6月20日足立支部教研講演

             (竹の塚センターホール)

「真の学力向上にせまる

      フィンランドの教育に学ぶ」

                                    中嶋 

                            (早稲田大学名誉教授)

はじめに

 

 みなさんこんにちは。ただいまご紹介いただきました中嶋でございます。まず、平素大変厳しい状況の中で子どもたちのことを日夜考えて現場で頑張られている上に、このような研究集会に時間をさいておいでになっていらっしゃる先生方に私は深い敬意を表したいと存じます。本当にご苦労さまでございます。

 さて、承りますところによりますと、当足立区の場合、学力テストの結果、公表されまして、そしていろいろと注文が当局からよせられているやに聞いています。しかし、授業時間の確保とか習熟度別学級編成とか、そうゆうことをもって問題が解決するものではありません。また、その学力とは何かということについて、それは単なる読み書きで終わるものではありません。すなわち、これからの社会ではそんなことでは通じないのです。むしろ、認知的な面もさることながら非認知的な面、すなわち忍耐、寛容、批判力、総合力、分析力が求められております。いやその中に一番大事なことは友達と仲よくする、助け合うということではないでしょうか。

 過去の事件をいろいろ聞いてみますと、先生方がこぞって、校長先生、担任もおっしゃる。あの子は「よい子でした。ただし、友達はあまりありませんでした。」このよい子が問題なのです。「よい子」とは、先生に口答えしない子、いかにもおとなしい子。それが、爆弾を作っているのです。そういうことじゃないんです。先生に口答えし、反抗しながらも、自己を貫く、そして仲間をいたわる、これが非常に大事なのです。そうしたことで、フィンランドの教育というのは、このことについて、今日これからお話をいたしますことは、お役に立つかもしれません。

  

 OECD/PISA 2003年の調査結果

 

 経済協力開発機構の生徒の国際学習到達度調査と言われておりますが、国際学力調査と簡単に言います。それは、我が国で一番新しいところでは昨年の十二月に公表されました。世界四一カ国二七万六千名の十五才児を対象としたものでございます。これはいわゆる知識や技術の今までの見方と違いまして、実生活にどれだけ応用ができるかと応用力をはかるテストとしてなされております。

 まず、フィンランドの政府が、「フィンランドの我が国がPISAでトップになったということで、みなさん誤解されては困ります。これが従来のカリュキラムの得点をあらわしているのではありません。21世紀に子ども達が生きる力を身につけているかどうかをはかったものです。」と言っていることは極めて重要でございます。つまり21世紀に生きていく力が身についているかどうかをはかったものでございます。

 

 

 果たして日本の学力は

 

 さて、ご参考までに申しあげますが、みなさんはご存知でございますが、リテラシーという言葉をつかってますが、読解力は日本は8位から14位に落ちました。また、数学的なリテラシー応用力は1位から6位に落ちました。科学的応用力は、これは、実は2位から1位へ上がっております。そして問題解決能力は前回二〇〇〇年にはございませんでしたが、今回4位でした。フィンランドではちなみに読解力1位、数学的応用力2位、科学的応用力1位、問題解決能力同列2位でございました。そこで言えることは、同時に一週間後に新聞で発表されまして、みなさんご存知のように、IEAはもともとストックホルムに本部がありましたが、今はオランダに移りましたが国際数学・理科教育動向調査がありまして、これが、1215日に発表されました。これは中学(二年)の場合で見てみますと、これはいわゆる従来の学力でございます。数学は前回と同じ5位ですが平均点はやや下がっております。理科では前回4位でしたが6位とダウンいたしました。さて、この両者を見てまして、基礎学力の低下が問題となったのでございます。文部省当局ははじめは「いや落ちてない」と言いながらその後「落ちた」と訂正いたしました。そして、ゆとりの教育の見直しと言うことを文科省は打ち出されまして、今日にいたっております。

 しかし、あまり言われていないこと、日本は案外頑張っているわけです。頑張っている中で注目いたしたいのは、問題解決能力の4位はフィンランドとわずか1点しか差がありません。そして、1位と同位グループです。このことは何でございましょう。問題解決能力が優れているということは「生きる力」が身に付いたということなんです。我々、みなさんのやってきた「生きる力をつけさせる方向」が正しかったのです。けっして間違ってはいないんです。国語で8位から14位に下がったというのは、良く見てみますと格差が広がったのです。格差というのは、何かと申しますと、学習意欲が少ないのです。これは言えています。やる気がない者というか学習意欲の低下が大きな問題なのでございます。すなわち、底上げが必要でございます。あと、数学、理科においては、さほど心配しなくていいのですが、特に読解力については国語、全ての教科の中で国語科は基礎でございますのでこのことはたくさんの問題があると思います。

 さて、さらに学力に関する一つの手がかりとして、文部科学省が4月22日に、全国の小学校5・6年と中学生40万人を対象として昨年実施しました教育課程実施状況調査、全国学力テストの結果を公表しました。それは「『ゆとり教育』で学習内容を三割削減、二○○二年春導入の総合学習に関する調査」でございました。そこで学力低下が懸念されましたが、二○○二年と同じ問題で正しく答えた割合、正解率が全体的に上がっているのでございます。また、大半の教科が学年で前回を上まわっておりまして、低下傾向に歯止めがかかっていることも明らかにされております。ただ、一つの問題は国語中心に記述式問題に課題を残していることは、述べておかなければなりません。

 

  処方箋について

 

 処方箋の参考として、まずあげたいのは、日本PTA全国協議会の意識調査の結果が5月17日に発表されました。これについて、学校週五日制について四割が否定的。総合的な学習時間については肯定的な意見が、48.3%あったということも重要でございます。親御さんたちが評価されている。また、その理由は、自分が、知りたいことを進んで学んだりするようになっていること30.3%、子ども同士協力し合うようになったというのも6%ありました。

 さてこれに対して、A紙の、3月15日発表を見ますと、A紙は、進歩的といわれる新聞ですが、ゆとり教育の見直しに賛成というのが78%。学校五日制というのに60%が反対しております。さて、しかしながら、生きる力を育てる役割に期待するといわれた方は66%にものぼっております。総合的な学習の時間に賛成ということにもなります。もう一つあります。今月18日の文科省の意識調査で総合学習について、親の70%が評価いたしました。ところがショックでございました。中学の先生方の57%が廃止に賛成だったということに私は大変な衝撃を受けました。しかし、これは、ベネッセ教育調査研究所に文科省が委託をしたものであって、その民間の意識調査と私は考えております。

 なぜ、私がこれを問題にするのかというと「実態はどうかな」と疑うからでございます。総合的学習時間ほど実は、先生方が創意工夫をこらされて、大変でございましょうけど、思う通りの時間ができるものはないと考えるからであります。そしてこれはどうしても守って行かなければならないものであるからでございます。いずれにしましても中山文科大臣は、直後に土曜授業の復活を認め、7月18日は総合学習見直しの発言の意向をはっきりと示されました。すなわち、ゆとり教育の全面的見直しを中教審にはかっていることはみなさまご承知のとおりでございます。

 

 「フィンランドの教育の進む方向は、日本と全く逆」

 

  フィンランドの場合、あとで詳しく申しあげますが、まず、現行の学習指導要領、新しいものがでたのですが、現行の一九九四年にできた指導要領は、地方分権を徹底いたしまして、大枠時間の最終的な時間割、前の指導要領の厚さの十分の一のものが現行の指導要領でございます。小中学校の、九年です。二○○四年になりまして新しい指導要領ができまして来年八月から施行されますが、そこにおきまして、今までは日本と全く同じ六三制でございました。来年から九年一貫制となります。この新しく学習指導要領でうたっております中で強調されておりますのは、「社会的な寛容の精神、責任ある市民の育成をはかる」と新しく言われておりますことが特徴的でございます。このことは私たちも考えてみなければならない点でございます。

 OECDの調査によりますと、二○○四年度版のOECD「図表で見る教育」と日本語ででております。この12才〜14才児(中学生)の日本の授業時間とフィンランドの授業時間は、日本は、八七五時間、フィンランドは五一五時間でございます。そして、ちなみに、小学校の場合、日本は、七一○時間、フィンランドはなんと五三○時間。そして具体的に申しますと授業は、九時に始まり、小学校では二時に終わり、中学校は三時に終わります。小学校は一日五時間で、学童保育に行く、子ども達は、文化会館、図書館で勉強、もしくは、スポーツクラブで運動するそうゆう学校ですが、時間割を増やす方向にはありません。ただ、なかで理科・数学増やしてを国語を減らしたことがありましたが、今度は国語から問題だと提起されたことがありました。 さて、なぜ、逆だということを強調したいかといいますと、この中学校に、小学校も同じですが、高校はちょっとちがいますが、学習指導要領の初っぱなのところに「テーマ的学習」としておりまして、説明を読んでみますと「学校を貫く基礎原理であり、各教科でも徹底して教えなければならないけれど、さらに教科の枠を超え総合的に徹底して、次ぎのテーマで学習をすべきこと」つまり、総合学習を徹底しろというのが新しい指導要領です。で今、実験が始められています。そのテーマだけを申しましても驚きでございます。それは、21世紀を切り拓くテーマと呼びたいと思います。指導要領には書いてございませんが、中嶋があえてそう申します。頭が下がります。どうしてでしょう。

 まず第一に、個人的、人格的な成長。第二に文化的同一性と国際化。文化的同一性というのはフィンランドでは、少数民族としてスウェーデン語、さらに、サーメ人がおります。その人達は自分のたちの育ってきた言葉で生活しながらも、フィンランドを理解し、さらに国際的なということです。第三にコミニュケーションとメディア技術 。フィンランドは世界一のIT産業国でございます。コミニュケーションとメディア技術。第四に参加型市民性と起業家精神。参加型市民性と起業家の精神を小学校・中学校で徹底的に教えるのです。つまり、アイディア。ヘルシンキ大学の学生がソフトの開発をいたしまして、特許を取らずに全部開放しました。つまり、世界的発明をしたのです。つまり発明発見。つまり市民としての責任をまず税金をきちんと納めてそして発言していく、政治を動かしていく。そして起業家精神まで教えていく。第五番目に環境・福祉、持続的社会(平和)への責任。第六に安全と交通。第七に人間とテクノロジー。このどれをとっても私ども21世紀を生き抜いていくためには、重要でございます。特に日本がいかにこのことにぼんやりして、そして、なにしろ一つ覚えのように「教育基本法」で愛国心さえ入れれば全てものが解決するようなおろかなことを言っています。冗談じゃあありません。こういうことを打ち出していくことが明日を拓く教育になるのではないでしょうか。

 

 さて、これからフィンランドの教育に入っていきますが、フィンランドのPISA成功の背景と我が国への示唆についてですが、この一つ一つに解説を加えていきます。

 コンプリヘンシブエディケイションでございます。総合性基礎学校はフィンランドではぺルスコウルと申します。これから話します十一箇条はフィンランド教育省の使った言葉ですが、あまりにも我が国とまったく逆だということがお気づきになられると思います。総合制教育の徹底、差別選別を廃していく。 つまり、フィンランドでは85年の指導要領までは能力別編成があったのです。これは、差別を生むということで85年の指導要領改訂でとってしまったんです。完全な総合制なのです。そして日本の場合は、能力別をやり、そして戦後の高校の総合の三原則というのがありますが、最初からもう破っています。時のGHQのCIA教育改革担当の当局が、日本と変な関係になった一つだけあげますが、埼玉県以北に新しく出きた女子高です。アメリカはこれを認めなかった。総合でなんで女子高なのかと絶対反対だったのです。日本は我が国の伝統で女子は特別に扱わなければならないと主張。それは差別選別だと批判された。アメリカがどう言おうと日本はごり押しした。もちろん埼玉県からこちらはございません。エリート高校といわれ、扱われている。それがまずおかしいんです。差別選別を廃した九カ年、総合制の勝利をおさめたんだということを深く味わうべきでございます。まず全部訳して、一つ一つ解説していきます。

一、居住地、性別、経済的状況や母語の如何を問わず教育の  平等の機会。

二、地方での教育の接近性

三、性差別の皆無

四、教育が総体的に無償

五、総合的、非選別的な基礎教育

六、支援的で柔軟な管理

 

 

全体の中央集権的な助言と地方での実施

七、すべてのレベルにおける課業の相互関連的協同的方法

八、学習への個人的支援と生徒の福祉

九、発達志向評価と生徒による評価

 

 

序列リスト、テストがない

十、高度の資質を備え、主体的な教師

十一、社会構成主義学習概念 

で、これから詳しくお話することが日本へのヒントになるところだと思います。

 

 

一、居住地、性別、経済的状況や母語の如何を問わず教育の平等の機会。

 

 本当にこの国は、まず大原則として、資質の同じな教育を万人のために、すべての人に、同じものを与えたい。実は、そのために、学力テストがあるんです。全国学テがあるんです。しかしこれは、均等教育をするためで公表はしません。得点が足立区がどうだ、江東区がどうだ、と比較するものではないんです。そして、そっと、「おたくは、到達度が低かったが、何が必要か、遠慮無く言ってくれ。それを国が援助する。」つまり、特別支援の先生が必要ならば、何人でも送ります。費用はおしまない。また、図書館が貧弱ならば何百冊でも図書館の本を充実します。どんどん言っていい。つまり、イギリスで使われている言葉ですが、「コンプリヘンシブスクール」イギリスも大変でしたが、総合制の闘いは。その時「白書」がでましたが、「コンストラクティブ(建設的)な」「ディスクリミネーション(差別)」イギリス人は「ディスクリミネーション」差別を一番嫌う国民です。「コンストラクティブ」建設的差別、積極的差別を自分たちは行うものであることを政権奪取のスローガンにうたったことがある。それなんです。つまり、そういう差別。学力が、到達度が低かったらそこに支援してくれるんです。そのためのテストなんです。我が国の場合は、競争させて、そしてその結果を発表して、「ざまあ見ろ」という。ほんとそうでしょう。先生方、「中嶋の話をするところなんかへ行くからそういうことになるんだ」と。そうなっちゃう。あたたかく見守ってくれることと逆なんです。本当にこの国はそうゆう意味で恐ろしいと思います。そのための学力テストがあるということを申し上げなければなりません。

 しかも少数者の民族ために、わずか数千人の人にも自分の国の言葉を教育してそれからフィンランド語とスウェーデン語はこの国の言葉ですが、それを習得して英語ももちろん義務ですが小学校からやって、他の言葉も習得します。中学校を卒業する時は、だれも四カ国語を話せます。フィンランド語、スウェーデン語、英語、それにもう一カ国語を選択します。学校によってはラテン語をやっているところもあります。そして、それが好きな人はそちらに通ってもいいことになっています。できる子にはどんどん道をつける。到達度に達していない子には手厚い保護を加えていくということでございます。

 

二、地方での教育の接近性

 これは、アクセスです。どんな地方でも不便な地方でも教育の平等の接近ができる。それには、学問もそうですが、かつて寮がありましたが、今はなくなりました。スクールバスになりました。からだの悪い人も差別を感じないで教育を受けられるようになっています。バリアフリー、包括教育です。

 

三、性差別の皆無

 

  じつは、性差別が無いばかりではない。実は、PISAでおわかりでしょうが、フィンランドが特に評価されたのは、女子がすごい得点をとった。これには、長い闘いの歴史があった。一九〇六年に女子はヨーロッパで初めて参政権を獲得しました。そして、それまで待遇面で男女差があったし、今もあることから、より高い教育を入れようというのがフィンランドの教育であります。女子の場合、私がこの国に行きました時、大学の哲学部の教育学科でありましたが、九割以上が女性でした。人文系の学部では六割から七割が女性です。その中で男子はパラパラでございます。100名いると95名ぐらいが女性です。

今は、そこまでいきません。6040位です。女性が優位の国と言われるかもしれませんが、いいんじゃないですか。ここまでやれるということは。つまり、女性が差別を感じさせません。それは職業もそうです。それは、トラックの運転手になろうが、何になろうが女性が差別をうけることはまったくありません。

 

四、教育が総体的に無償

 

 これは、授業料、給食費、文具費すべてお金はかかりません。授業料に関して言うならば、大学も成人教育も一切無償でございます。つまり、だれでも、いつでも、どこでも、ただで学ぶことが出来るのです。ただし、大学は、けっこうかかります。学生組合費を払わなくてはなりません。学生組合は、自分たちの生活防衛のためにいろいろな、生活協同組合的なものです。学生寮はホテル並みです。個室でシャワー付きお風呂付きです。日本の学生寮と比べて見てください。学生たちがつくったのです。学生組合費を運営して実現したのです。生徒である場合医療費も負担はありません。歯医者も学校にいます。ちなみに、フィンランドの建築は、世界一です。特に学校建築は最高です。

それは何かというと木のぬくもりを感じさせるものになっています。各家庭でもそうですが、学校というものがあたたかい雰囲気でなくてはならない。そこで行われる給食費から消しゴムにいたるまでなにもお金がかからない。断っておきますが、教科書は貸与です。学習ノート、練習帳はもらえます。給食はバイキング形式で好きな物を好きなだけ食べられる。それは、なぜ出来るのかといえば、税金からなっているのです。そして、教育と福祉については、優先権があるのです。そして、国民の地方分権が徹底した今でも国が57%、地方自治体が43%支出しているのです。これは大変なことです。各自は負担なしです。税金が累進課税で昔ほど高くはありませんが日本場合の最高税率40%は話になりません。現在60数%になっているとおもいます。かつてお隣のスウェーデンでは大学教授で私の恩師は85%払っておられました。税金ですよ。スウェーデンの作家は105%支払った。これは問題になったけれど赤字でしたが、本人が「前の分があるから大丈夫だから問題にしないで」と言ったそうです。だけどあまりにひどいということで、現在70%位になっていると思います。フィンランドの教師の給料は国際水準では決して高い方ではないが、社会保障があり、医療費もかからず、貯金する必要もないんです。老後の保障がされており、お金はいらない。しかも、先生たちがアルバイトができる。なんでも知っていると思われている先生は、地域で様々なサークルなどでの「教える」という行為に対して、国から補助金が保障されている。聖書研究会から、資本論研究会、内容は問わない。人々が高め合い、学ぶということに、惜しみなくお金が使われるんです。

 

五、総合的、非選別的な基礎教育

 

  ここで、細かく言います。一九六八年に国会で基礎学校法案が通りまして、七〇年に指導要領ができ、七二年からスタートし、五カ年かかって七七年をもって完成した。全国に何千何百という小中学校を建設したのです。これは、大変なことです。お金がかかりました。しかし、あえて国民は文句をいいませんでした。すなわち、九カ年で六三制で日本の制度と全く同じです。私はこれにかかわった経緯がございます。出来た結果あまりにも日本と同じでビックリしました。隣のスウェーデンは、三三三制をとっています。ところが、六三制をとったのです。但し、二○年くらい前から九年の終わりに十年制というのがあるのです。日本では落第といいますがそうじゃないんです。差別でしょうか。ちがうんです。勉強したい、到達度が足りない、自分であと一年勉強したいという人のためのもので、高校に入るために有利になるんです。各学校でいい成績をとればはいれたんです。職業学校でもいけたんです。わずか数パーセントがいかないが、ほとんどは、中等教育は受けています。その時に成績評価があるんです。七段階あるんですが、四点は落第、五点から合格。八点以上なら高等学校へいくことになっている。みんながんばりますよね。高等学校はもう行かないという子もいます。七点で行けない子は「残ります」といいます。「残って来年第一希望の高校へ行きます」親を呼んで了解をとって残ることになります。親も子どもの自由意志を尊重する。そのご褒美に希望校へ行けるんです。差別を感じさせない制度なのです。序列をつくったりしないのです。どの子ができるできないは教師は全部知っている。でも先生だけが知っているだけで、子どもたちにはしゃべったりしません。ちなみに、学級の平均人数は中学は一九、五人、最大限は、二五名です。

 

六、支援的で柔軟な管理                 

 

 

全体の中央集権的な助言と地方での実施

 

  これは、一九九四年の学習指導要領でこうなったのです。

九一年に北欧の各国の取り決めができまして、学校の管理という大きな報告書ができまして、そこで教科書の検定も各国やっているけど廃止しましょう。国家公務員が地方公務員となりますが、地方財政が教育を大いに支援することにしましょう。

ということで官庁が変わりまして、それまで学校教育庁というのがありまして、大変、フィンランドの教育はコウルハリトスというんですが怖いところでしたよ。私も警察にでも行くような感じがしましたね。とても怖い、教師を管理するところだったんです。ところが、名前もオペトスハリトス、教育庁に代わり、新聞などでは、国家教育委員会と訳しているが私は気にいらないんです。だけど委員会に国家とつくと日本のことを思い出すからでしょうか。私自身も教育委員を長くやっていたから反省しなければならないし。国家とつくと管理されるようで。

 その全般でなにをするかと言うと、評価と助言をするだけなんです。コントロールしないんです。それまでの教科書検定も九二年から廃止しまして、コントロールしないんです。で、学校長と先生方の裁量が非常に増えました。そして、各学校で特に総合学習、合科学習、自由に出来るようになりました。もちろん最低の授業時数はおさえてあります。九四年の場合でも最低はおさえてあります。最低はどこまでも最低と押さえておけばいいので、お互いの信頼関係があるからできること。先生方は信頼されているのです。極めて柔軟な対応、教科書で、どこを重点的に教えましょうとか、教育に環境とか平和とかやりましょうとか言うことを教育庁に助言されるということです。

 

七、すべてのレベルにおける課業の相互関連的協同的方法

 

 すべての課業とか総合的関連ですがフィンランドの大きな特徴ですが、具体的に申しますと、グループ学習がこの国の教育の基本なんです。、黒板に書いて教えるということではないんです。政府の出したフィンランドに関する案内の中にはっきりとうたっている。グループ学習、チーム学習が学校教育の基本です。そう明記してあります。

 ではどうするかというと、助け合いの学習なんです。次に、三十人学級が二十人学級になっても日本で問題は解決しないと私はもうしあげたいんです。つまり、グループ分けをしていくということ。そして、それには後ほどふれますが、だれが面倒を見るかかというと親がサポートするということなんです。よきパートナーとして参加しますし、ジュニアが参加しますし、特別支援教師や地域の専門家等々参加します。教育実習生も。二十人の学級で四グループに分けます。これは、小グループのテーマ学習です。そこにいるのは先生ではないんです。先生の仕事は、「分かりますか」とグループの間をぐるぐる回るのが仕事なんです。

 教科書の国際会議に日本を代表して二度でていますが、第六回の大会で、小学校の先生にお会いして「フィンランドは頑張っていますね」と言って、学校に来ない子、暴れる子がいたりして日本はたいへんなんですと話すと「そんなことあるんですか」と言われた。先生の仕事ってなんですか。なんにもないかなぁと考えて、「あったわ、携帯電話を全員がもっているので授業のはじめに、マナーモードにしておくのよ。と注意するんだけど忘れる子もいるのよね。それだけいっているわ。それ以外はぐるぐるまわっているだけだわ。」これは、根本的に考えなければならない。三十人にしても二十人学級にしても出来ないこと。必ず、算数、理科が得意な子がいるんです。グループの中で全員が理科が得意な子だけというのはだめなんです。先生が「あなた理科が得意ね。理科の授業はリーダーになってね。」と言い、次ぎの時間は「国語はA子さんB男さんC子さんリーダーお願いね。」とグループ分けをして絶対に差別感の残らない教育なんですね。これがフィンランド方式なんです。グループで助け合ってやっていく。そんなことが朝日新聞に書いてあったでしょ。私の名前も載っていた。レポートで、授業中、手を挙げて「助けて」とわからないことを質問していく。わかる子がわからない子を助ける、その助け合いなんです。そしてみんなで引っ張っていくんです。

 

八、学習への個人的支援と生徒の福祉

 

  日本もそのことを考えなきゃいけない。グループ学習。課題を与えてグループで競争させる。CO2削減をどうするかなんてグループで考えさせる。フィンランドの教育はグループ分けで助け合い第一段階、なお判らない生徒には、学習支援教師が派遣されて、教室に張り付くんです。第二段階で、それでもわからない時は、特別支援教師が別の部屋で教えたりする。第三段階は、それでも処理できない場合には、治療的施設、福祉的病院で障害を除去することになる。これは、健常児からはずれる場合は手厚く特別支援をしていく。つまり、教室の中で処理出来る支援と教室の外で支援すること。学校外の教育機関で支援していくこと、大きく分けて三段階に分けて個人の支援をします。それはいずれも福祉の問題と関わっていきます。生徒のあらゆることで面倒をみます。交通や他の福祉施設に行くことも付き添いなども含め、すべて無償で支援やっていくのです。個々人の教育の到達度を引き上げていく、すべての子がそこに到達するための支援をおこなっていくのです。

 

、発達志向評価と生徒による評価

 

 

序列リスト、テストがない

 

  実は七段階あり、つける場合、親に年末にそのことを知らせてある。しかし、それは、「仮のものである。延びる可能性があるので現段階のものであるし、本人の評価は納得しているが、先生の評価は七だけど、本人は謙虚で五だと思っている。」という評価を伝える。頑張ってきた評価を伝えるのです。日本は切り捨て切り捨て「はい、おとなしい子、良い子です」と言っていたら爆弾を作っていた。こういうことになるんですね。また別のは、親御さんに二階に上がってくるなと言っていたんでしょ。そしたら、猫や犬の生首を飾ってあったんでしょう。良い子よい子と言われていたんでしょね。こわいですね。

 

十、高度の資質を備え、主体的な教師

 

 日本も形だけのまねをするけれどまず、これは、まず一九七○年代後半から、小学校教科担任を含めまして修士号をとらなければ教師になれなくなりました。従来の先生方もあわてました。そして、自分の職を続けるために現職教育で頑張られました。早速、修士号を大学に行ってとってきました。さて、その体制は、一九八○年に有給教育休暇法が成立していることが、大きな契機となっています。日本の場合は、すばらしい上越教育大のような教育大学大学院があるんです。結果が上がらないというのか中教審答申のアイデアでうかんだのが教育大学大学院。何ですか。全く同じじゃないですか。社会人も収容する。一年で修士号をとらせる。冗談じゃあない。今まで、全く同じ大学が有るじゃないですか。何で無駄なことするんでしょう。そして、それは、先生たちに一年ではだめだと思っていることでしょう二年は必要でしょう。そうです。最低二年必要です。 北ヨーロッパでは、フィンランドだけではありません。本当に、一年間働いたら、数ヶ月の有給休暇をもらえます。こういうことを社会で整えていかなければなりません。現職教育の体制づくり、そしてそれを制度化していく。それは、教育委員会が主体になろうと教職員組合が主体になろうと先生方が自らを高めたいと思っていることを支援していくということが必要なのです。ポットでてきて日本の場合は、修士号が必要だからといって「今度つくるんだ」とフィンランドの先取りと考えているようですが、ちゃんといままでにも日本には素晴らしい教育大学と大学院があるのです。そういうことでたしかにグループわけする、そうゆうことも最低五年から六年、実習は半年が最低です。養成期間は、だいたい六年から七年くらいかかっているようでございます。というのは、たとえば外国語の英語ならば、イギリスとかアメリカに行かなければ単位を貰えないんです。語学の場合。ドイツ語ならドイツに行ったことを証明しなければならないんです。パスポートでその期間を確認。そしてもらえる。実際にふれることがいかに大事かということです。 もう一つ、教員組合は、国を左右するほどの大きな力を持っています。一九六二年に、冬から翌年の春までの四ヶ月間大ゼネストがありました。その解決をしたのが、フィンランド国民学校の教員組合でした。大統領に二度新聞で訴えました。国会議員がお手盛り歳費を値上げしてしまったんです。その日から、ストライキが始まりました。丁度クリスマスの前から大変なことになりました。最後に水と空気だけという状況。全部交通も断たれましたから買い物もなくなって、それでも子どもたちは学校に来る。水だけを飲んでいる状況に教師は子どもたちが気になる。私たちは限界です。大統領の裁量で歳費値上げを中止してほしいと訴えました。それが、通じて解決したのです。私は帰れなかったのですが、救援飛行機で特別に日本に帰る大使館の方とコペンハーゲンに着いて、その夜ストライキが解けたと報告を聞きました。それを解決したのは、教員組合だとコメントしていました。素晴らしい結束、美しい団体だと思いました。

 

十一、社会構成主義学習概念 

 

 人の成長発達なくして社会の成長発達はない。つまり、社会の発達は個々人の発達があってこそです。 個人が一人でなにをしても何にもならない。人とコミニュケーションをとってつきあって、友達になってつきあってこそ個性が開発される。個性というものは、社会的につきあってから開発される。ソビエトのヴィゴツキーが強調していました。これらを十分にふまえた上でこれをいたしました。そして、学校を社会化していく。そしてそのためにソシオメトリックメソッドを世界最初に考えたのが私の仲間でもあり、恩師でもあるマッティ・コスケンニエミィが 、一九六三年に博士号を「学級における社会的形成と過程」でとられました。

 これは、自分の実験学校の経過をふまえまとめられたものです。大学に実験学校をつくり、ジョン・デューイに学んでつくられた。ジョン・デューイというのは日本では誤解されているようですが、実験学校の三年間というのがありまして一九九六年につくりまして九九年にその成果を高らかにPTAに報告しました。宮原先生の訳ではこれがもれています。宮原教授が、一九一五年版をつかったからであります。「学校と社会」(岩波文庫)にはでておりません。最初に「最初にみなさん。入ったら脳を解剖されるかも知れないと世間でいわれている中であえて実験学校に入り、立派に三年間成長されたこと誇らしく思い感謝申し上げます。そしてぜひ言っておかなければならないことがあります。アメリカなど全ての学校が競争原理を使っておりますが、我が校はコーペレーション協同、助け合いの原理を打ち立てております。そのことにご理解いただいてお子さんをお預け下さったことに感謝申し上げます。」こうゆう素晴らしいことがあります。フィンランドの教育は、協同、助け合い、はげまし合い、先ほど言い忘れましたが、励ましがある、助け合いがある。こういうことをこの社会構成主義概念で申し上げたいと思います。時間があまりないのですが、質問も受けたいのです。早めにすすめます。もうお気づきとおもいますが、フィンランドからの教訓として私なりに考えたことお伝えしたいと思います。

 

    早寝・早起き、十分な朝食を学力向上への指針として

 

 これは、広島の校長先生のおしゃっていることでございますが、百マス計算は賛成しませんが、おっしゃっていることはまったく正しいのです。テレビ・ゲームもない、塾教育にも頼らない、そのことは正しいのです。フィンランドの子どもたちは、どんなに遅くても九時で、普通は八時に就寝します。次ぎに早寝・早起き。テレビ・ゲームは一切やらない。脳の後ろが発達し刹那的なものをみると、前の脳が発達しません。つまり、やさしく、寛容で、良く物事を批判するのは、前の脳です。ちゃちゃちゃやる戦争なんかは後ろの脳です。こればっかりで後ろでっかちなのです。それが日本なのです。これからの21世紀恐ろしいです。ゲーム開発をした会社の責任も重大だと思います。

 

  家庭・地域社会の協力

 

 フィンランドの会社は、お子さんの有る家庭の人は、お母さんでもお父さんでも「どうぞ八時出勤ですが、早めにきて五時までですが四時に早めに帰っていい」とすべての企業が実施しているのです。

 何のためでしょう。子どもとのコミニュケーションをとるためです。本を読んでやるんです。テレビのコマーシャルのようですが、「フィンランドの児童と青少年のための本」これはたまたま八○年代のものですが、ここの序文が面白いんです。あのムーミンのトーベ・ヤンソンがいるんですが、大家です。名もないけれど素晴らしい本を書いている人が32人います。どうか、みなさんここに解説をしていますからどうぞお母さん、お父さん選んで、読んであげて下さい。フィンランドの家庭はどの家庭でも200冊やそこら本をもっています。それでも電話をすると図書館からすぐ届けてくれるんです。そういう読書が出来る体制になっている。そういう地域社会が協力する。親御さんは学校にパートナーとしてやってくるのであります。

 

 「総合学習の時間」の徹底活用と公開を

 

  本当に教科書を使わないこんないいものはない。徹底的にやってもらいたい。これを公開して仲間の先生方にこの地区の教研集会に参加した方々から批判をあおいで、そしてつぎへのステップにしてやっていかれたらいかがでしょうか。私は公開をすすめます。そしてみなさま公開でやるということになったら私も見させていただきたいと思います。

 

  地域図書館との連係、新聞を補助教材に

 

  地域の図書館と連係を深められることは、大事です。フィンランドの場合は、地域の図書館の司書教諭はたびたび学校にきて、読書のすすめをやってくれます。新聞の補助教材は、東京では、T紙がありますが、日曜版をもっておりまして毎週補助教材としてなっている。どんどん新聞を補助教材として活用していいんではないでしょうか。

 

  グループ学習、課題学習を

   

 グループ間の競争をさせるのです。課題学習は、課題を与えて学習する。それを宿題に出してつぎの週に学習するのでもいいんです。土・日の活用にもつながりますが、プロジェクト学習をぜひ、すすめてほしいと思います。

 

  土・日活用の指導を

 

  ご当地での親御さんのご意見では、うるさいから学校へ行って欲しいというご家庭が多いようですね。土・日は子どもたちにとって活用できることを先生が教えてあげたらいいとおもうんです。図書館もそうですが、もちろんお稽古ごとを否定するものではありませんよ。ピアノのレッスンもいいですよ。つい先日の新聞を見て「そうだ」と思ったのです。茨城県で先生が気づいたんです。シルバーの会の方で、中学生で、ホームヘルパーの三級がとれる。それを県が土曜日も講習をやっていて、それに中学生が大量に参加しているというんです。すごいですね。中学生が資格をとってホームヘルパーになれるんです。うれしいでしょうよ。1213才で資格がとれるんです。そういうことを教えるのも先生の仕事でしょうね。

 

   先生方の研修体制の確立を

 

  さきほどから申し上げたとおりですが、これを法的に窮屈でなく、まさに「ゆとり」が先生方にあることが大事なんです。きちきちやってもう時間割でしばっていってもだめなんです。本当に先生方が自ら高められる時間が十分とれることが必要。それがプラスになるんだということを当局にわかってもらうための努力をしていただきたいのです。

 

   おわりに

 

  フィンランドのみならず先進諸国、開発途上国で高く評価されている日本の教育基本法のことを申しあげましたが、お隣のスウェーデンでもフランスでも新しい教育法は、日本の教育基本法から学んでいるのです。フィンランドには、教育基本法の英訳三部をもっていきました。一部は講演の時に使いました。一部は、フィンランドで一番影響を与えたコスケンニエミィ教授に。また、学校庁長官で後の改革委員長に会いにいって話し合った時に渡し、大変に参考になると言ってよろこばれました。私が帰った後に、改革委員会から国会へと持ち込まれました。

 開発途上国、フィリッピン・ブラジル・メキシコなど幾多の国が参考にしていますが、日本の場合、韓国・中国・フィリッピンが最後の一線を守ってくれているのは、これがあるからです。これを変えるということになれば、警戒すべきということになります。おそらく、「大使召還」国交断絶ということです。

靖国に行くことは、もう日本と中国の国交断絶もあり得る。そうならしてはなりません。そして「憲法改正」断じて許さない。憲法も改正していないのに、教育基本法を文科省がどことどこをどう直すなど始めている、原文をつくっている、白書に明示している。われわれは、文科省にそんなこと頼んだ覚えはありません。断固として阻止しなければなりません。

 そして、「われわれ(フィンランドの教育)が世界一になったのはありがたいんだけど、21世紀に生きる力を子どもたちがもっているかどうかをはかったものであることをご留意いただきたい。」と。まさに、「生きる力」を身につけさせ、責任もった、ちゃんと役割分担し、寛容な心をもった、助け合い、自分一人がいいんじゃなくて友達を大事にし、バリアフリーの本当に心豊かな、福祉のある、そんな社会を実現していくこと。

 そのために先生方が日夜奮闘、特に健康に留意して頑張って下さい。   

 

 

質問 テレビは規制されているのか。

 

答え  フィランドはテレビを信頼されていない。

      人間性を低める番組はみないし、まずない。

      1976年に、これからテレビの番組が子どもの文化的自覚の芽をつむことに気をつけましょうとよびかけ、今もそれを守っている。

      6時から50分まで子どもの番組を親と一緒に見る。

      社会通念となっている。中心は、本を読むことになっている。


この講演記録は、6月20日東京都教職員組合足立支部支部教研全体集会で 早稲田大学名誉教授の中嶋 博氏が「真の学力向上にせまる・フィンランドの教育に学ぶ」をテーマに話された内容のテープを起こしたものです。

 講演記録につきましては足立支部がその責任を負うものです。特に外国語については、聞き間違いがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。

 内容そのものは、非常にすばらしく、これからの日本の教育の方向性を示唆して頂きました。

 また、世界各国が教育のあり方について日本の教育基本法から学んでいるということを聞き、教育基本法を大切にしていくことの意義を改めて学ぶことができました。

 ぜひ、一読されてご意見をお寄せ下さい。

  二〇〇五年七月

        東京都教職員組合足立支部

 

      トップに戻る   概要版