「少女心」 1990年9月  

任賢齊 再問一次 健康帥勁歌壇頗看イ肖】  
(デビュー当時の芸能雑誌記事)

     任賢齊の目は、平凡な一重瞼ではあるけれど、切れ長でキラキラと輝いています。彼の目には疑い、焦り、不安感や誤魔化しはなく、ただ生き生きとした情熱と無垢な心が映しだされているのです。   彼の笑顔は陽の光と喜びの全てを物語っています。明るく朗らかであることは一切いつわりなく、憂鬱にうなだれることなどない天性を裏付けています。任賢齊は23才。名前は、本名です。率直な彼は芸名をつけようとは思いませんでした。なぜなら父親がつけてくれた名前がとてもよいと思っているからです。いわゆる「見賢思齊(※1)」です。

  「一族の家譜には”賢”の字が並んでいます。子供の頃この名前には悩まされました。とても書きにくくて、いつも間違えていたんですよ。」
  長男である任賢齊には二人の姉(※2)がいます。彼の記憶でもっとも昔のことは、3才のとき幼稚園の美術クラスで、はじめて「ぼくの両親」という絵を描いたとき、恥ずかしさのあまり「自主退学」し、学費を無駄にしてしまったことでした。
  小学校は私立のミッションスクールでした。毎週日曜日には教会のミサに出席していましたが、いつも後ろのほうに座ってこっそり居眠りしては、アメリカ人の神父に台湾語で「聞いていなかったのか!」としかられていました。

  その後任賢齊はスポーツの方面で才能を発揮し、文化大学体育学部にすすみました。大学にはいると半ば独立し、このときバンドを始めるなど、音楽と親しみ始めたのです。
  音楽を楽しむ他に、任賢齊はある楽器店のDJも勤めていました。台湾中の大学などを巡回し、少なからぬ名声を得て、音楽への造詣も深めました。
  しかし、彼は音楽を自分の職業にしようなどとは思ってもいず、音楽は彼にとって心と体を健康にしてくれるものに過ぎなかったのです。そして自由自在なレゲエが彼の最も好きな音楽でした。

   今回発表したアルバム「再問一次」が、たとえ彼が歌謡界に一石を投じる新しい試みであるとしても、音楽を模索して久しい彼が、いつも大衆に向かって訴えかけてきたことなのです。
   基本的に任賢齊は今回のアルバムに大変満足しているけれども、次のアルバムでは自分の作品をとりいれたいと思っています。ファーストアルバムには彼の作品は入っていません。なぜなら、彼は自分の実力がそれほどすごいものではなく、(アルバムの)品質を保証するために、だから..。今回のアルバムの曲調の幅は比較的広くて、まだ彼の個人的な特色が出し切れていないと彼は言います。

  しかし、このアルバムによって彼は自分にどんな雰囲気の曲が合うのか知ることができました。外見のスタイルもいろいろと変化を試してみたけれども、今のが一番本来の自分に合っていると思っています。「他の人が僕を見たときに、テレビの画面にうつる僕と、実際の僕のあいだにあまりにも隔たりがあるのは嫌です。本当の僕をみんなに見てほしいんです。」

目下のところアルバムの評判はまずまずで、任賢齊は充分満足していますが、数字の記録はあまり気にしていません。しかし、今回のアルバムには随分苦労したようです。「僕はもともと洋楽をライブで歌っていたので、録音はとても辛かったです。ずっと立ちっぱなしで足が疲れるし、たくさんの小節を注意しながら録音しなくてはならなかったですしね。」

  アルバム中には、アップテンポのものもあればスローの曲もあり、一般的に反応も上々です。任賢齊は若々しい魅力があるばかりでなく、音楽の素養もたっぷりとあるのです。今回のアルバムを出した後、彼はプロデューサーたちの受けもよく、多くの新人の中から「音楽評鑑会」の推薦歌手として選ばれたのです!

  ですから、みなさん、機会があったらこのキャンパスのヒーロー出身の任賢齊を知ってください。任賢齊はここ数ヶ月の新人の中でも、見た目がよくて実力のある歌手の1人です。

※1:見賢思齊  = 徳の高い人を見て、彼と同じようになりたいと思うこと。
※2:姉が二人 = 原文のまま。最近の新聞を見ていると、姉と妹がいるようなのですが...。

資料提供:mamaさん