私と伊集院2
で、ANNとなるわけだが私は最初の数ヶ月はほとんど聴いていない。
これも悔やんでも悔やみきれないことではあるが、まだ伊集院ANN
をメインで聴くわけではなかったのだ。
私は当時は一部を主に聴いており、二部についてはおきていられたら
聴く。という体勢であった。
んなわけで、水曜については一部の大槻ケンヂを聴いていたわけで、
さらにどういうわけだか水曜については一部のエンディングあたりで
力尽きるという日が多く、二部までつないで聴くのは少なかったのだ。
で、ある水曜日。珍しく一部が終わっても目が冴えていた私はそのま
ま二部を聴いたわけだ。
はじめは、「そうだ、あの伊集院ってのがやってんだ」と思って聴い
たわけで、内容はあまり覚えていないが次も聴こうと思ったのは事実
であった。
で、翌週から聴き続ける事になるのだが、正直「これだっ!」という
瞬間はなかったように思える。
しかし、気がついたら番組にハマり、聴く比重が大きくなり、やがて
私がメインで聴く番組のひとつとなっていたのだ。
当時、私はある事情で精神分裂的な病にかかっており、それが多少落
ち着きを見せていた時期でもあった。
そんな私の心を癒してくれたのはラジオであり、私が熱中して聴いて
いたパーソナリティのトークに笑っていることで立ち直ったと思って
いる。
私には各ジャンルで自分に最も影響を与えた「神様」がいる。
もちろん、ラジオにもそれはあり、私にとってのそれは、金曜を担当
していた鴻上尚史。そして火曜担当のとんねるずであった。
正直言って伊集院は私にとって「ラジオの神様」ではないのだ。
あえて言えば、限りなくそれに近い存在ではあった。
しかし、私を立ち直らせてくれた人の一人であるのは間違いない。
そして、今思えばなんで伊集院にハマっていったかの理由が何となく
分かる。
彼は私の中でとても「ラジオ的」なパーソナリティだったのだ。
そして、「神様」に比べたら身近な感覚を抱いていたからなのかもし
れない。
兎にも角にも、以来私は伊集院の番組を聴き続けている。
依存と一人よがりな神格化。
初めは単純でしかも不透明な理由だったのだ。
私が自分の事を比喩する際に使う「厄介なリスナー」という言葉の所
以はここにある。
メニューへ
|