任賢齊 プロフィール

*** 名前
任 賢齊(本名)
■普通話読み:Ren2Xian2Qi2(れん しぇん ちぃ)  広東語読み:Yam Yin Chai(やむ いん ちゃい)
    韓国語読み:いむひょんじぇ
■英名:Richie Jen, Richie Ren, ■英語表記: Jen Hsien Chi
■日本では「リッチー・レン」
■愛称:小齊(しゃおちぃ) (広東語:しうちゃい、韓国語:そじぇ)

・「賢齊」は、父親が、見賢思齊(徳の高い人を見て、彼と同じようになりたいと思うこと)という成語から名づけたもの。
・英名の「Richie」は、齊(ちぃ)の音に似ていることから命名したそう。大学時代から使っている名前。
・齊の字は、中に「示」の文字がないものが正解。齊・斉は○。斎・齋は×
・「任」の発音は、四声を使う場合もあり。ただし、苗字としては二声が普通なのだそう。
 
 
*** 生年月日
1966年6月23日   (かに座)
■農暦の端午の節句にあたる日のようで、子供の頃は誕生日にチマキをよく食べたのだそう。
CDなどのプロフィールに55年生とあるのは、台湾の暦、民国55年。西暦に直すには、11を足します。
 
*** 出身
台湾 彰化県田中鎮 生まれ 
■任賢齊が生まれたのは、台湾中部の自然がいっぱいの小さな町。候孝賢の「童年往時」の舞台のようなところだったそうです。各種のプロフィールにある”籍貫:湖北省武昌”というのは、父親の故郷。日本で言う”本籍”のようなものか...。
 
*** 身長
177cm 
*** 血液型
B型
*** 特技
バスケット、野球、ゴルフ、ダイビング..等の各種スポーツ
*** 学歴
文化大学体育系  卒   (小学校から高校までは彰化にある学校)
 
*** デビュー/所属
90年に台湾の新格唱片よりデビュー。
滾石唱片を経て、2005年5月より百代唱片(EMI)に移籍。
さらに、2008年3月より東亜唱片へ移籍。
*** 生い立ち/デビューまで
 
■台湾の彰化田中鎮にてキリスト教徒の家庭に育つ。子供時代はやんちゃな少年だった。 4歳上の姉と2歳年下の妹がいる。小学校教師である父親は大陸中国からベトナムに渡り、その後台湾に移住した。

小学校の頃は、授業中よそ見をしたり、先生の話を聞いていないわりには、テストでは良い成績をとるという子供だった。
中学に上がってからは、勉強が嫌いなわけではないが、学校の規則に従わず、長髪禁止にもかかわらず髪を伸ばすなど、反逆児となる。行いが改まることを願って、両親は任賢齊を校則の厳しい学校へ転校させるが、厳格な寄宿舎生活の中では、かえって更に規則を守れず体罰を受ける辛い日々を送ることとなり、見かねて1学期で元の学校へ戻されることになった。   高校時代に、音楽とスポーツに本格的に興味を持つようになる。
大学では、アーチェリーとゴルフを専攻。
 
■大学1年のときバンド結成(ATP合唱団)。ヴォーカルとギターを担当。一番もてそうなポジションのわりに、当時は全然女の子にもてなかったという。大学2年からキャンパスコンサートの人気DJとなる。DJを始めたのは、ダンス・イベントで急用で出られなくなったDJの代役をつとめたのがきっかけだった。

■大学時代は、新しいギターを買うお金を稼ぐため、音響とライティングの会社でアルバイトをしていた。(このあたりの経緯がコカコーラより発売されたミネラルウォーター天地のCMのストーリーのもととなった。)
  
*** デビュー後
 
■大学4年の頃、当時のギターの先生のつてで、新格唱片よりデビュー。デビュー後、9ヵ月という短期間に3枚のCDを発売し、ドラマ「意難忘」に出演する。

■その後、兵役を経て、除隊してみると所属のレコード会社の経営不振のため、会社が所有していた各種の権利と一緒に彼のCDに関する契約が、滾石唱片に売却されてしまっていた。そのため、5年間は身分不明の宙ぶらりん状態となる。

■この間、任賢齊は子供向け番組や旅行番組のリポーターなどをつとめ、歌手としての活動は事実上休止状態だった。
 
■滾石唱片に移籍後、プロデューサー小蟲と出会い、歌謡界に新たな地位を築く機会を得ることになる。   96年12月に出した「心太軟」が中国大陸を中心に驚異的なヒットとなり、一躍注目される。「心太軟」、中国全土辺境の地までに広がり、空前のブームとなった。当時、台湾での歌手としての人気が今一つだった任賢齊は、この大陸でのヒットがきっかけとなり、逆輸入の形で人気に火が点く。   98年の「愛像太平洋」は売り上げ100万枚を突破。98年度の滾石の稼ぎ頭の一人となる。

●98年前半は、昆明にてテレビドラマ「神[周鳥]侠侶」の撮影。ひきつづきレコーディング。8月には初めて香港で、莫文蔚とジョイントコンサートを行う。秋には大陸各地でのコンサートを行い、11月に台北で「’98齊蹟LIVE演唱会」を開く。その後「愛像太平洋」のプロモ活動..などなど。多忙な一年をすごす。

99年6月26,27日には「天降大任   99任賢齊1st演唱会」は大成功をおさめた。同年8月公開の香港映画「星願」に主演。アジア中の観客の涙を絞る。

2000年もその人気は衰えるどころか、年明け早々に放映された主演ドラマ『笑傲江湖』も好視聴率を獲得した。7月より中国各地、8月には香港でのコンサートを行う。主演映画「夏日的麼麼茶」は夏休み映画として香港で好成績をおさめるなど、香港での地位を確固たるものにする。
年末にかけて、アメリカ・カナダ各地でのワールドツアーを行い、更に2001年もマレーシア、再度中国大陸などコンサートを重ねる。2000年12月にアルバム「天使、兄弟、小白臉」発行。

2001年。「星願」がついに日本公開。全国各地の映画館で上映される。2001年は清涼飲料メーカー、プリンタメーカーなど企業の無料コンサートを主に中国各地で歌友会などを行う。3月から6月までドラマ「楚留香」の撮影。

●2003年。映画「飛鷹」撮影のため来日。
●2004年9月には、カラオケコンクールのゲストとして来日し、初めて日本のステージに立った。
●2006年12月8日。東京にて初の単独コンサートを行う。
*** 私生活
●バイク好きのリッチーは2000年3月、タイで行われたASIA INTERNATIONAL ENDURO 2000のアジアスポーツクラスにエントリー、総合タイムの順位では5位という大健闘ぶり。これまでも、何度か国際大会に出場し好成績をあげている。2001年2月にも同大会に出場。さらに順位をあげる。

私生活では学生時代から苦楽を共にした3才年下のTinaと長い交際期間を経て2005年に結婚。Tinaは 芸能界とは無縁のアパレル関係の仕事についていた一般人。

●2005年5月4日には、Tinaが出産。とうとう一児の父となる。(長女の英名はRatiちゃん)
   2008年2月13日、香港にて長男誕生。
*** 宝物/コレクション
● 陳昇にもらったハーモニカ。

●ネックレス:出かけるときは衣装とコーディネートできるよう何本も持って行く。一番大切にしているのは彼女からのプレゼントの「木の十字架」。(#衣装がTシャツでもネックレスはかかさない、トレードマークといってもいいほど。)

●腕時計:コレクションしている。
  
台湾を本拠地とする「小齊家族」という公認ファンクラブがある。
※CDのライナーノート、台湾の新聞・雑誌、インタビュー番組、「pop Asia 99年7月号増刊号」、などを参考にさせていただきました。
(台湾発行の雑誌 「HERE」「青春快逓」 資料提供 よしさん。「PUSH偶像」(96年)ぎっちゃさん)
 
更新日:2008/11/09