Column9 三沢光晴さんへの追悼文 H21 6/21執筆
〜ありがとう三沢光晴・・・ 画像は2005年7・18
東京ドーム大会、運命の川田戦〜
追悼・・・この言葉を割り切って使えるほど、
まだ自分の中で三沢選手の死を消化できていません。
多数の選手やファンが思うのと同じ、まだ信じられないし信じたくない現実です。
13日夜、タッグ選手権試合の結果を調べるためにネットを見ていて
目に入ってきた現地の状況を伝える第一報。そして信じたくない情報。
あまりのショックの大きさに頭の中が真っ白になり、思考が止まりました。
今月8日に、八王子大会でその姿を見てきたのに・・・
三沢光晴は僕の青春でした。
中学生の時、初めてTVの向こうでこれがプロレスか・・・?と
我が目を疑う激しいファイトを繰り広げている
緑色のタイツを身に纏う、若きプロレスラー。
それが三沢光晴でした。
自分がプロレスファンになった切っ掛けは超世代軍。
三沢、川田、小橋が形振り構わず相手に立ち向っていく姿に胸躍らせ引き付けられました。
ちょっとしたプロレスブームが自分の周辺で確実に起こり、
中学の同級生達と共にプロレス観戦に行ったのが思えば自分の初プロレス観戦でした。
早いものでそれがもう18年近くも前の事です。
時代というものを黄金の右肘と天性のプロレスセンスで確実にものにしていった三沢。
後に所謂四天王の時代に突入するわけですが
今思えば、確実に三沢がいつでも中心に居ました。
目を瞑れば本当に今でも鮮烈に数々の場面が浮かんできます。
最強外人、スタン・ハンセンにエルボーで立ち向かって行った三沢の勇士。
世界最強タッグで三沢・小橋組で川田・田上組を破り弟分の小橋に「世界」のベルトを初戴冠させて見せた武道館。
三沢と川田の三冠戦、衝撃の投げ捨てジャーマン3連発。
眼窩底骨折の怪我を押して優勝したチャンピオンカーニバル。
三冠戦、コーナー対角線を走り、執拗に食い下がる小橋を仕留めた魂のランニングエルボー。
NOAHを旗揚げしたあの熱い夏の日。ディファ有明の3本勝負。
3・1武道館、伝説のGHC戦、三沢vs小橋。
NOAH初のドーム大会、武藤との初遭遇。
運命に引き寄せられ、NOAH2度目のドームのメインで見せた川田戦。
小橋の癌からの復帰戦、堂々とGHC王者として迎え撃った武道館・・・
もっともっと・・・ここに羅列しきれない位数々の時をファンとして共有してきました。
試合中の事故により、三沢が帰らぬ人となってしまった事で
今のNOAH主流となる、四天王時代から受け継がれるプロレススタイルについても
色々考えなければならない時なのかな、という気もします。
ただ、三沢達が命を削り、紡ぎ、作り上げてきたプロレスを否定する気持ちにはなれません。
ここ数年、長年の激戦のダメージ、社長業の激務により
三沢のコンディションが思わしくないのは、プロレスファンなら誰でも知っている事でした。
現実に三沢は暫く休養した方が良い、という声は一定数挙がっていたのは事実です。
それでも、状況や三沢という人の持つ強い責任感がそれを許さなかった。
今更・・・何を言っても悔やんでも、三沢は戻ってこないのは分かるけど
どうにかできなかったのかな、周りの人間もファンも。そういう思いが少なからずあります。
気持ちの整理がつきません。
でも、貰ったものはあまりにも大きく、多いし、感謝の気持ちでいっぱいです。
7月4日、ディファ有明で行われるお別れの会に行ってきます。
そこで少しでも自分の中でも一つ、区切りが付けられれば良いとは思っています。
とにかく、今は安らかに・・・
ありがとう、三沢光晴!貴方を絶対に忘れない。