<98.9.15 K.Kotani>関西アニメ戦争史 4 

関西PAFの最期−帝国の逆襲−




昭和57年10月3日、神戸文化小ホールにて、PAF8神戸上映会が開催された。500人は入ろうかという会場に130人程度の入りと、がらんとした感じではあったが、借りた会場が大きすぎたせいで、べつに当時のHAGの自主上映としては不入りだったわけではない。
この年、3ヶ所(京都・大阪・神戸)だった関西PAFは、東京アニドウの意向により1ヶ所にまとまったため、3ヶ所分の客がいっぺんにくるのではと心配したHAGのメンバーが大きな会場を借りたわけであったが、結果は杞憂に終わった。同じ人間が3回見に来るのだというアニドウ側の主張が結果的に証明されたわけである。
前年のPAFの結果、KAPはアニドウに絶縁状をたたきつけてPAFを離脱していたため、この年の関西PAFはHAGのみによる開催という形になっていた。この年のPAFの上映時間はなんと8時間。Aプロ・Bプロ・Cプロの3プログラムに分割し、朝十時から夕方7時まで上映するというものすごい上映会となった。しかし、このPAFが、関西でPAFが正常な形で開催された最後のものとなった。
10月11日、名古屋で全国総会。毎年5月にPAF、10月に全国総会で、全国総会で翌年のPAFをどうするか決定するというパターンで回っていたが、段々PAFがずれこんでほぼ同じ時期になってしまっていた。この総会ではPAFを来年どうするのか、という話は出なかったようである。
翌年、神戸界隈では、PAFはもうないのではないかといううわさが流れていた。が、突然7月になって東京アニドウより、PAFをやるという連絡が入り、HAGではいつも例会に使っている会場を使用し、9月に開催することにした。しかし会場が前回よりはるかにせまいため、宣伝はほとんどせず、情報誌も「Q」(現関西版ぴあ)一誌のみで、プガジャもLマガも連絡せず、DMを少々出しただけなのに会場には八十人を超える入場者が集まった。上映時間は4時間半と前年を大きく下回ったが、作品の質は前年より上回っていたように感じた。この上映後、近メ協を発足させようと、会場に集まったメンバーの間で話がまとまった。近メ協にとって記念すべきイベントとなったが、皮肉にもこれが関西での最後のPAFとなってしまった。
 この年の全国総会でもPAFを来年いつどこでやるかという話はでなかったらしい。
 翌年のPAFは、今度こそ本当にないのではと、関西ではもっぱらのうわさだった。しかし、ある筋の情報によると、アニドウは本当にやるつもりはなかったのだが、TAC東海アニメーションサークルのメンバーが出品者をそそのかしてどんどん作品を東京に送らせたので、やることになったそうである。HAGにはアニドウより連絡はまったく入らず、HAGの方からも連絡をせず、HAGの前の開催地になるTACとの話合いで、神戸での上映日と上映会場を決定して、アニドウに連絡した。おりかえしアニドウより連絡があり、「神戸での上映は認めない。大阪に開催地を変更して、大阪で上映するように」との事であった。当然のことであるが、HAGのメンバーは激怒した。いまさら神戸の会場をキャンセルして同等の会場を大阪で確保できるはずもなく、大体上映を大阪でやるか、神戸でやるかは現地のHAGで判断する事である。事前に関西の上映は大阪でしてほしいという事を連絡してあればともかく、ケンカを売られたとHAGのメンバーが思ったのも無理はない。アニドウとしてはかってFILM1/24の誌上で、東京と大阪で二大中心として張り合ったらいいなどという話を並木会長がしており、常々PAFの関西上映は大阪でという話を身内でしていたのではないかという感じはするが、東京でしている話を関西で聞こえるはずもなく、こっちでしょっちゅうしている話だから知っていて当然だという事を思っていたのだとすれば、HAGにすればはた迷惑な話である。結局このトラブルがもとでHAGはPAFを離脱することになった。関西PAFはアニドウが直接やるという話になったらしいが、北九州のように、「大阪アニ同を名乗らせてください。」というしおらしいファンもおらず、わざわざ関西までフィルムを担いで並木会長が来るはずもなく、大体HAGが怒った原因の会場が確保できないのだから、PAFができるはずもない。関西PAFはあえなく滅んだ。
この年、10月10日、名古屋でPAF10が開催され、関西から見に行ける範囲での最後のPAFとなった。量的にも質的にも低下がめだってきたが、PAFの雰囲気は十分伝わる上映会だった。 実はこの年のPAFでPAF自体が終わってしまった。PAFの質的量的低下と、東京地区における相対的地位低下に業をにやした各主催サークルが集まって対策を協議したのだが、欠席したサークルから結論にクレームがつき、そのままPAFがお流れになってしまった。その後PAFを復活させるという話を2回ほど聞いたが、いずれもおじゃんになってしまったようである。
日本自主制作界に多大な影響を与え、多くの自主制作者を生み、幾多の傑作を上映したPAFの最後は、なんとも後味の悪いものだったようである。
(文責小谷)
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