができる程度以上の明るさのトレス台は避けた方が良いと思います。
最後に紹介するのが、少女漫画雑誌「ちゃお」の付録についていた、小型トレス台。私がお金を出して買った唯一のトレス台です。570円の雑誌の付録の一つなのですが、単四電池3本で点灯します。下にあるのは普通サイズのトレス台。
電池を入れて点灯させると、結構な明るさです。トレス台の箱だけ作って、これを中に入れる事によって、普通のトレス台の光源にもなりそうです。
さて、プロの用いるのはトレス台ではなく、動画机(作画机)です。(以前、テレビのニュースで吹田市のアニメスタジオの作業風景が流れた時、動画机ではなく、大判のLED式トレス台で作業をしているのを見て少々驚きました。しかし、2cm位の厚さのトレス台であれば、動画机での作業と比較してもあまりハンディはないのかもしれません。)この作画机、日本では三起社という会社で作られています。その最新型の作画机、光源はLED化されていますが、お仕着せの光源ではなく、眼に優しいような仕様のものを特注しているそうです。また、天板のガラスの厚さはなんと1cmもあり、少々のものを落としても割れない強度を持つと同時に、下面の磨りガラス面に当たった光がこの1cmを進む間に分散して、上面部での均一な明るさを生む結果となっているそうです。
ほほう、そうすれば、透明なアクリル板でも、ちょっと間をあけて光源との間にトレース用紙を挟んだら、均一な明るさになるんじゃない? と思ってやってみました。
クリア天板の状態。
トレース用紙を挟んでみた状態。光源がかなりぼんやりと見えます。現在は、紙を一枚載せて使用していますが、それは要らないような感じになりました。本日は、以上。