2006.09.23 K.Kotani>
「ピピアめふアニメーション教室」特別講座 22
毎月読める日本で唯一の自主アニメ情報誌
月刊近メ像インターネット
2006年09月23日
「ピピアめふアニメーション教室」特別講座 22
自主製作アニメーションとは、プロ・アマチュアを問わず、作家の創作意欲に基づいて、他からのオーダーによることなく、制作されたアニメーションを言います。厳密に言えば学生の卒業制作作品は含まれず、また、川本喜八郎さんの一連の人形アニメーションも自主制作作品となります。
1.メディアから見た流れ
自主制作アニメーションがいつ始まったかについては、はっきりとした資料が残っておらず、明確ではありませんが、アマチュア用の映像メディアが提供されると作りはじめられたのは間違いないものと思われます。
アマチュア用の映像メディアは、戦前にさかのぼれば16mmフィルム、9.5mmフィルムなどがあり、その時期にアマチュアによってアニメーションが制作されたという事はまちがいありませんが、当時に作られた作品の断片が残っているというレベルでしか確認はされていない様です。
自主制作アニメーションの本格的普及には8mmフィルムの普及を待たねばなりませんでした。8mmフィルム自体は16mmフィルムを1/2に切って使うダブル8方式として戦前よりありましたが、25フィート巻の16ミリフィルムを手でカメラに装填し、25フィート撮影するとまた手でひっくり返して装填するという手のかかるもので、パーフォレーションの穴も大きく、画質の点でももうひとつのものでした。1965年に発表されたスーパー8/シングル8方式はどちらも8mmフィルムに合わせた小さなパーフォレーションを採用、カートリッジにフィルムを入れてカメラに装填するだけでフィルム感度も自動セットという手軽さも手伝い、一挙に普及、80年代初めにビデオに家庭用映像メディアの主役が移るまで、家庭用映像記録メディアのほとんどを担いました。80年代初めにVHSやベータマックスの普及で運動会や子供の成長記録の主体がビデオに移っても、個人制作の映像メディアでは8mmフィルムの優勢はゆるぎませんでした。その当時はビデオでは正確な編集が出来なかった上、ビデオプロジェクターは高価でかつ画質が良くなく、上映会での発表が困難だったためです。また、家庭用ビデオではコマ撮りができないという点から、ほとんどの自主制作アニメーションは8mmフィルムで作られていました。
1985年にソニーから8mmビデオが発売され、家庭用ビデオカメラは小型化にともない更に普及しました。また、一部の8mmビデオカメラではコマ撮り機能を搭載し、それで作品を作った人もありましたが、機能が制限されていたため、ごく一部にとどまりました。
同じく1985年には広島で国際アニメーションフェスティバルが始まり、応募のフォーマットが16mm以上であった事から、一部の作家が8mmから16mmに移行しました。
その後なお90年代初めまで8mmフィルムによる自主制作は続いていましたが、ようやく衰退が始まりました。撮影機材である8mmカメラの生産が終了して10年になり、ビデオへの移行に伴って市場に大量に放出された中古機材も入手が困難になってきた事、家庭に普通にコマ撮り機材が有るという状況がなくなったためです。これにかわるビデオ機材もコマ撮り機能が不十分であり、自主制作アニメ自体も衰退期に入りました。
90年代半ばになると、コンピュータによるアニメ制作が本格化しました。1つは100%コンピュータによるCGアニメーションの流れであり、もう一つは従来のアナログアニメーションのデジタル化です。CGアニメは当初大学のマイコンクラブによる制作が主体でしたが、パソコンの急速な普及と高性能化により、より作家性の強い人たちに置き換えられていきました。アナログアニメーションのデジタル化においては、特にテレビアニメ的なセルアニメの制作の拡大に貢献しました。
メディアはほぼ完全にビデオに移行し、パソコンによるコマ単位での編集も容易となりました。また、シュバンクマイエルを初めとする海外のアニメ作家の作品が多数紹介され、それに影響を受けた芸大系の学生が多数アニメ制作に参入し、現在のいわゆる「アート・アニメ」系の作品を多数生み出すのもこの時期です。
現在ではコンピュータを中心としたCGアニメの流れと、コンピュータをツールとして使用しながら手描きのアートの味わいを表現するアート系作家の流れが二つの大きな流れとなっている。しかしごく少数ながらフィルムによる制作も継続している。ビデオカメラによるコマ撮りはついに主役に上がる事なく事実上消滅した様子である。
2.サークルから見た流れ
小型映画系 かって「小型映画」という8mm専門誌が存在し、(現在では「ビデオサロン」に模様替え)日本アマチュアアニメーション協会という組織が東京に有り、各地にその支部的な組織がありました。(関西では、関西アニメーション協会)どちらかといえばお金持ちの趣味的な要素が強く、機材の優劣を競ったり、会員間の親睦をはかる活動が主体でした。8mmフィルムの衰退に加え、会員の高齢化が進んで、現在ではほとんど存在していません。
総合サークル系 アニメーションというものが現在のように世間に認知されておらず、「マンガ映画」と見なされていた時期に、ごく少数のファンが集まり、海外のアニメーションを大使館フィルムなどから借り出して上映したり、個人コレクターの作品を巡回上映したりするサークルが存在しました。これらのサークルはアニメーションを見、語り、研究しました。現在書店等で発売されている書籍の多くがこのサークルに所属していた方々の手になるものです。彼等は同時にアニメーションとより深く関わるため、自主制作アニメーションを8ミリフィルムで作りました。関西ではアニメーションファングループ、阪神アニメーショングループなどが健在です。また、大学のサークルではありますが、同志社アニメーション研究会(同アニ)には学外のメンバーも参加し、京都における総合サークルの役割を果たしていました。現在では自主制作活動はほとんど行われていません。
講座系サークル 1970年代終わりから、80年代初めまで、東京・大阪・名古屋でアニメーションの制作講座が行われました。日本アニメーション協会の主催になるアニメーションワークショップと、実践アニメ塾です。共に当時プロのアニメーション作家を講師として招き、若い学生を主体としたアニメーションを作りたいという受講生に2日から1週間の短期ワークショップを行いました。特に初期においてはこの手のニーズに対する受け皿が他になかった事もあり、多数の受講者が有り大いに盛り上がりました。この受講生達は講座終了後いくつかのサークルを作って活動しました。これらのサークルは彼等が学生でなくなるにつれ次第に活動が行われなくなりましたが、そのメンバーの多くが現在でもアニメーションの現場で活躍しています。
制作系サークル 講座をベースとせず、アニメーションを作りたいと言うメンバーが集まったサークルです。多くは70年代から80年代にかけての自主アニメーション上映会に触発され、各地で作られました。山口のグループSHADO、仙台のOGELなどです。SHADOなど一部を除いて多くは短命で、1-2年活動してはなくなりました。
大学系サークル 70年代終わりから80年代にかけてのアニメブームにのって各大学で生まれた漫研・アニメ研などです。特に情熱的なメンバーが在籍している時は大いに盛り上がり、そのメンバーが卒業すると共に活動が衰えます。総合サークル系に似て、上映から自主制作までなんでもやりますが、学内に活動が限定されている事が多いです。
現在のサークル活動 いわゆるサークル活動というのは現在ではあまり盛んではありません。「アニメを作る」という事自体が一般化したため、少数のファンがよりそってサークルを作るという必要は薄れており、作家同士が必要に応じてユニットを組んだりしているようです。現在、関西では上映団体としてアート系のanimation soupと、CGアニメのDogaが活動しています。
3.自主アニメに関するイベント(一部です)
プライベート・アニメーション・フェスティバル(1975-1984) 1975年に、アニメーション全国総会での自主制作アニメーション上映がかなりの規模のものであった事から、「独立した上映会としてやっていけるのではないか」として始まったもの。北は北海道、南は沖縄までの多数の会場を縦断上映した。最初の大阪会場は心斎橋パルコで、今で言うトレンディなイベントになった。応募された作品は何でも全部上映するというスタイルであったため、これを目指して作品を制作すると言う作家が続出、自主制作を盛り上げる上での貴重なイベントとなった。次第に内容がマニア化し、マイナーなイベントに移行し、最後は主催サークル同士の内輪もめで終了した。
徳島アニメ学校(1989-2000) 徳島市が手塚治虫記念館を作るに際して併設を予定していたアニメスタジオの一部を利用して行われるはずであったが、手塚治虫記念館自体が中止となったため、徳島アニメスタジオのみが単独でスタートした。作家を講師に招いてのワークショップ活動や受講生による作品制作などが行われたが、徳島市の財政悪化に寄り2000年で活動を休止した。
CGAコンテスト (1988-継続中) 大学のマイコンクラブで作られていたCGアニメのコンテストとしてスタートしたようだ。最初の頃はパソコンマニアの遊びの要素が強かったが、機材が一般化するにつれ作家的な作家が台頭していった。とはいえ、国際クラスのアニメフェスで入選するような作品が佳作にとどまる一方、CGアニメの表現の拡張に貢献した作品が上位に入選する等、独自の路線は強く保たれている。「ほしのこえ」の新海誠氏の出身コンテストとして一挙に有名になった。
広島国際アニメフェス(1985-継続中) 自主アニメのイベントとしてはあまりにメジャーだが、スタート時から自主作家の注目度は高く、多くの作品が応募され、しばしば予選を突破している。また、別に自主アニメの上映コーナーも用意されているが、最近はメインのプログラムが充実しすぎて閑散としている。
アニメーションワークショップ(1978-1983) 日本アニメーション協会の主催で始まった。作家を招いて数日の短期ワークショップを行うと言うもので、最初は大いに盛り上がったが、参加者がだんだん減ってなくなった。
アニメ塾 (1978-82) 大阪・京都で行われた自主講座。最初は幻覚工房の主催で作家の相原信洋氏を招いて開催され、その後は初回の受講生の主催で行われた。受講生のサークルの活動が衰退し、なくなった。
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