2022.4.27 K.Kotani>
不定期連載・自主制作アニメについて考える 4.自主制作アニメと音楽(前)「蒸気船ウィリー」以来、アニメーションには音楽、セリフ、効果音がつき、「トーキー」と呼ばれる総合芸術となった。 自主制作アニメーションも同じである。ただし、自主制作アニメーションのメディアとして初期に使われて来た8mmフィルムは、当初はフィルム本体は映像だけで、フィルムに音声を録音・再生する事はできず、映写と同時に別にレコードやテープで音声を再生する事でトーキー化していた。映写機にフィルムをかけてスタート位置で止め、テープを回して決まった所で「ヨーイドン」と映写機を回して音と映像を同調させる事がよく行われた。しかし、民生用の別々の機器を回すわけだから、それぞれ微妙に速度が異なる。最初は合っていても、途中で登場人物の口の動きとセリフが合わなくなる事がよくあった。そのため、映写機には速度微調整の機能がつけられ、セリフが遅れている時は映写機の回転を遅く、セリフが進んでいる時は映写機の回転を速くして、映写中に音と映像を職人技で合わせる、という方法が用いられた。後に、テープの速度をローラーの回転で検知して映写機の速度を自動調整する機構や、テープのステレオトラックの片側に映写機コントロール用の信号を録音して、その信号で映写機の速度をコントロールするという方法が開発された。 最終的に、8mmフィルムの片端に細い録音用のテープを付ける(磁気材料を塗布したり、細いテープを貼付ける)事により、問題は解決された。撮影・現像後のフィルムに録音テープを付けたり、「アフレコフィルム」という名称で、最初から録音帯の付いているフィルムも発売された。また、カメラの方にも録音機能が付けられ、同時録音、略して同録カメラとして発売され、同録専門の同録フィルムも同時発売された。ただし、同録カメラの発売にやや遅れて、家庭用ビデオムービーカメラが発売され、同録カメラを含む8mmフィルムを使用した8mmカメラは家庭用動画録画撮影機としては、市場での使命を終えた。 家庭用としては使われなくなった8mmフィルムカメラだが、個人・自主映画サークルの作品制作手段としてはその後かなり長く使われつづけた。(なんと今でも8mmでフィルムで映像作品を作る事は可能である。)その理由は、ビデオでの大画面での上映が非常に難しかった事が上げられる。当初のビデオプロジェクターは非常に高価で操作が難しく、映像が暗くて解像度が低かった。1985年に始まった広島国際フェスでも、最初の頃は、ビデオ上映になると、舞台の袖から、小型のビデオ用スクリーンが係員に押されてしずしずと登場し、上映が終ると退場していた。 さて、この録音機能を持った8mmフィルムで、当時(1970年代後半〜)の自主制作アニメーションは作られていた。当然のように、ほとんどの作品は音声が付いていた。さらに、この音声のうち音楽は、ほとんどが既成(市販のレコードやCD、またはテレビやラジオから録音したもの)のものだった。オリジナルの音楽を作って付けていた方はほとんどおらず、たまにオリジナル音楽付きの作品が現れると「ニュース」になる位だった。アニメーション以外の実写作品でも事情は同じで、みんな、そういう著作権のある音楽を無断で無料使用した作品を堂々と「自分の作品」として発表し、入場有料の上映会で上映したり、コンテストに出品して賞金・賞品を獲得したりしていた。昔、アマチュアアニメサークルの上映会で「へんな女」というアニメ作品を観た事があるが、水原弘の「へんな女」という歌謡曲に、歌の内容にそった絵を付けた作品だった。また、音楽ではないが、ゲームで「パックマン」というものがあったが、(今でもある?!)、そのパックマンのキャラクターと画面をそのまま使った作品があって、どうも「連作」としてシリーズとして作られていたらしく、「私のパックマンの第何作です。」というコメントがパンフに載っていた。 70年代から80年代にかけて日本の自主アニメ界において絶大な影響力をもっていたPAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)で上映されていた8mm作品でも事情はほぼ同じで、音楽無断使用の作品がずらりと並んでいた。 では、当然著作権法違反となるこれらの作品の作者達は怒られなかったのか、というと、「怒られた」という話は聞いた事が無い。では、昔は作品への音楽の無断使用は違法ではなかったのか、というと、当時も今も当然違法である。よって、怒られたら作品の発表は控えないといけないし、音楽使用料を請求されたら支払わないといけない。ただ、怒られなかっただけである。 考えてみたら、アマチュアの自主映画上映会に音楽会社の関係者がいちいち足を運んで「著作権違反はないか」などと一々チェックするほど暇ではあるまい。 また、昔も今も、プロの側としては、アマチュアの人間がお遊びでやっている範囲であれば、いちいちとがめ立てはしない、という慣習があるようだ。アニメのキャラクターでも、ファンが自分で描いた主人公の顔を表紙に使った同人誌はずいぶんあったし、今でもあるのだろうが、ファン活動の範囲でとどまっているものについては怒られないようである。しかし、コミケ会場などで一般にある程度の量を販売するものについては、問題になりかけた事があったらしく、現在は著作権処理をちゃんとしているようである。 壮大なファン活動としては、「劇団ガンダム」というものがあった。関西の演劇関係者などが集まり、ガンダム寸劇、ガンダム歌謡ショー、ガンダム体操、ガンダム講談、実物大ガンダム(高さ18mの垂れ幕ですが)の制作展示などのイベントをされていた。東京公演の際は、なんと御大富野氏が来場され、舞台上のイベント主催関係者と握手をされるシーンがあったそうである。この劇団ガンダムであるが、念のためサンライズを訪問されて、サンライズの担当者とお話をされた事があったそうだ。その折のサンライズ側の姿勢としては、要は、「ファン活動としては素晴らしいものなので、ファン活動としてやっていただく事は結構です」という事だったそうだ。 どうも、一線を踏み越えなければ、かまわない、という事であるが、では、一線はどこにあるのか。まもなく庵野秀明監督の「シン・ウルトラマン」が公開される。庵野監督はアマチュア時代にも「ウルトラマン」映画を制作しており、芸大在籍時に8mmフィルムで「ウルトラマン」「ウルトラマンDX」を制作、これはアニメーション全国総会の神戸総会で持ち込み上映されたので、観た事がある。また、その後、学外のサークルで「帰って来たウルトラマン」という作品(超大作)を作り、これは大阪で開催されたサークルの上映会で上映されたので、8mmフィルムの生上映を観た事がある。ここまでは怒られなかった。怒られたのは、「帰って来たウルトラマン」をVHSソフト化して売り出した時である。関係者が円谷プロに呼び出され、「何本位売ったのか」と詰問されたそうだ。以後、ソフトとしては封印されていたが、その後庵野監督のエヴァンゲリオン旋風の最中、円谷プロの許可が下りて数量限定でDVDが発売されたので、ご購入された方もいらっしゃるだろう。 危ない、という点では某SF大会OPアニメがある。短いアニメだったが、出色の出来で、大会中ダレてくると、「OPアニメをただいまから上映します。」というと会場が再び盛り上がったので、再三上映されたそうだ。このOPアニメは2大会に渡って2本制作され、その後VHSソフト化され、販売された。もの凄く売れたようで、なんと、うちの近所のレンタルビデオ屋にも並んでいた。 何が危ないのかというと、このOPアニメ、著作権のあるアニメ・特撮キャラクター使いまくりで、また音楽・効果音も無断使用、2大会目の作品に至っては、キャラクターはもちろん、海外の某アーチストの音楽をほほそのまま使って曲に合わせて絵を付けていた。某SF大会の中での上映だけならともかく、ソフト化して売りまくったのだから、怒られても不思議ではない。運がよかったと言うしかしかたがない。 なお、このOPアニメ、最近当時のあのへんを舞台にしたTVドラマの中で一部放送された。「なつぞらみたいに、再現して作った?」という方もいたが、当時の8mmフィルムをテレシネした本物である。ただし、音は、ドラマの中では音響設備の故障、という事にして、サイレントで放送された。このへんは著作権に配慮して、絵の方も差し障りの無い範囲で使ったのではないか。 TV番組の中では、音楽に付いては音楽著作権を管理している会社とTV局側で契約が結ばれていて、その会社で管理している音楽については、TV局側からまとめてお金が払われているから、基本的には既成の音楽であっても放送してかまわないはずである。ただし、これは以前テレビ番組制作をしている会社の方から聞いた話だが、「レコード・CDで販売されている曲は使えるが、テレビ・ラジオ放送から録音した曲については、たとえ全く同じものであっても使えない。」という事だそうだ。あの頃は皆テレビ放送のアニメ主題歌とか番組自体をカセットレコーダーで録音して聞いていたから、そういうものが音源だとすると、TVでは放送できないと思われる。制作してずいぶん年月が経った作品なので、「あれは、どうだったかなぁ」と関係者の記憶もあいまいになっていたのかも知れない。 1980年代にNHKの「YOU」という番組(「若い広場」の後番組)の中で自主制作アニメーションが取り上げられた事があり、その時は、ユーミンなどの既成音楽を使った自主制作アニメがそのまま放送されていた。当時は多少基準が甘かったのかもしれないし、制作後まもない作品が多かったから、全部きちんと確認できたのかもしれない。 さて、以上のような状況の中、日本の個人・自主制作アニメ作家たちはせっせと8mmフィルムで作品を作っては既成の音楽を無断使用し、上映会で「作品」として発表していた。 「えらい事」になったのは、1985年に広島国際アニメフェスが始まった時である。「それっ」と、日本の個人・自主制作アニメ作家たちは作品出品しようとしたが、大変な事がわかった。まず「規格は16mmフィルム以上・8mmフィルムの作品は応募できない」という事である。当時は、ブローアップと言って、8mmフィルムを16mmフィルムに拡大焼き付けするサービスがあったが、画質は大きく劣化する。8mmでそのまま上映した方がきれいな位だ。なので、ごく少数の例外を除き、人形アニメや粘土アニメなど、再撮影の出来ない作品は出品断念となった。 次に、「音楽を無断使用している作品は使用できない。」という事である。なお、音楽の著作権には、曲の著作権と演奏の著作権がある。クラシックの曲など昔の曲については、曲の著作権は切れているが、最近の演奏のものについては、演奏の著作権をクリアーする必要がある。 たとえば、当時の「せんたっきー せんたっくん」という自主制作のペーパーアニメについて言えば、最初は8mmフィルム・既成の音楽を使用した作品だったが、使用していた曲がクラシック曲であり、ペーパーアニメでもあったため、16mmで撮り直し、同じ曲を別の方に演奏を依頼して16mm化したものがあった。けっこうお金はかかったはずである。 さて、近メ協よりも広島フェスへの応募を試みた。元々の近メ協の会員の作品に加え、8mmフィルムでの作品公募上映を行い、その中から優秀作を16mm化して広島に応募しようということになった。前年より応募要項の入手、16mmカメラの購入から撮影台の製作、フィルムの入手と現像方法の調査、音楽と音入れの方法の確認等、ほぼ「蘭学事始」に近いような状態で、あちらこちら走り回り、4月頃には「なんとか行けそうだ」という状態までたどりついた。 5月に公募作品上映を含む自主上映会を開催、公募作品の中から16mm化の候補に残った2作品があった。(後編に続く) (次回は、「自主制作アニメと音楽(後)) |
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