<2022.9.24 K.Kotani>不定期連載・自主制作アニメについて考える 6.自主制作アニメのインフラ(中)


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2022年9月24日

不定期連載・自主制作アニメについて考える 6.自主制作アニメのインフラ(中)





 8mmフィルム時代は、撮影が大変だったので、現像して「あっ、しまった」と思っても直さずにそのまま上映してしまう事が多かった、と前回の記事に書いた。
 しかし、こういう事はパソコン制作であればすぐに直るのである。(はずである。)で終えたのだが、実際、すぐに直せる筈なのに直さずにそのまま上映しているとしか思えない作品も結構現在でも多いのである。
 まあ、楽になったとはいえ、撮り直し、再編集もそれなりに手間のかかる事だから、仕方の無い事なのかもしれないが、手間のかかる、という事とは別な要因もあるようだ。
 それは、「こういう映像を作りたい」と思っている目標の映像が見えていない、という事ではないかと思っている。
 私は初心者向けのアニメの教室の講師をしているのだが、受講生の方と出来上がった映像を観た時に、「これでいいでしょうか?」と聞かれる事が時々ある。はて、判断されるのはご自分のはずなので、「ご自分で納得されたのであれば、いいと思います。」と答えているのだが。
 逆に、「あっ、これですこれです。」と喜んで納得されたり、秒10枚・3フレーム撮りでで撮影した動画を秒5枚・6フレーム撮りに直して、カクカク動く所を観て、「あ、こっちがいい。」と言われる方もいて、こちらは「ああ、作りたい映像が見えているんだな。」と思う。
 つまり、映像を作る際に、「こういう映像を作りたい」というイメージをきちんと頭の中に思い浮かべて、それを作り上げていく人と、頭の中にイメージが浮かばないままに、取りあえず作ってみる人がいる、という事だ。



 以前、動画を描く時に、順書きと原画・中割りの描き方の比較で、順書きの方が優れている、なぜなら「スターアニメーター」は順書きで描いているから、という話がネットで盛りあがっていて、何の事かと思っていたら、安彦良和氏が「順書きだろうが中割りだろうがダメなものはダメだ」と一喝して収束した事がある。つまりは、目標とする画面がイメージ出来なければ、描き方を変えてもダメだ、という事ではないのだろうか。
 一枚の絵を描くときにも同じような話があって、普通鉛筆で原動画を描くときは「大体このへんかな?」という当たりに軽くサッサとアタリをつけて、ラフで絵を描いてみて、最後にきちんと線を引いているのではないかと思うのだが、「宮崎駿は一発で描く」という話があって、鉛筆をとると一発でしかるべき位置にしかるべき絵を描く、出来上がった絵は見事である、というお話だ。「ここにこういう絵を描く」というイメージが鮮烈に見えていて、そこに一発で絵を描く画力がある、という事だと思う。
 この点は今でも昔でも変わらない所だと思うが、フィルムからパソコンに制作方法が変わった現在、特に、「とりあえず作ってみて、出来上がったものを確認しながら徐々に修正して制作して行く」という作り方が一般化していて、最終的な映像をきちんとイメージできている人はそのイメージに合わせて制作して行くだろうし、出来ていない人は出来上がったものを見てそのまま行くか別に変えるか判断しているのだろう、という事だろう。



 また、フィルム時代の特徴として、もう一つ、フィルムが実体であって、手に取ってみる事ができる、触る事ができる、という点がある。撮影・現像が終ったフィルムを手に取ると少しずつ違った絵がずらりと並んでいて、「なるほど、この少しずつ違った絵を連続して上映すると、動いて見えるのだな。」という事が直感的に判る。
 この「手に取って触る事ができる。」という事を利用して、8mmフィルム時代には、「コマ撮りをせず、フィルムに直接絵を描く」「現像したフィルムの膜面を針で引っ掻いて絵を描く」方法でアニメーションを作る事がよく行われた。実写で撮影した画面を引っ掻いて絵を描く方法は、商業映画の光学合成の代わりとして、特撮映画の光線兵器の効果として用いられる事も多かった。
 未現像の真っ黒のフィルムに絵を描く方法で作られた作品としては、二木真希子さんの2作品「思いつくまま」「シネ・カリニバル」が上げられる。それまでは、単純な図形や、光線もどきがカクカクと動いているだけだったのだが、馬が駆け回る姿や、成長を続ける植物などが画面一杯に動き回る映像は当時周辺に衝撃を与えた。なにしろ4mm×6mmしかない8mmの一コマにこれだけの絵が描ける、という事は誰も考えもしなかったことなのである。しかし、誰かがやった、という事は、誰にでもできる可能性がある、という事で、シネカリに挑戦する人がぽつぽつと出て来た。進藤丈夫氏の「MARK」という作品は精密さでは二木さんの作品に及ばないが、ちゃんとストーリーのある作品だった。
 もうひとつの「フィルムに直に絵を描く方法」で、私は「先に音楽を録音しておき、その音に合わせて絵を描く」という方法で作品を作った事がある。音を聞く事が出来るフィルムビュワーに録音済みのフィルムをかけ、「ジャン」と音のでるポイントを確認してマーキングし、絵を描く。あっと言う間に全話「リップシンクロ」(音楽だが)した作品が出来上がり、上映会では「おお、音と絵のタイミングがばっちり合っている」と評判を取った。
 このフィルム時代のシネカリ風・フィルムペインティング風のアニメを作ることはもちろん現在でもできるのだが、今は試みる人はほとんどいない。そもそも、そういう事が出来る、という事をほとんどの人が知らないのである。

  (続く)

 
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