<2022.04.24 K.Kotani>NEW BOOKS「アニメの「てにをは」事始め」(熱風連載・終了)


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2022年4月24日

NEW BOOKS「アニメの「てにをは」事始め」(熱風連載・終了)





 スタジオジブリの広報誌、「熱風」に連載中だった、石曽根正勝氏による「アニメの「てにをは」事始め」が、2022年3月号で全12回の連載を終了しました。
 さて。アニメーションの従来の評論とは違い、アニメーションをアニメーションたらしめている「動き」からアニメーションを論じようと言う筆者の試みは斬新でしたが、結局、「あんな事があった。」「こんな事があった。」という事象の羅列に終ってしまったような印象です。
 「論」とすれば、なんらかの「原理」をアニメーションの動きの表現から導きだし、「そうだったのか」と周りを納得させる展開があってしかるべきかと思いますが、どうもそうではなかった。
 結局、「この人、映像表現というものをもひとつ理解していないんじゃない?」という事を随所に感じました。主に商業作品のアニメーションに鑑賞者として接し、制作現場にいらっしゃったが、表現に関わるスタッフとしてではなく制作進行の人間として多くの素材に接し、完成品を見るという立場におられた方としては普通と存じますが。鑑賞者の立場として作品を鑑賞されていた方が、ひょこっと制作の中に頭を突っ込み、「あっ、こんな事がある。」「おっ、こんな事もある。」という事象を発見し、考察を広めた、という事ではないでしょうか。
 作家がアニメーションを使ってものを表現するとき、その作家の内部がどうなっていたか、なぜそういう手法を使ってそういう表現に至ったか、という事は、完成した作品を観るだけではなかなか判らない。その作家の書いた文章を読み込むか、作家にそのつもりでインタビューしないと理解には至りづらいと考えます。しかし、そういう事をされた形跡があまりない。
 たとえば、押井守氏の作品の「止め」の表現について述べられた部分について、そういう事を強く感じました。あそこは、表現として「止めて」いるのであって、「止まって」いるのではない。以前にアニメ学会の大会の講演時に、「アニメーションなんて動かす必要はないんです。印象的な絵をポン、ポンと見せればそれでいいんです。」というような発言をされ、翌日会場の学校の小田部氏が「あれは、押井先生の作家としての発言であって、君たちはまず動かして表現する事を学びなさい。」というような事を学生の皆さんにおっしゃって居た事を思い出しました。
 石曽根氏は今後も考察を深められる、という事ですので、今後の展開に期待したいと思います。

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