Column3  ジャンボ鶴田さんへの追悼文  H12 5/18執筆



〜ジャンボ鶴田よ永遠に・・・ 6・9 日本武道館内にて撮影〜

ジャンボ鶴田さん(本名・鶴田友美 49歳 元全日本プロレス)が、
平成12年5月14日未明、フィリピン・マニラ市内の病院で
肝臓移植手術中にお亡くなりになられました。

鶴田さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

既にマスコミ等の報道で皆さんご存知だと思いますが、
あのジャンボ鶴田が49歳という若さで逝ってしまった。

昨年3月6日の日本武道館。引退セレモニーで、『人生はチャレンジだ』と言い、
新たな夢を掴む為、第二の人生へ颯爽と歩み出して行くあなたの姿を見た。
まさかそれがジャンボ鶴田を見る最後の機会になってしまうとは・・・

俺がこの世に生をうけ、初めて見たプロレス。
記憶の糸を辿ると、それは ジャイアント馬場 vs ジャンボ鶴田 の師弟対決だった。
夏に家族で海へ行った時、民宿で100円を入れて見るタイプのテレビで見たと思う。

時は経ち、俺がいわゆる本格的なプロレスファンになったのは、
当時中学生だった俺が何気にTVで目にした全日本プロレス中継がきっかけ。
丁度、ジャンボ鶴田は肝臓を患って欠場中で、
三沢光晴率いる超世代軍がひたすら走り続けていた頃。
小橋健太は菊地 毅とタッグを組んでアジアタッグを保持していた頃。
一発でプロレスに、全日本プロレスに引き込まれた。

学校でプロレスにハマリ出した事を同級生の友人達と話した。
その友人達の中の一人に熱心なプロレスマニアで鶴田信者が居て、
彼はとても嬉しそうに全日本プロレスの歴史、闘いを俺に1から10まで
会話や彼が録画した過去の試合のビデオ等を見せて、叩きこんでくれた。
鶴田関連では、当時、俺が心を奪われ、信奉していた超世代軍が
J・鶴田という強大な壁に立ち向かって行った闘いはもちろんの事、
彼曰く、「とてつもなく凄かった、今の試合の比じゃない」伝説の鶴龍対決。
果ては鶴田自身が唄う、ローリングドリーマーを録音したカセットテープまで聴かせてくれた。

そんな友人が近くに居た事もあり、俺の人生のプロレス初観戦の日は意外と早く訪れる。
地元の横浜に全日本プロレスが興行に来る事を知り、俺とその友人を含めた5人で
’93 サマーアクションシリーズ 横浜文化体育館大会に足を運んだ。
当時、超世代軍から川田が三沢の元を離れる形で抜け、
結果的に小橋が超世代軍のナンバー2に、三沢の正パートナーになった頃。
その日のメインイベントは、
超世代軍(三沢、小橋、秋山、菊池) vs 聖鬼軍(川田、田上、渕、小川) のサバイバルタッグマッチ。
初めて体験する生観戦の会場の空気、盛り上がり。
そして当時、既に俺はTV等で見る小橋健太のファイトに魅了され、ファンになっていました。
その小橋が初観戦の日、自分の目の前で、
当時格上の田上からムーンサルトプレスでフォール勝ち!たまりません。

その日以来、俺はプロレス観戦をしないと生きていけないと言っても過言ではない身体になり、
全日の武道館大会と地元横浜での年1回の興行へ欠かさず行くようになり、今に至っているわけで・・・

観戦を続けていくうちに、鶴田さんが闘病生活の中、無理だと思われていたリングへの復帰。
復帰戦、ジャンボ鶴田の入場テーマ、「J」に乗り、鶴田が入場・・・
武道館が割れんばかりの大鶴田コールでした。あれは凄かった。みんな鶴田を待っていたんだろうな。
その日のセミファイナルの試合では川田と小橋のシングルマッチが組まれていました。
二人は「鶴田さん、見ててください!」と言わんばかりの熱く激しい闘いを繰り広げる。
特に試合終盤の意地の張り合いとしか言い様の無い、バックドロップ合戦は魂を揺さ振りました。
ジャンボ鶴田一世一代の必殺技、『へそで投げる』バックドロップ。
二人の鶴田に対する最大限の敬意を感じた瞬間でもありました。
(試合は川田が先輩の意地を見せ、渾身のストレッチプラムで小橋を締め落とし、
ギブアップしない小橋を川田が押さえ込み3カウントを奪い決着。)

その後、鶴田さんは一線を退き、スポット参戦という形で前座でのファイトになりましたが、
プロレスが出来るという喜びを感じつつリングに上がっていたのかな・・・
武道館で馬場さんとハンセンと超豪華トリオを組んだ事もあった。あの時はワクワクしたなあ。

でも、俺がプロレスファンになるのが、せめて三年早ければ・・・
超世代、鶴田超えを掲げ、立ち向かってくる三沢達を
圧倒的な強さでねじ伏せたジャンボ鶴田を生で見れたはず・・・
こればかりは運命の巡り合わせだから仕方ない話だけど・・・

そして昨年、馬場さんが急逝。それから約一月後、ジャンボ鶴田が引退を発表。
弥生三月、早春の日本武道館。引退試合は無く、セレモニーのみとなった。
鶴田さんが大好きだったマイウェイをBGMにマイクでファンに引退の挨拶。
スーツ姿でコーナーポストに登って現役最後の「オー!」を連発。
後日、全日本プロレス中継で三沢が空港でアメリカに発つ鶴田を見送るシーンを見る。
映像からも二人の信頼関係が伝わってきた。
鶴田を見送る三沢の背中を映した場面が印象的だった。

アメリカの大学で教授活動を続けているとばかり思っていましたが・・・
昨年末、再び肝臓が悪化し、その事を近しい人にしか伝えず、
静かに再び闘病生活に入っていたとは・・・・・
そして。
平成12年 5月14日 遠い異国の地、フィリピン・マニラにて帰らぬ人に。

誰が一番強いのか?という話題になると必ずと言っていい程、
ジャンボ鶴田の名が出てきたものだ。
49歳。最終的に肝臓ガンだったとはいえ、あまりにも早い・・・早いよ・・・

あちらでも幾多のライバル達が鶴田さんを迎えてくれるでしょう。
馬場さん、そちらのリングでもジャンボ鶴田は当然、また最強の世界チャンピオンになれますよね?


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