<2019.10.20 K.Kotani>「なつぞら」考


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2019年10月20日

「なつぞら」考





 9月28日、4月1日より放送されていた、NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「なつぞら」の放送が終った。この番組については、「北海道出身の、創建期の日本の女性アニメーターの半生を描く」という触れ込みもあり、事前情報で、「登場するアニメスタジオは「東洋動画」だそうだ」(東映動画かよ!)とか、「主人公の奥原なつのモデルは奥山玲子だそうだ」とか流されていたりで、アニメファンの期待も高く、放送が始まると、いきなりオープニングが全編アニメで、また主人公の東京大空襲被災のシーンがアニメだったりして「おおっ」と盛り上がったようである。
 その後、北海道の牧場での描写が続くが、リアルな生活風景や、天才少年画家との出会い、高校演劇での体験等が描かれ、「これは、のちのちの伏線やね」と期待はますます盛り上がった。
 また、東京に来たなつが、動画スタジオを訪れたシーンでは、当時を知る方が、「おお、あの時の動画机そっくり」と驚いたり(実は、東映動画の倉庫に保管されていた当時の動画机をそのまま借りて来て並べたそうで、後で「新品の動画机のはずなのに古びているのはおかしい」と突っ込む方も現れた。)、「角合わせ」の作画をそのまま再現したりしたあたりで興奮は頂点に達したようだ。

 ところが、物語が進むにつれ、ファンのみなさんのトーンは徐々にダウン。「奥山さんはあんな感じの人ではなかった」「作画手法も、タイガーマスクもデビルマンもみんななつの手柄?」「アニメ製作に挑む若きクリエイター達の青春群像と違うんかい!」「「長靴をはいた猫」はどこへ行った?」「なんで撮影シーンがないのか?!」等々。
 「撮影シーン」については、創設当時のフィルムの撮影台は今は東映アニメーションにも残ってなかったようで、マルチプレーン撮影台が現在でも博物館のような所に動体展示はされているのでそこで撮影シーンを撮影する事も出来たかもしれないが、ドラマの進行上どうしても必要なシーンでもなく、さすがのNHKもセットでマルチプレーン台を作る程の予算もなかったのかも知れない。代わりと言えるかどうかわからないが、どうも東映アニメの倉庫から出て来たらしい「トレスマシン」でマシントレスをする所が撮影されて放送されていた。これは「動くトレスマシン」の姿が放送された最後の貴重なシーンでは。(このトレスマシン、後でマコ・プロダクションでもスタジオの小道具として出演していた。)
 なつの姉が彼氏と上京して来るエピソードや、おさなじみが上京して演劇に挑戦するエピソードが続くと、「いらんから、もっとアニメをちゃんと描け」という風当たりが強くなり、「もう観るのは止める」という方まで現れた。
 物語は、最後に「アルプスの少女ハイジ」相当の「大草原の少女ソラ」の大ヒットと、次回作として「母をたずねて三千里」相当の作品制作、また、将来、「火垂るの墓」相当の劇場アニメの制作を暗示して、晴れやかな笑顔と共に終るのだが・・・

 実際の所、「朝ドラ」を最初から最後まできちんと観るのは久しぶりなのだが、正直「ドラマとして面白かった」。録画して観たので、何回か繰り返してみた回もある。さすが大河とならぶNHKの看板番組である。じっくり観ると、照明の当て方など、実に勉強になる。天下のNHKのベテランスタッフがやるのだから上手くて当たり前なのだが、人形・立体アニメを志される方等はこのあたりを良く観ると勉強になるのではないか。
 おさななじみが親やお世話になった方々を振り切って演劇に挑戦する所では、作家として、「そうや、表現者はそういう時はそうなんや」と大いに共感したものだ。
 なつのアニメーターとしての成長を描写した部分では、高校演劇の経験がそのまま生きる所(白蛇伝相当の作品制作時、まだ仕上げ部門にいた頃に、演劇の体験を思い出して描いた練習の動画の動きがそのまま採用された所)や、練習作としての短編「ヘンゼルとグレーテル」のキャラクターデザイン時に、北海道の木彫り人形作家の方の言葉とその製作中の人形の絵を元につくり、マコさんに「あなたの周りにはいろんな人がいるのね。」と感心されたりするシーンは説得力があった。そう、表現者はいろんな人の出会いによって成長していくものだ。

 さて、「暗くなるまで待てない」から、最近の「カメラを止めるな」まで、自主制作映画の佳作には、映画製作の現場を描いたものが多い。それは、キャスト・スタッフ全員が映画製作の経験者であり、製作の体験が表現に生きるからだと思う。

 「なつぞら」のスタッフも、当然映像制作を続けて来た人達である。映像の表現者として、経験を積み、成長してきている筈だ。だから、映像表現者の成長については、経験がある筈だ。
 しかし、悲しいかな、経験があるのは、「実写」の映像であって、「アニメーション」ではない。
 歴史考証として、小田部羊一氏が付いている、アニメ考証として舘野仁美さんが付いている、と言うかもしれないが、必要なのは「アドバイス」ではなく、スタッフ自身の経験だったようだ。
 「なつぞら」は、ドラマとしては実に面白かった。なつの表現者としての成長を描こうとした努力も評価できる。だが、アニメ製作のシーンが、どうも「外から見たアニメ製作」を俳優が演じているようにしか見えないのである。

 そのひとつの原因は、どうも「広瀬すず」他のアニメーターを演じる俳優陣が実際に動画を描いていない事にあるのではないか思うのだ。そんなアホな、「女優」の広瀬すずが実際に使える動画を描けるはずもないと言うかもしれない。
 実際のドラマのシーンでは、広瀬すずは「奥原なつ」として、机に向かい、何やら描いているように演技をしている。別に本物のアニメーターが描いている手元を写して、続けて見せて本物の絵を描いているように見せている・・・のだが。
 本当に動画を描いているのであれば、ああいう視線の動きではない。手の動きではない。「それらしく絵を描いているふりをして下さい」「はーい」ではないか。

 それでは「天陽くん」が絵を描く所はどうか、という事になるが、「止めの一枚画」は小学校以来みんな描いている。経験があるのである。

 「広瀬すず」は、牧場で搾乳を本当にしている。本当に馬に乗って走っている。本当に雪の中スキーを履いて歩いている。本当に牧草を積み上げている。本当に、仮死状態の子牛に人工呼吸をしている。(あれは作り物の子牛だ、と言うかもしれない。しかし、しかにNHKといえども、「生まれたてで仮死状態で人工呼吸をすれば助かる本物の生きた子牛」は手配は出来ないだろうし、仮に見つかっても失敗すれば死んでしまうから使う事はできまい。後でなつは同級生相手に「こうやった」と子牛の人工呼吸と蘇生術を実演しているが、あの人工呼吸方法は正しいのだろう。そうでなければ「あれは違う」と抗議が来るだろうが、それはなかったようなので。)
 それから、高校演劇で女優も本当にしている。それは元々本物の女優なのだから、ちゃんとできるだろう。ちなみに、あの十勝農業高校の演劇部の皆さんは、全員本物の俳優さんである。ただし、なつが演技に目覚める前の「演技の下手な新人部員のなつ」の下手な演技は、らしくなかった。
 本当にやっている事は説得力があるのである。
 だから、下手でもなんでも、本物の原画のコピーを渡して、「こういう風に中間に線を入れて中割りをするんです。」と説明して、本当に描いてもらえば、もう少しリアリティが出たのではないか、と思う。

 それから、アニメスタジオのシーンでも、「遅くまで残業して作っている」所はさんざん描いているが、「よし、間に合って完成した」という所の描写がほとんどないのはどうか。最後の方に、最終話近くの追い込みで、雨中帰って来た制作進行が足を滑らして転倒し、持って帰ったきた作画済み動画用紙を水たまりの中にぶちまけてしまい、「全部書き直し」。スタジオの中が険悪・悲愴な雰囲気になり、「こうなったら動きを減らないと間に合わない」という声が上がる中、なつが「出来ます、質は落とさずにやりましょう!」という所がある。これが、なつの言う通り、皆のスキルも上がっていたので、ぎりぎりだがなんとか間に合ったぞ! という所の描写がない。いきなり最終話の放送である。
 牧場の方では、停電で搾乳機が止まってしまい、乳牛が危うい(乳牛というのは、きちんと毎日乳を搾ってやらないと病気になる事がある、という事を初めて知った)というので、全員総出で手で乳を搾り、ようやく間に合って、牛が助かった、という所をきちんと描いているのである。あの回は感動的だった。アニメの方では、そういう事を描く事をしない方針だったのか。

 それから、劇中劇としての「アニメ」である。これは難しい、というのは判る。「どうしようか」という事は相当議論されたのではないか。

 「料理の味」の表現であれば、一口食べて驚いたような顔を見せ、「美味しい! これ本当にあの不器用な一久さんが作ったの?」と言えば、「ああ、普通に美味しい料理なんだな」と観客は思うだろう。咲太郎が天丼を食べて涙を流し、「ああ、この味だ、父さんが作った天丼の味だ」と言えば、「ああ、そういう味なんだな」と思うだろう。「料理の味」自体を映像で見せる訳にはいかない訳だから。
 しかし、アニメーションは「映像」である。出来上がったものを一切観せず、観客の反応だけて表現する、という選択もあるだろうが、アート映画や実験映像ならともかく、普通のドラマで、ドラマ中で作った映像を一切観せない、というのは変である。
 かと言って、「凄いアニメーションだ!」という所で、その「凄いアニメーション」を簡単に作って観せられるかというと、そんな訳にはいかないだろうかからだ。

 実際、劇中で、希代の傑作と思われる「神をつかんだ少年クリス」(「ホルスの大冒険」相当)は、ポスターのみで、一切映像は出て来ない。なつの大先輩で制作に力を貸した仲さんの「あの作品には満足している。あんなアニメーション観た事ないよ!」という言葉や、麻子さんが、あの作品を観て感動して、アニメーションの世界に戻って来た、というリアクションで、「ああ、凄い作品だったんだなあ」という事は判る。そんなものの本物が簡単に作れる訳もないし、「画を見せない」というのは、この作品については正解だったのではないか。
 だが、まだ仕上げ班にいた頃のなつがラフ描きした動画の動きが採用された「白蛇姫」の1カットについては、もっとなんとかなったのではないか。ここでは、新人の芸大出の堀内君が普通に割った動画に麻子さんが納得せず、さんざんやり直しをさせたあげく、偶然なつのラフの動きを見た麻子さんが「これよ!」と言って、結局なつの描いた動きを堀内君が綺麗に仕上げる、という事で決着したわけだけど、 「堀内君の動きはどうだったのか」「なつのラフの動きはどうだったのか」という事がわからない。彩色前の動画のテスト撮りの比較でいいから、「動き」の表現はこうだよ、ここをこうするとこうちがうんだよ、という事をやってほしかった。

 それから、「ヘンゼルとグレーテル」である。若手スタッフの育成、という事で作られた短編作品で、作って行くプロセスは面白かった。
 だが、あの時期に作られた短編ならば、普通フルアニメになるだろうし、坂場監督がさんざん動きに注文を付けまくっていた所を観ているので、出来上がった映像は「これなの?!」と思わざるを得ない。勿論、ああいう表現をすれば、当時ならば斬新で生き生きとした表現ではあったのだろうが、動きの量的には非常にもの足らない。これは、「坂場監督がこだわったカット」と「放送で見せる出来上がったカット」をなるべく別々にして、「坂場監督が一番こだわったカット」は声優のリアクションだけで見せるようにした方がよかったのではないか、とも思える。

 その後の一連のテレビマンガ群の制作の中で、なつは原画から作画監督に昇格し、「キックジャガー」(タイガーマスク相当)や「魔界の番長」(デビルマン相当)では東洋動画TV班を屋台骨として支える存在になっていくわけだが、そのあたり「何で上手くなったのか」という事が全然描かれていない。普通に観ると、「アニメって、長く描いていれば、上手くなる」ようにしか、普通の人は思わないのではないか。そんな事はない!

 この「キックジャガー」の放送中に、なつが家に持ち帰って作画作業しているシーンがある。仕事をしているなつの向いではなつの娘優ちゃん(4歳)がお絵描きをしているという情景だ。そんな日々のある朝早くになつが目覚めろと、優ちゃんが起きて机に向かってなにか描いている。観ると、キックジャガーの動画の上から画を描いている。驚いて叱ると、一久さんも起きて来て、他の動画を見て「これはなんだ」と言う。見ると、絵はむちゃくちゃだが、ちゃんと動いている。「寝ていないママのお手伝いがしたかった」との事で、なつは動画を会社に持って行って、「うちの娘は天才よ」と自慢する。
 「4歳児が動画を描けるのか」という所だが、子どもアニメ教室をやっている経験から言うと、おおむね3歳位から、「ちょっとずつ違った絵をコマ撮りすれば、動く」という事は理解できるようになる。母親が動画を描いている向かいで毎日絵を描いている優ちゃんが、見て覚えてこれくらいは出来て不思議ではない、と思う。それにしても優ちゃんは4歳児にしては絵は達者だね。ここの部分は良かった。

 最後に「大草原の少女ソラ」。打ち切り寸前から、視聴者からの支持によって盛り返し、なつの妹との再会のきっかけになった作品。一話と、牛の暴走の回、目玉焼きの回と良く出来ていたが、最終話は「えー???」である。あれならば、あっちこっちの家庭でテレビを食い入るように観ている親子を写して、「音」だけで良かったのではないか。「水たまりに原動画をぶちまけた」エピソードは、この不出来のいいわけなの? とすら思えて来る。これでハッピーエンドはないだろう・・・

 結局、「その時代風の、それらしいアニメを出来るだけ作って、該当の所にはめ込む」という事しか出来ない、という事になったようだ。やむを得ないところだが、もう少し工夫もできたかもしれない。

 まあ、アニメーションの部分について、こういう風に思うのは、アニメのファンだけであって、一般の人はそこまでこだわらないかもしれない。酪農関係の人は酪農部分に不満はあるかもしれないし、製菓関係の人はお菓子作りの部分で不満があるかもしれない。専門外の人には判らない部分があって当たり前ではある。

 ただ、普通の人が観て、「ああ、アニメーション創りは素晴らしいんだなあ。ぼくもやってみたい」と思わせる作品ではなかった事は確かである。「あの天丼が食べてみたい」とか、「中村屋のバターカレーを食べてみたい」とか、「しばた牧場の美味しい牛乳を飲んでみたい」とは思うだろうけれど。アニメーション創りの素晴らしさを実写のドラマで再現する、というのは非常に難しく、挑戦はしてみたが、表面をなでるだけで、なかなかうまく行かなかった、という所だろうか。

 次は、アニメーションでやってはどうか。「なつぞら!」とか、「なつ☆ぞら」とか、「秘技タップ割りの巻」「永遠の同トレスの巻」とか。どうでしょうか?  

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