<2022.7.29 K.Kotani>不定期連載・自主制作アニメについて考える 6.自主制作アニメのインフラ(上)


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2022年7月29日

不定期連載・自主制作アニメについて考える 6.自主制作アニメのインフラ(前)





 芸術はなんでもそうだが、特に映像芸術は、製作機材の有無性能によってその発展が大きく左右される。そもそも毎秒数十コマで撮影できるムービーカメラと長尺のフィルム、それに映写機がなければ映画というものは生まれなかったものだし、コマ撮りできるムービーカメラがなければアニメーション映画というものは作る事はできない。
 70年代から80年代にかけての自主制作の興隆期は8mmフィルムカメラの低価格化と高性能化によってもたらされたものだし、80年代後半から90年代前半にかけての低迷期は8mmフィルムメディアの衰退によるものだ。さらにパソコンの低価格化と高性能化、使いやすくて多機能のアニメーション製作ソフトの登場が90年代後半から現在に至る自主制作アニメの繁栄を生み出した。
 この変化を「自主制作の作家は、昔は8mmフィルムで作っていたが、最近はパソコンで作っている」とだけとらえて良いのだろうか。
 この文章では、製作環境の変化が作家の創作活動にどういう影響を与えてきたか、という事について考えて行く事にしたい。

 まず、8mmフィルムムービーカメラである。8mm以前には16mmフイルムがアマチュア用に用いられていたが、普通の家庭で記録用に使うのにはあまりにも高価であり、お金持ちの道楽や、スーパーハイアマチュアの映像作家が使用する程度だった。16mmを半分の幅にして折り返して使うダブル8(レギュラー8)が登場すると、価格は一気に下がって普及にはずみがついた。横幅が半分という事は縦も半分という事で、同じ量のフィルムで4倍の時間の映画が撮れる。実際には4倍ではなく、10倍くらいの差があった。16mmはスチルカメラの様にネガフィルムで撮影してそれをポジに焼き付けるというプロセスが基本だったためだ。
 さらに、最初から8mm幅のフィルムをカートリッジに詰めたスーパー8やシングル8が登場すると、フィルムをひっくり返して再装填するという手間が無くなり、さらに8mmフィルムを使った映像撮影は普及した。16mmフィルムを転用したダブル8に比べてスーパー/シングル8は画面サイズがやや大きいため画質も良かった。カメラメーカー各社は競って8mmフィルムカメラを発売した。
 この8mmフィルムカメラには、当初からコマ撮り機構を搭載したカメラが多かった。よって、普通に家庭行事を撮影した後、余ったフィルムでコマ撮りをしてみた人も多かったに違いない。
 さて、元々家庭用行事の記録用として作られた8mmフィルムカメラだが、写真と同じく音は記録出来ない。よって、音声が必要な場合は別にテープレコーダーで音声を録音し、上映時に映写機とテープレコーダーを並べて音と映像を同時に再生する必要があった。機材が元々家庭用の機器で精度はあまり高くないため、しばしば音と映像がずれ、口はパクパク動いているのに声が聞こえない、という事もしばしばだった。このテープレコーダーと映写機を同調させる装置、というのも開発され販売されていた。その後、フィルムの端に磁気帯を塗布し、そこに録音するという方式が開発され、一挙に「上映・再生時に音と絵が合わない」という問題は解決の方向に向かった。そして、撮影時にフィルムの磁気帯に音声を同時に録音する、という同録カメラが発売されると、家庭用ムービーは一気にそちらに向かった。さて、この同録カメラ、確かに画期的なカメラなのだが、問題点もあり、一つは8mmフィルムカメラというものは「ジャー」という撮影音がかなり大きくて撮影録音時に「ジャー」という撮影音が録音されてしまうこと、また、撮影された映像を映写する場所と、音声を再生する場所が約1秒間ずれていて、同録したフィルムを編集すると、音と絵がまったく関係ないシーンが約1秒間できる、という事だった。
 さて、この同録カメラの発売であるが、当時興隆を迎えようとしていた自主制作アニメのビギナー達には思わぬ恩恵を与えていた。というのは、それまで販売されていた録音の出来ない8mmフィルムカメラは一気に旧式になり、同録カメラに買い替えた一般の方が下取りに出した旧式カメラが市場に潤沢に中古カメラとして流通し、同時に録音の出来ない8mmカメラの新品も「不動在庫」になって、格安で買えるようになったためだ。
 かくて「コマ撮りの出来るムービーカメラ」を手に入れた自主制作者達は、70年代後半から80年代前半にかけての自主制作の興隆期を支えることになったのである。


 この頃の8mmフィルムで作られた自主制作アニメには、後年のコンピュータ製作作品にないいくつかの特徴がある。なお、筆者の都合上、話の中心が平面アニメになるので、ご了解願いたい。
 まず、実体としてのフィルムを使い、また、カメラの前に被写体を直接置いて撮影する、という点である。ファインダーで見えるものがそのまま写るのであるから、すこぶる直感的で分かりやすい。ただし、一旦撮影したフィルムを巻き戻して再度重ねて撮影するという事位は可能だが、コンピュータ製作のように、ばらばらに取り込んだ素材をパソコンの中で自由自在に組み合わせて作る、という事はできない。フィルムでの撮影時には原則として全ての素材がカメラの前に並べられなければならない。
 また、一寸撮ってみて、動きをみてやり直す、という事は出来ない事はないが、基本的にフィルム1本分、約3分単位での撮影しか出来ない。新品のフィルムで10秒位撮って後は空送りして現像に出し、動きを見る、という事は不可能ではなかったが、誰もやった人はいない。フィルムも現像もそれぞれ何百円か位のお金がかかるものだし、現像に出してから出来上がるまで数日はかかるのである。
 また、撮影も結構大変で、フィルム1本3分分撮り終わるとクタクタになる。数百枚の絵を撮影表に従って取り替え取り替えしつつ、約3600回シャッターを切るのだから、36枚撮りフィルムを100本撮った位の作業回数となる。意識が朦朧としてきて「手」を写し込んだり、動画の取り替え中なのにシャッターを切ってしまったり、そのミスショットをカットするのを忘れて、上映時に「手」がスクリーンに写ってしまったりする。(観客席から、「あっ」という声がでると、「ああ、あの人の作品なんだな、という事が判ったりする。)
 これがパソコンだと、撮った後ですぐ結果が出るので、タイミングをすこし変えたり、背景を入れ替えたりする事が簡単に出来る上、こういう「あっ」という失敗はあまり起こりえないのである。
 よって、フィルムでの撮影は一発勝負で、一旦撮ったものはよほどの事が無い限りそのまま使う。(よほどとは、「全く写っていない」という場合とか。故・相原信洋氏はカメラにフィルムを入れ忘れて撮影し、全部撮り終って意気揚々とカメラの蓋を開けて愕然とされたそうである。「あの時は、青春が終ったか、と思いました。」とはご本人のコメント。)
 ここで8mmフィルムカメラのひとつの特徴として、「ファインダーに見えている絵と、フィルムに写る絵が少しずれている。」という事がある。フィルムスチルカメラでも同じだが、おおむね、ファインダーで見えている絵は、実際にフィルムに写る絵の90%強である。映写機にかけて上映する時、上映されるのはフィルムの90%くらいだし、スチル写真でも、プリントに焼き付けるのは中央部の約90%くらいだから、それで実用的にはかまわないのだが、問題は真ん中部分がきっちり小さく見えているのではなく、縦・横や斜め上下にずれている事にある。このずれはカメラの個体差でばらばらであって、一定ではない。
 実写(あるいは人形・粘土アニメ)であれば、よほどの事が無い限り問題はないのだが、平面アニメーションの場合は困る。作画する時に四角いフレームを決め、その中で演技させるのであるが、画面がずれていると絵が外にはみ出したり、絵の描いていない白い部分が写ったりする。時には「タップ穴」が写り込んだりもする。これを防ぐためには、テスト撮影をして、どういう風にずれて写るのかを撮影したフィルムをルーペで検査して確認し、ずれる分を補正して絵の位置をずらして撮影する事が必要になる。(この、わざとファインダー上で絵をずらして撮影する、というのは、実際にやると結構勇気が要るのである。)
 故・相原信洋氏の回顧上映の際、とある作品の中央部の最上部に、半円形のものが写っていた事があった。フィルム上映ではなく、フィルムをテレシネしたビデオ上映だったのだが、テレシネ時にフィルムのフレームを周りをカットせずに全部スキャンしてしまったために、タップの中央のピンの下半分が見えてしまっていたのである。フィルム上映ではそんな事はなかったのだが。


 さて、この大変なアニメのフィルム撮影であるが、もう一つ、撮影フィルムのタイプ、がある。シングル8だと、屋外撮影用の太陽光仕様・低感度、高画質のR25と、屋内撮影用の電球光仕様・高感度、粒子の粗いRT200があって、当時から「アニメは電球光で撮影するのでRT200で撮影する」と説明している人もいたが、高出力電球を使い、青いフィルターで補正すると、太陽光用のR25でも撮影できたし、電球自体に青く着色して太陽光同等の色温度の光が出るブルーランプというものもあったので、高画質のR25を使って撮影する人が当時から多かった。ただし、300Wとか500Wとかの電球は結構高価だし、また光もどんと出るが熱もバンバン出るので、これも撮影中に意識朦朧となる原因だった。また、フィルムの色温度を間違えて真っ赤っかの撮影結果となったものがそのまま上映会にかかっている事も時々あったのである。試写の時に「うわっ」と思っただろうが、すでに再撮影する気力も体力も財力も尽きていたらしい。
 また、「繰り返し」(同じ動きをくるくる繰り返す事)であるが、コンピュータだとワンループを一回取り込んで後は繰り返し回数だけコピー&ペーストですればよいのであるが、フィルムだと、繰り返す回数だけカシャカシャ撮っては絵を取り替え撮っては絵を取り替える作業を繰り返す必要がある。この繰り返しが10回くらいだと、「はて、何回繰り返したっけ?」という事が起こりうる。アニメサークルでの撮影シーンでは、繰り返しの撮影になると、必ず、「おーい、ちょっといいかな?」と割り込んで来るメンバーが現れて、何回撮ったか判らなくなるらしい。
 さて、この大変なフィルムでのアニメ撮影であるが、製作についていえば、「一発勝負」であるために、撮影前に、全部の素材がきちんと完全に揃っておかねばならず、平面アニメーションの場合は、どの絵をどの順番で何コマ撮るか、という事を撮影前には全部きちんと決めていないと撮影にかかる事ができない。
 この撮影前に、全部の撮影手順を決めておく、という事の為に、昔は「ストップウォッチ」を使った。頭の中で動きをイメージする、その動きをストップウォッチで計る、3回計ると大体正確な時間がでるから、その時間に合わせて作画していく訳である。作画と同時にどの絵を何コマ撮るかを決めてシートに記載する。
 もっとも、ここまで厳密に作る人は少なく、「5秒」とか、「3秒」とか適当に決めて作ったり、作画して出たとこ勝負で作る人も多かった。絵コンテに「5秒」と書いてあるので5秒分撮ったが、演技が3秒で終ってしまっているので、2秒間ぼーっとキャラクターが立っていたりする作品もあった。
 長いのは後で切る事もできるが、短いのは後で足せない。しっかり表情を見せないといけないのに一瞬で終ってしまって何かよく分からないカットのある作品もずいぶんあった。
 こういう事が何で直らないのかというと、要は撮影が大変なために、初作品を勢いで作った後、撮影の大変さにげんなりして第二作にとりかかれなかったり、第二作製作途中で撮影の大変さを思い出して挫折したりする人がものすごく多くて、初回の失敗を反省して改善する間もなく消える作家が大半だったためである。
 こういう事はパソコン制作であればすぐに直るのである。(はずである。)
(続く)

 
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