<2021.07.26 K.Kotani>日本アニメーション学会第23回大会 「アニメの歴史と地方そして多様性」


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2021年6月26日

日本アニメーション学会第23回大会 「アニメの歴史と地方そして多様性」





 6月26日より27日迄、オンラインにて、日本アニメーション学会第23回大会 「アニメの歴史と地方そして多様性」が開催されました。今回は新潟県新発田市にある蕗谷紅児記念館等の協力を得て、新発田市出身で、日本のマンガ史の初めの方に必ず名前の出て来る漫画家「寺田ヒロオ」と、同じく戦後日本アニメ史の初めの方の東映動画の所に必ず名前の出て来る画家「蕗谷紅児」を取り上げたシンポジウムから始まりました。
 自主制作関連の発表としては、日本の個人制作アニメーション史にその名前と業績を残す「相原信洋」の作風の変遷とそのターニングポイントに焦点を当てた清家美佳さんのもの、アニメーターの演技力についての森友令子さんの発表、またアニメファン文化のアーカイブ化に関する、丹羽明子・丹羽真人さんのパネル発表がありました。
 27日の発表終了後はZOOMによる懇親会が開かれ、各分室で、発表に関する感想や意見・情報の交換などが活発になされました。リアルタイムで相手の顔を見ながらのやりとりはやはり良いですし、後に記憶に残る部分があります。最終日のみならず、両日の昼休みや、初日の終了後にもあって良かったのではないかと思います。(主催側は大変でしょうが。)
 今回は、前回と違って、Peatixによる申し込み、そこからSlackによるやりとり、Zoomによるメイン発表、YouTubeによるオンデマンド発表、またSlackによる質問と意見交換と、いったり来たりで迷路脱出ゲームのような大会参加となりました。「大変ややこしいので簡単にしてくれ」と言うのは簡単ですが、内容の漏洩防止などを考えると、「いろいろ検討の結果こうなった」という事なのでしょう。遠隔地の実会場での大会の事を考えると、経費も安く、移動時間の少ないオンライン参加は参加者も多くなるでしょうし、今後実会場での開催が復活しても、ハイブリッドでの部分参加も検討できないでしょうか。
 またZOOMでの懇親会で盛り上がった「アニメーターの演技力」についての意見交換の中で、3Dアニメの動きの付け方について、アメリカでは、「人海戦術」により、人間が細かく細かく動きをコントロールする方向に進んでいるらしく(だから、3Dのキャラクターが昔のディズニーアニメみたいな演技と動きをする訳か・・・)一方日本では、「モーションキャプチャー」で3Dのキャラクターを動かす方法に進んでいるという話がありました。
 はたしてこの方向で良いのか。以前より、3Dのアニメの映像の文法と動かし方は、実写映画と2Dアニメの手法・技法の蓄積を転用する方向で進んで来ているように感じており、「3Dアニメは3Dアニメなりの文法と動かし方があるはずではないのか」と思っていましたが、この日のやりとりではたと感ずるものがありました。
 また以前にジブリの「熱風」上で、宮崎吾郎監督が「3Dには作画の品質のバラツキがないから良い」というような趣旨の発言が掲載されており、「何故パラツキがなければ良いのか」という疑問も感じていました。確かに90年代頃迄の手描きのアニメは描き手によってバラツキが大きく、「ヒロインのアップの顔がこの画で許されるのか!」としか言い様のない情けない崩れた画から、惚れ惚れするような美しい画までが時には同じ放送回に混在していました。もちろん絵の質は一定以上に揃えた方が良いだろうし、そのファンの声に応えた結果、現在のような徹底的に絵の品質を一定以上に全部コントロールする体制になったのでしょうが、昔のような傑出したクォリティの絵まで見かけなくなりました。
 「3Dでは、決まった人形のようなキャラクターを動かすのだから、顔の品質は一定にしかならない。」と言われるかもしれない。しかし、実写の映画でも、同じ人物が、撮り方と演出によって非常に魅力的に写ったり、「これ誰?! え、◯◯なの!?」と言いたくなるほどブサイクに写ったりするのだから、3DのCGで出来ないはずはないと思う。  さらに3Dアニメの製作は分業化されていて、キャラクターの形を作る人、動かす人、外側のテクスチャーを作る人、その他の作業の方が別々に打ち合わせをしながら作業をして絵を作っているそうです。ものを創るのに「合議制」では、どうでしょうかねぇ。まあ出来上がったものが一定以上のものだから、成り立ってはいるんですが。
 3Dアニメのパートに仕事を頼む方でも、「これでどうですか」と出来上がったものを出されて、「ちょっと違うけど、これもいいな」と受けてしまっているのではないか。「ちょっと違う」「どう違うんですか。どう直せばいいんですか」という微妙なあたり、「ここを、こう、直してくれたらこうなって、結果がこうなる。」という指示ができない。仕方がありません。
 最近放送された「ゴジラSP」のCGシーンがそうではないか。怪獣登場、「テレビのアニメでこんな高品質のものを作って予算は大丈夫なのか」と思う程素晴らしいカット。しかし、何か少し違う。ひょっとして、「凄いCGのカットが出来たので、これを使う本編を作ろう。」と本編を作ったのではないか、というのは私の考え過ぎかもしれないが。
 この日のやりとりの中で、私の感じていた「違和感」のようなものを、他にも感じている方が居る事が確認できました。ならば、ここに未開拓の広大な原野があるはずです。
 「こういう映像を作りたい」という明快で強烈なイメージを持ち、どうやったらそういう映像が出来るのかという事について、3D制作の各パートに関する抜群の知識と技量を有し、独裁者の如くスタジオに君臨し、各スタッフに恨まれながらも作品を完成に近づけて行く、そういう人が現れるのではないか。一人なのか複数人なのか、今年なのか3年先なのか20年先なのかは判りませんが。私が3Dアニメに感じている「違和感」を感じている方がいる限り、そういう方が現れるのは、時代の必然ではないかと思うのです。
 3DCGアニメは時代の先端分野であり、多くの若者がその分野を志しています。願わくば、私の生きている間に、その若者達の中から素晴らしい才能の持ち主が現れ、3Dアニメの今の限界を超えた映像表現を観せてくれる事に期待しています。  

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