2026.1.18 K.Kotani>
秋山好正氏逝去(らしい)

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月刊近メ像インターネット
2026年1月18日
秋山好正氏逝去(らしい)

(写真は1999年、コソボ空爆のあおりをくらってクロアチアより一時帰国されていた秋山氏。)
アニメーション・ワークショップなどで活躍された秋山好正氏が、2025年早春頃亡くなられていた事が関係者の情報で判明しました。
詳細は判りませんが、2025年2月頃を最後にSNS上での書き込みも途絶え、参加されていた同志社アニメ同好会のOB会の方との連絡も無くなり、「今どこにおられるかご存知ありませんか」という問い合わせがSNS上で飛び交っていたところ、複数の関係者より、「2025年早春頃に亡くなられた」という情報が飛び込んで来たとの事です。
秋山氏は、1979年に開催された第5回プライベート・アニメーション・フェスティバルに特撮映画「スペースラブストーリー予告編」を出品。同年開催された第一回大阪アニメーションワークショップに受講生として参加された後、1984年迄毎年開催されたアニメーションワークショップの主要スタッフとして活躍。また、1984年以降は、東京に活動の場所を移し、ワークショップ活動やアニメーションのお仕事などをされていたようです。1985年から開催されていた広島国際アニメーションフェスティバルでは、初回は公式ワークショップの講師、以後は、会場入り口近辺の休憩用の白い丸テーブルを使って、「驚き盤」の勝手ワークショップを毎年ゲリラ開催。ASIFA JAPANの会員として、フェス内で独特の存在感を示していました。
また、広島フェスで知り合った海外の方のつてで、当時のユーゴスラビアに移り、現地で農業労働者などをしながら、ワークショップを開催されていたようです。
1990年頃から始まった「徳島アニメ学校」では、一時期講師として市民向けの講座を担当される傍ら、アニメ学校研究生等による、自治体からの広告アニメ製作指導なども行われていました。(同学校の講師仲間では、相原信洋氏、片山雅博氏、森まさあき氏も既に故人・・・)
その後、クロアチアと日本を行ったり来たりという生活を続けられていたようですが、2018年頃までには帰国されて「おもちゃ映画ミュージアム」で「驚き盤体験ワークショップ」を開催。その後は京都に住まわれて、警備員などの仕事をされていたようです。同志社アニ同のOB会にも参加され(秋山さんは同志社大にはおられませんでしたが、同アニのメンバーによると、「当時から同志社大の人間以外も活動されており、同志社在籍が条件ではなかった」そうです。)変わらぬ姿でいつものトークを展開されていました。

(写真は2019年、同アニ会に参加されていた秋山氏。)
2023年頃迄は、印刷版近メ像などをお送りして情報提供などしていたのですが、2023年6月頃に転居されたようで、住所の判らぬまま、SNS上での発言等は続けられていました。その発言も2025年2月以降、ばったりと途絶え、「秋山さんどこにいったのかねぇ」と関係者の間で話題となっていました。
多分、本当に亡くなられたのだとは思いますが、そのうちふらりと「俺は死んでへんでぇ。俺を殺すな。」とニコニコと登場されるような気がしてなりません。1970年代からの自主制作アニメの時代を駆け抜けてこられた戦友が、一人いなくなりました。