Ancestors

人類の祖先についての最近のお話


もくじ

はじめに
進化論
人類進化の因果関係
言語の話


はじめに

いや、その、1990年代ごろから、いろいろな学問分野でどわっと変化している ところがあって、ま、実際は、1980年代半ばくらいからなのかもしれませんが、 簡単にいうと、今年(1999年)年男である私としては、たとえば、恐竜関係の本 を読むと、なんだか子供のころ見ていた恐竜のイメージと違う。たとえば、子 供のころの恐竜は、チラノサウルスは、しっぽを地面にたらして、のっしのっ しと歩くものだったのですが、そうそう、あのジュラシックパークに登場した チラノサウルスっていっても、名前まで、T. Rex なんてかっちょいい名前に なっていたりして、しかも、非常に敏捷な感じで走るような感じ。で、結局、 そのあたりは、バッカーあたりが、「恐竜は温血動物である」とかいう説をだ したあたりから、話が変わってきたってことのようです。

で、そんなあたりで、同じような古生物学の一つである古人類学のほうも、な にやら、1980年代半ばから、いろいろ様相が変わってきたかな、っていうのが あります。そのちょいと前までは、人類の祖先は、1200万年くらい前のラマピ テクスまで遡り、すでに、チンパンジーやゴリラとはかなり昔に枝分かれした、 というようなそういう印象があったのですが、結局、分子生物学的な方法での、 ミトコンドリアDNAの解析から、チンパンジーと別れたのは、せいぜい500万年 前だろうとか、そういう話になって、で、ご先祖様と思われていたラマピテク スは、どってことない、オラウータンの祖先だったというわけです。それも、 ラマピテクスの全身骨格がみつかったことで、決着がついたのが、たしか、 1985年ぐらいだったと思います。

それから、そのミトコンドリアDNAで大きく認識が改められたのは、それだけ でなく、現在の人類のいろいろなミトコンドリアDNAの変異から考えると、人 類の祖先は、大方、12万年くらいまえのアフリカに行き着くという結論になっ たわけです。これは大きな驚きで、だって、地球上に人類が広く行き渡ったの は、100万年以上前で、アジアではジャワ原人や北京原人そして、ヨーロッパ でも、どこでも、そういう原人というのは、旧世界全体に分布していたわけで、 多くの人類学者は、それぞれの地域で、それぞれの原人(学名からすれば、直 立原人、ホモ・エレクトス)から、それぞれの人種、民族が生まれたのだ、と いう風に考えていたわけです。だから、北京原人からは中国人などアジア人が、 ジャワ原人からは東南アジア系の人々が、そして、たとえば、原人より多少あ との時代になる、ヨーロッパで有名なネアンデルタール人からは、ヨーロッパ 人が発生したとか思っていたわけですね。

このあたりの、考え方の大変革の直前くらいに、BBCが、ケニアの人類学者リ チャード・リーキーの監修と出演で、人類の祖先についてのすっごい番組をつ くっていて、私も大学時代だったころNHKが吹き替え版やっていて、それを見 て「ほうほう、やっぱり北京原人がアジア人になったのか。」みたいに思って いたのですけど、その直後になると話が全然違うようなことになった。これは 驚きました。

ごくごく最近になって、なんとネアンデルタール人の化石から、ミトコンドリ アDNAが採取されて、その配列解析が行われて、結果として、現代の人類とは かなり遠い関係という結論が出てしまいました。およそ60万年前には分かれた ということでした。つまり、原人の時代には、ネアンデルタール人と人類は別 系統ってことになります。

ここでトピックス!!

ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析でしられるぺーボー博士が、 この間、日本で開かれた生物情報科学関係の国際会議で講演しまして、その中 で、「最近までに、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAは三体分わかっ ている。ヨーロッパのものと、西アジアのものと、そしてコーカサスのものだ。 その三つとも、ほとんど同じ配列で、ネアンデルタール人というものが、かな り均一な種であることがわかった。」とのことです。

ここまででトピックス終り

こういう考古学的な人類学による祖先探しがいろいろ発展する中で、実践考古 学とでもいうようなおもしろい話も出てきて、たとえば、250万年前のオルド ヴァン式石器などが発見されると、それを実際に作ってみるなんていう学者が いるわけで、その結果「なんと、オルドヴァン石器を作った猿人も実は右利き だった。」なんて結論を出しています。で、そのあとで、発見された頭蓋骨を いろいろ計ると、左右非対称で、これは、現代の人類も多少の非対称性をもっ ているとのことで、チンパンジーやゴリラなどの類人猿では、そういう非対称 性がないので、利手が決定したあたりも、人類らしさに影響する!なんていう 話にもなるわけです。

さらに、従来は、原人とか、猿人とかそういうのは、狩をするハンターであっ たというような認識があって、我らの祖先は、最初から石器をつかって、狩を する勇敢な生き物だったのだ!という感じだったのですが、どうも、石器の利 用のしかたや、その活動のパターンをいろいろ分析すると、狩よりは、腐肉漁 りをしていたのではないかというような話が中心になってきて、つまり、捕食 性の動物が喰い残したものを、石器をつかって解体して、食べるというような 結構情けない生き物だったような話が出てきたわけです。でもって、本格的な 狩を始めたのは、実は結構最近の話で、案外それは、ここ5万年くらいのこと ではなかったか、というような話になり、そして、5万年前くらいに、人類に はなにかが起った。それは、基本的な思考様式の変更ではないか、そして、そ れは言語の発達と関係があるのではないか、というような話になりました。

このあたりで、言語学者もまた興味を持ちはじめ、チンパンジーの言語の観察 なども含めた形で、言語の発達こそが、人類を人類たらしめたのだ!という説 を出し始めたのです。

一方で、人類のここ数万年の行動についても、いろいろ考古学などで分かって きて、たとえば、日本の縄文時代の始まりが、1万6千年くらい前の土器製作の 時代まで遡ると考えられるようになり、また、いろいろな地域での農業の始ま りも、だいたい1万数千年前に遡るような遺跡、遺物が出始めました。

言語、文化、民族、などなどで歴史をさぐる考古学と、人類の進化をあつかう 古人類学とが、数万年前という同じくらいの時代で接合するようなことになっ てきたわけです。言語学からすれば、いくつかの代表的な語族の歴史的な分化 のようなものが、だいたい1万年前くらいまでをターゲットにすることができ るわけで、その観点からすると、およそ5万年前から、3万年前くらいに人類 は人類らしい言語をもつに至り、その言語が十分社会的なものを反映できるく らいに発達したのが、2万年前くらいだとすると、その直後に農業が始まり、 そして、それが歴史を作ったと考えられるわけです。

まとめると、人類は、およそ500万年前に現在生きているチンパンジーなどの 祖先と分かれ、直立歩行を始めたのが400万年前。そして、350万年前ごろのア ファール猿人はかなりちゃんとした直立歩行をしていて、そして、250万年前 のホモ・ハビリスは、原始的なオルドヴァン式石器を作るようになった。そし て、200万年前に登場したホモ・エレクトスは、現代人以上にすばらしい肉体 を持ち、野山を駆け巡っていたけれど、やっていたことは、腐肉漁りで、狩人 ではなかった。彼らのアシューリアン式石器は、たしかに、オルドヴァン式石器よ りは優れていたが、そのあと100万年以上にわたって、ほとんど変化せず、よ うやく数十万年前に、ムステリアン式石器というやや技巧的な石器が作られる ようになった。世界各地で、ホモ・エレクトスが進化していったようで、ヨー ロッパでは有名なネアンデルタール人がムステリアン式石器を作って非常に高 い文化を持つようになった。しかし、12万年前くらいに、アフリカで発生した ホモ・サピエンスは、数万年の間に、世界のあちらこちらに進出し、おそらく、 それぞれの場所に住んでいた原住民であったホモ・エレクトスの後裔たちとの 競争に勝ち、彼らをことごとく滅ぼした。最後のネアンデルタール人は、およ そ3万年前に滅んだが、彼らは明らかにホモ・サピエンスと交流があったこと がうかがえる。で、この、ホモ・サピエンスの爆発的な世界進出と、その後に 起る文化革命的なものは、おそらく言語の発達によって起ったのであろう。っ てな感じでしょうか。


進化論

人類が、そもそもチンパンジーなどの祖先と同じ生き物だった時代から、現在 にいたるまで、その体の形から、脳の大きさまで変化しているのだから、これ は当然のことながら、進化しているわけです。で、進化というと、すぐに、突 然変異と自然選択による淘汰で、より優れたものが生き残るとかいうことを思 い浮かべ、それで猿から人類が、とかいう単純な話で理解してしまう人が多い。

で、進化論がダーウィンによって提唱されてから、DNAなんてものがみつかり、 そこに塩基配列があって、その配列は分子化学的な理由で結構頻繁に変り、そ の変った結果が個体に良い影響をおよぼすと、その個体が選択されて、他がほ ろびる、とかいうような単純な理論を考えてしまうのですが、これ、ウソです。

生物の体の設計図としてのDNA、で、その細胞の中にあるDNA全体をさして、ゲ ノムというわけですが、このゲノムの中には、体の中で必要ないろいろなタン パク質を合成するための設計図があります。DNAの配列をmRNAというものが写 し取って、それをタンパク質のアミノ酸配列に置き換えられるわけです。で、 その配列にしたがって、タンパク質は特定の立体的な形をとり、それが機能す るようになるわけです。で、このタンパク質の配列に転写されるゲノムの領域 を普通遺伝子と呼びます。遺伝子は、「ここから読み出せ」というのを表すプ ロモータという部分があって、そこからしばらくして、実際にタンパク質配列 をコードしている部分があります。

てなわけで、ゲノム中の遺伝子の部分に突然変異が起ると、とうぜんタンパク 質の配列が変化します。で、タンパク質の配列が変化すると、普通タンパク質 は機能しません。だから、遺伝子領域での突然変異はほとんどフェイタルで、 そんな部分に変異が起ったら、その個体は死んでしまうっていうか、そもそも この世に生まれる前に細胞分裂の初期段階で死んでしまうのがほとんどです。

もちろん、タンパク質をコードしている遺伝子部分に変異があっても、稀には 問題がない場合もあるので、たしかに、同じ機能をもつタンパク質について生 物種ごとにいろいろ比較すると、多少の違いはあります。その多少の違いって いうのは、たとえば、チンパンジーと人間では、まずほとんど同じ。マウスと 人間でも、かなり同じ。爬虫類と人間くらいになると、結構違いますが、その 違いせいぜい30%とかそういうもんではないかと。ってつまり、たとえば、血 中の酸素を運搬するヘモグロビンですと、トカゲのへモグロビンと人間のへモ グロビンの配列を比べたときに、全体の30%くらいは違うアミノ酸に置き換え られているとかいうものです。トカゲと人間だと、祖先から分かれたのは、三 畳紀くらいだから、3億年前とかそのくらいに遡るとは思いますが、それで、 ようやく全体の1/3が違う程度。で、人間にはヘモグロビンと似た機能をもつ けと、おもに筋肉に存在するミオグロビンというタンパク質がありますが、こ のミオグロビンとヘモグロビンの配列の違いが60%くらいです。ミオグロビン とへモグロビンが分かれたのが、だいたい8憶年前とかいうから、これって、 生物種がどかんといろいろ発見されるようになるカンブリア爆発以前の話。

簡単にいうと、人間が使っているタンパク質10万種とかいうののほとんどは、 それこそカンブリア爆発以前に全部準備されていて、それこそ脊椎動物全体で は、どれもほとんど同じタンパク質のセットを多少の変更程度で使っていると いうことになり、これは、さらにウニくらいの動物でもほとんど同じです。人 間のへモグロビンをトカゲのへモグロビンで置き換えたとしても、多少貧血に なるとかそういうことはあっても、致死的なものにはならないと思います。

てなわけで、チンパンジーと人間で、タンパク質の配列はまずほとんど同じで あって、稀にみつかる両者で配列が違う場合に、たとえば、チンパンジーの遺 伝子と人間の遺伝子を交換してどうかというと、やっぱりチンパンジーはチン パンジーで人間にはならないわけです。

じゃあ、どうしてチンパンジーはチンパンジーで人間ではないのかというと、 タンパク質の配列が違うからではなくて、むしろ、タンパク質を作る量とか作 るタイミングとかが微妙に違うからである、と言える。この微妙な違いとかい うのは、タンパク質を生成するために使われる遺伝子の部分ではなくて、ゲノ ム中のもっと全然関係ないところ、つまり、なにも意味を持たないような部分、 普通ジャンク領域とかいうけれど、での多少の変異が、つもりつもって人間と チンパンジーの違いを作り出しているということなんです。いや、もっといえ ば、爬虫類から鳥類、哺乳類全般、それらすべてが、ゲノム中の遺伝子領域に おいては本質的に同じであって、そこに突然変異が起った場合はほとんどフェ イタルですが、フェイタルにならない突然変異、つまり、ジャンク領域といっ て良いような場所に起った変異はそれぞれのタンパク質を作るときの微妙な量 の違いとか、タイミングの違いを発生させて、それが積もり積もって爬虫類か ら哺乳類全般までのいろいろな種を作り出したということです。

さて、こういうどってことないジャンク領域での変異は、それ自体は、ほとん どなんの影響もないので、これで進化するということないわけです。なにも変 化がないから、そういうものは、種の中に拡散して、その変異をもつものと持 たないものができます。ところが、ある環境下で、その変異をもっている個体 と持っていない個体では、持っている個体のほうが環境適応上有利な場合があ る。そういうときに、その変異をもっている個体のほうがより適応して、そこ で初めて進化が起る、そういう風に考えたほうが、どうやら、考古学的に発見 されるものとの間でも整合性がよくとれているようです。っていうのは、断続 進化っていう現象が見えるわけです。ある時代を境にして、突然進化が起る。 それも、種について一斉に進化したような状況になるわけですね。一個体だけ が進化しても、種全体が進化することはないのですから、種全体が進化すると いうことは、種全体に進化につながる突然変異が広く行き渡っていたことにな ります。だとすると、変異が起っても、それが直接進化につながるわけではな い。変異が起って、その変異が種に拡散して、そしてなんらかの環境要因があっ て、その変異をもつものが選択されて、突然進化する。そういうことのような んです。


人類進化の因果関係

さて、人類の進化というものを語るときに、現代の人類が、非常に大きな頭脳 をもっていて、そして、知能が優れているわけだから、500万年前のある時代 に突然頭脳の大きな猿が現れて、それがよりいっそう頭を使うようになって、 どんどん頭が大きくなり、現代人にまで至った、とか考えてしまうことがあっ たわけですが、どうもこれも違うようです。

人類の祖先として、あきらかにチンパンジーなどとは違う、人類に近い種とし て、直立猿人類が登場するのが、約400万年前くらいです。アファール猿人と よばれています。その直立猿人類の多くは、頭蓋骨の大きさから推定される脳 の容積は、チンパンジーなどとほとんど同じ。身長や体重もチンパンジーと同 じようなものなので、知能程度もチンパンジーと同じだと推測できます。

ところで、この直立というのは、結構おもしろい結果を引き起こすのです。直 立するようになると、子供の出産の仕方が全然違ってくる。チンパンジーでも、 ゴリラでも、母親は子供を生むときは、自分で子供の頭をひっぱりだして生む ことができるわけです。ところが、直立して歩くように骨盤が変化していると、 体勢的に、子供を引っ張り出すのが難しい。手が届かないとか。

そうすると、結局、だれかに助けてもらって出産するということになる。いま でいうなら、助産婦の存在っていうのが、どうしても必要になります。その意 味で、直立猿人の中で、後に人類とは無関係な方向に進化した、アウストラロ ピテクスの中の頑丈な系統のものであっても、とにかく、集団生活をしていて、 そして、女性が出産するときには、助産する必要があったということになりそ うです。

直立する、助産者が必要、となると、これで頭の座りがよくなって、脳が拡大 できるようになると言われていますが、だからといって、脳が大きくなる必要 が無い場合は、そうはならないわけで、直立猿人の中でも、ロブストス猿人は、 そのままひたすら直立姿勢で、木の実を食べることに必死になって、頑丈な顎 をもつようになり、脳の容積もむしろ小さくなるような状況で、非常に頑丈な 頭蓋骨をもった「立って歩いて噛むだけ」みたいな猿人になったわけですけど、 彼らだって、百万年近く生息していたのですから、決して進化が失敗したわけ ではないでしょう。ロブストス猿人のやりかたも一つの適応として正しかった わけです。

ところで、頭がちょっとでも大きいと、出産は非常に大変です。アジア人、と くに、寒冷地適応している北方系モンゴロイドとよばれる人種は、頭が大きい。 ヨーロッパ系の白人などと比べると、たしか容積が平均して100cc程度大きい はず。で、この結果は、出産の負担が数倍違うっていう状況になるわけです。 日本では出産は、陣痛が始まってあーだこーだと半日、いやそれ以上かかるよ うな場合がほとんどですが、ヨーロッパ人だと、数時間くらい。で、頭の大き い日本人の場合出産後の母親の体力の消耗も非常に激しいのが普通で、それこ そ出産から数日は、場合によっては病人のような生活を余儀なくされることも 多いです。生まれた赤ちゃんの体力の消耗も激しいので、日本の場合、これほ ど医療が進歩している先進国でありながら、ヨーロッパ、アメリカなどに比べ て、乳幼児死亡率はずっと高いわけです。近代以前であれば、さらにその違い は激しいわけですよね。同じように頭の大きい赤ちゃんが生まれるモンゴル人 の場合は、立ちお産などの方法とか、いろいろ工夫しているようです。日本で も平安時代は、出産といえば、数時間にわたって数人がかりで、男性が出産す る女性の尻を抱え上げて揺するというようなすごいことをやっていたようです。

となると、頭脳が大きくなることができた猿人は、やはり助産がそうとうしっ かりできる文化を備えていたということが言えそうです。てなわけで、直立す ることは、かなりいろいろな影響があったといえる。さらに直立することで、 女性の性器が普段外から見えにくくなるので、その影響で性生活そのものも大 きく変るようです。

とにかく、直立を始めた直立猿人の中には、ロブストス猿人のような適応をし た以外に、多少頭脳を大きくするという適応をしたのがいたらしいことは分かっ ていて、それが、ホモ・ハビリスという、初めて石器をつくった人類の祖先だ ろう、と言われています。

ホモ・ハビリスは、およそ250万年前くらいに登場して、脳容積がロブストス 猿人やチンパンジーなどと比べて多少大きく、オルドヴァン式石器というもの を作っていたようです。よく教科書などには、丸い石の片方が打ち欠いてある ような石器の絵などがありますが、あれは、石器ではないようで、石器を作っ たあとの石の残骸というのが正しいようです。打ち欠いて削れたほうの石辺こ そが石器で、これはかなり鋭い刃になります。これで何をしていたのか、とい うと、どうやら、動物の死体の解体をやっていたらしい。最近では石器の出て くる状況から、ホモ・ハビリスは、石器の材料になる石を持ち歩いていて、石 器を使う現場で石器を作っていたようだと言われています。また、石器に残っ た痕や、石器を使った痕跡のある動物の骨などの分析から、石器を使った対象 は、狩をして得た獲物ではなくて、死んでからしばらく時間がたった動物であ ることがわかってきました。

ということで、ホモ・ハビリスは、おもに腐肉漁りをしていたという結論が出 たわけです。ライオンのような捕食性の動物が殺して美味しいところを喰った あとの食い散らかし。さらにそれを腐肉漁りをする禿鷹などが食散かしたあと、 残った骨と皮だけになった動物の死体から、まず骨を石器で割り、その中の骨 髄を食べるというわけです。この骨髄は、動物が死んでだいぶたっても腐るこ とがなく、しかも非常に栄養があるそうで、この栄養を得ることができたホモ・ ハビリスは、木の実などばかりを食べていた、ロブストス猿人よりは、かなり 独自の新しい栄養状態の良い生活ができるようになったというわけです。

因果関係としては、ホモ・ハビリスがそういう石器をつかった腐肉漁りができ るようになって、栄養状態がよくなったから脳が大きくなったのか、脳が大き いから石器が作れるようになったのか、そのあたりがおもしろいところです。 あるいは、石器を作らないまでも、石で骨を割って食べるようなことを始めた 猿人が、栄養状態がよくなったことで脳が大きくなり、その結果石器を作るま でになったとか。

ところで、このホモ・ハビリスが作っていたオルドヴァン式石器。鋭利な石の 薄片を作るわけですが、現代人がこれをまねしても、そう簡単ではないそうで す。ちなみに、良く訓練したチンパンジーでも作ることができず、現代人であっ ても、かなりの習熟が必要とのこと。で、この石器を作るためにいろいろ工夫 していたときに、こういう石器などを作って実証する実験考古学者たちは、ホ モ・ハビリスが右利きであることに気が付いたというわけです。

どうも、右利きということ、あるいは、それによって脳の左右の働きが違って くるということ、そのあたりが、人類の進化に大きく影響しているのではない か、ということが最近いわれています。で、この脳の左右の違いというのは、 チンパンジーなどの類人猿にはない特徴で、かつ、人間にならなかった系統で あるロブストス猿人などにもない特徴です。因果関係としては、この石器を作 り始めたことと、利き手が出てきたこと。そして、それに基づいて脳の左右の 役割が違ってきたこと、そして、それで脳が形自体非対称になったことという のが、人類の進化の特徴であろうというわけです。

ホモ・ハビリスの時代から50万年もすると、ホモ・エレクトスの原始的なタイ プが登場します。ホモ・エルガスターとも呼ばれているようです。大発見だっ たのは、アフリカのツルカナ湖の近辺で発見された、後にツルカナボーイとい う名前がつけられた化石人骨です。ほぼ体全体の骨が出そろっていて、そこか ら、このツルカナボーイのいろいろなことが分かってきました。

まず、その体の形は、現代人以上によく発達していて、身長は160センチくら い。永久歯の生えかたなどから、人間の12歳程度の成熟度で、そこから大人に なったときの身長は180センチ以上にまでなり、直立のしかたはほとんど完全 に現代人と同じで、むしろ現代人以上に速く走れて、速く飛び回れただろうと いうことでした。

さて、そのツルカナボーイ、その後、歯などに残る年齢を表す模様などの分析 で、年齢は9歳と判断され、そのことから、このホモ・エルガスターの少年は、 人間よりもおよそ1.5倍くらい成長が速かったことが分かりました。骨格上、 現代人と違うのは、肩幅が狭いことと、脳容積が小さいことくらい。で、現在 のツルカナ湖周辺の民族とかなり似た骨格で、非常に手足が長く、熱を放散し やすい体型だったこともわかりました。つまり、暑いところむけ。

結局、ホモ・エルガスターに至って、直立歩行という面では、完成され、現代 人をしのぐほどの適応状態になったわけです。おそらく、400万年前のアファー ル猿人が、ときどき樹上生活もしていたらしいような状況とは全然異なり、完 全に大地を二足歩行で走り回っていた活動的な動物だったのだということが分 かっています。いまのところ、ホモ・ハビリスについては、化石が断片的であ まりしっかりしたことが分かっていないのですが、直立を初めて200万年弱で、 完全な直立歩行を完成させたというわけです。いまでも博物館やちょっと古い 教科書的な本では、原人というと、膝を多少曲げたような体勢で歩く、不格好 なものとして描かれていますが、実際、それは、せいぜいアファール猿人の時 代までで、ホモ・ハビリスの時代はどうかわかりませんが、200万年前ごろで てきた人類は、その歩き方、走り方は現代人と同じかそれをしのぐものであっ たと言われています。つまり、この段階で、二本足で直立する動物としては完 成されていたと言えます。

私自身、このツルカナボーイの骨格を見たときは驚いて、しかもこれが、180 万年前の地層から出たことも驚きでした。こんなに昔にこんなに人間的な動物 がいたのだとは、考えられませんでした。

ツルカナボーイのほぼ全身の骨格が発見されたことで、非常に多くのことがわ かりました。興味深いのは、脊椎の構造でした。脊椎の断面の形を調べてみる と、それが現代の人間とはかなり違っていることが分かったわけです。現代の 人間では、脊椎には、細かい神経がいろいろある。ところが、ツルカナボーイ にはそれがない。骨格から考えて、運動能力は現代人をしのぐものとすら考え られるのに、脊椎の神経が単純であるということは何を意味するのか。そこで、 現代人の脊椎の神経がなにをコントロールしているのかということをいろいろ 調べると、横隔膜など肺の運動を細かくコントロールしていることが分かりま した。運動能力以外で、肺の細かいコントロールが必要なのはなにか。なんと、 それは、音声言語能力だったのです。

人間はなぜ音声言語が使えるのか、ということで、一般的に、声帯の構造、咽 頭の構造、舌骨の形や気道の形というものが注目されていました。それで、ネ アンデルタール人は、あまりちゃんとした音声言語がはなせなかったというよ うなことがいわれてきました。しかし、人間の音声言語は、声の強さ、破裂音 の調整、その他いろいろな点で、肺から送り出す空気の量のコントロールが不 可欠だったわけです。

ツルカナボーイとして発見されたホモ・エルガスターには、その細かい肺の運 動のコントロールができないということが分かると、結局、ホモ・エルガスター は、あまり器用には喋れなかったということになります。肺からの空気の量の コントロールができないことや、気道の形、喉の形などから、何種類かの母音 (たぶん三種類程度)と、いくらかの摩擦音を除くと、ほとんど喋れないこと になります。いわば、チンパンジーのうなり声、吠える声などのようなものを 多少複雑にした程度の音声言語しか能力的に持ち得なかったと言えるでしょう。

とはいえ、一方で、ホモ・エルガスターから旧大陸の多くの場所へむけて、ホ モ・エレクトスが旅立っていったわけですから、そのことからすると、ホモ・ エレクトスは非常に活動的で、栄養状態も優れ、そして、オルドヴァン式石器 よりはずっと複雑な、アシューリアン式石器を作っていたわけですから、知能 の上でも、ホモ・ハビリスを遥かにしのぐものになっていたと思われます。

果たして、人類はいつごろから言語を持つようになったのか、これが現在もっ とも注目されていることの一つです。知能の発達が先か、言語の獲得が先か、 というような問題がいろいろ注目されているわけです。

ホモ・エレクトスは、全世界に広がり非常に成功した種でした。火を使ったこ とを示す痕跡もホモ・エレクトスの時代から始まります。その意味で、そうい う生活に必要な知能は十分に持っていたと考えられるでしょう。しかし、この 知能は人間の持つ知能とはずいぶん違うのではないか、と考えられるようにな りました。

ホモ・エレクトスは、百万年以上にわたって旧世界のほとんどの地域で繁栄し たわけですが、その利用している石器などは、ほとんど変化がありません。ホ モ・ハビリスは、その知能の程度で実現できる石器を作っていて、そして、ホ モ・エレクトスはその知能と運動能力で実現できる程度の石器を作っていて、 それは、頭脳の大きさが大きくなるのと、だいたい平行関係にあります。しか し、現代型の人類はそうではなくて、頭脳の大きさはここ十万年それほど変化 もしていないのに、技術は、どんどん進歩しました。とくに、5万年ほど前く らいから、爆発的に進歩を始め、さらにここ1万年の進歩は激しいわけです。 技術や生活のしかたは絶えず改良され、より良い生活を営むようにしようとし てきたし、それは成功してきたのです。

しかし、ホモ・エレクトスはそうではなくて、その頭脳の大きさに見合った程 度の技術、あるいはその知能にみあった程度の技術、生活習慣を改めることな く、ずっと長いこと続けていたと言えます。

ホモ・エレクトスの時代から、数十万年前の旧人の時代になると、脳容積も千 CCを越え、かなり現代人に近い人類が世界のあちらこちらで、並行して生まれ ました。その代表的なのがヨーロッパのネアンデルタール人です。彼らの脳容 積は現代人の容積よりも大きいわけです。文化的には、ホモ・エレクトスの用 いたアシューリアン式石器よりずっと技巧的に作られたムステリアン式の石器 を作るようになりました。しかし、この、旧人たちもまた、その知能程度に応 じた技術をもって生活していただけで、数十万年にわたって、進歩というもの がほとんど見られない。

とくに、ネアンデルタール人においては、その発生当初にくらべて、喉や気道 の形が言語をはなすのに向かない方向に退化しています。こういうことをいう と、トンデモな人たちは、「ネアンデルタール人は、テレパシーを使ったのさ」 とかいうのですが、それはさておいて、やはり、ネアンデルタール人は、音声 言語をあまり使わない生活をしていたのではないかと思われます。

そうした中で、おそらくアフリカで、ホモ・エレクトスの中から現代人に通じ る新人、つまり、現代型ホモ・サピエンスが登場したわけです。これは、ミト コンドリアDNAの解析から、およそ15万年前から10万年前くらいでしょう。 この現代型のホモ・サピエンスは、おそらく、そのとき既に世界全体にいた多 くのホモ・エレクトスから進化した旧人と比べてなにか新しい特徴を獲得して いたと思われます。

しかし、その時代、骨格的に、あるいは形態的にほとんど現代人と変らないほ どに進化したにも関わらず、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と同じム ステリアン式石器を使っていたようで、文化的にみて、旧人であるネアンデル タール人と、形態的に現代人と同じであるいわゆる新人はほとんど同じ技術レ ベルで生活していたと言えます。

しかも、多くの場所で、旧人たちと、混ざって暮していた。形質的にみて、言 語をはなす能力もあり、脳も十分に発達していたわけですが、しかし、旧人と 同じような文化をもって生活していたということになります。

ここまでのことをまとめると、つまり、人間がいかにも人間的になったのは、 本当に最後の数万年のことであって、それは、現代の人種形成の基本形ができ あがった後のことで、そこに至るまでの、数百万年にわたり、たしかに石器も 使うようになったし、火も使うようになったし、石器の作り方も次第に技巧的 にはなったものの、それは、形態的な意味での脳が大きくなったことによる知 能が高くなったことに平行していて、それ以上の進歩をしたわけではなかった ということです。

つまり、数万年前に世界のあちらこちらで起った、後期旧石器時代の到来以前 において、脳が発達してきたのはどういう理由なのかということが問題です。

脳が大きくなることで、より一層、ものが複雑に認識できるようになるでしょ う。たとえば、自分の行動範囲について、時間空間的な複雑なマップを作るこ とができます。このようなものは、チンパンジーも十分複雑なものをもってい て、季節ごとに、そして場所ごとに、どこにいけば何があるか、ということを しっかり認識していて、また、体の不調にたいして、どのような草を噛めばよ いか、というようなこともしっかり認識しています。脳が大きくなれば、これ がより複雑で、細かい因果関係までしっかりと頭の中に入れることができます。 つまり、脳の中に、「Aという場所にいけば、Bがある。」という場所に関す るマップとか、「Aが起ると、次にBが起る。」という因果関係のマップが、 生活を通して認識でき、その認識がより一層複雑なものにも対応してくること を意味します。「季節がAで、Bの場所にいくとCがある。」とか、「Aが起っ たときに、同時にBが起っているとCが起る。」といった複雑なマップです。

このようなマップを持つことで、石器製作も十分できると考えられます。目標 とする石器のイメージが頭にあり、その石器のイメージを目指すために、どう いう方向からどういうふうに石を打てば良いかが、マップとして頭に入ってい れば良い。ホモ・ハビリスの作ったオルドヴァン式石器では、これを作るため の操作は一発で決まり、素材となる石に、一回だけ別の石を打てば、石器が手 に入るわけです。ところが、アシューリアン式石器になると、こうしてできた 石辺に、さらに何度かの整形過程を経て、最終的な石器ができます。ムステリ アン式石器では、まず均等な形の石辺を複数作っておいてから、それを一つ一 つ整形して、石器を完成させます。この行程がすこしずつ複雑になっているの は、頭の中にある因果関係のマップがより一層複雑なものを許すようになった ことを意味しているでしょう。

このマップの複雑化のために、人間はより一層複雑で大きな頭脳を持つように なったというわけです。しかし、これは、後期旧石器時代の到来ととも顕在化 する現代人的な知能とは、おそらく別のものです。

進化の因果関係は非常に複雑です。最初になんらかの啓示があって、人間が人 間らしくなって、その最終的な目標のためにえっちらおっちら進化を直線的に 進んできたわけではないのです。

なんらかの理由で直立歩行を始めた類人猿。その中で、腐肉漁りをするように なった人類の祖先は、やがて石器作りを始める。けれど、その時代にロブスト ス猿人のように、直立歩行はするものの、果実を食べることに特化させて、歩 く顎のようになるまで進化した種もいたわけです。直立すれば、たしかに、頭 がまっすぐに座るので、脳が大きくなりやすいと言われていますが、そうなら ない種もいたのだから、直立歩行は、脳の発達のための一つの条件に過ぎず、 それですぐに人間へ向かって進化を始めたわけではないのです。

石器を使うようになっても、それは、頭の中に学習されたマップをもってその マップと自分の欲求にしたがって生活しているに過ぎないのです。あそこにい けば、あれがある。これをすれば、こうなる、という場所や因果関係のマップ を持つことで、毎日の生活を送ることができる。そして、その生き方は、非常 に下等な生物から、類人猿に至るまで、ほとんど同じです。

そうした中で、非常に複雑なマップを持つことができるようになったのが、ホ モ・エルガスターから始まる、ホモ・エレクトスの系統だったわけです。そし て、それは、いろいろな地域でそれぞれ旧人へと進化していき、中でも、ヨー ロッパのネアンデルタール人は、高度なムステリアン文化を生み出しました。 しかし、それとて、マップを複雑に複雑にしたに過ぎない。だから、ネアンデ ルタール人は、非常に大きな脳を持っていたけれど、彼らの進歩はその脳が許 容できるマップの複雑さと大きさに見合った程度の文化を持つだけだったので す。

しかし、一方で、現代のどの民族人種に属する人々も、みな同じレベルの言語 能力があり、たとえば、日本人の両親から生まれた子供でも、ドイツで育てば、 完全なドイツ語を習得できるし、このことは、あらゆる民族、人種間で、ほぼ 同程度の言語能力をもっているということが知られています。言語だけでなく、 その文化の受容についても、やはりそうで、アフリカの狩猟民族の子供でも、 生まれた直後から、たとえば、日本につれてきて、日本で育てれば、日本の子 供と全く同じような生活ができるわけです。逆もまた真で、日本人の子供が、 生まれてすぐに、アフリカの狩猟民族の中で育つようにすれば、その子は、血 統とは関係なく、狩猟民族の生活習慣をマスターするわけです。

重要なことは、世界の地域ごとの文化の違いなどが大きく現れ始めたのも、後 期旧石器時代のことであって、それは、たかだか5万年くらい前のことだとい うことです。一方で、ミトコンドリアDNAが示す人種の分化の時期は、古いほ うでは、15万年くらい前に遡るわけです。つまり、15万年前に分化したそ れぞれの人種が、潜在的には同じ言語能力、同じ文化受容能力をもっていたこ とを意味します。そして、場合によっては、互いに影響を与えあって、あるい は、独立に、後期旧石器時代に突入し、突然、進化を伴わない進歩をするよう になったわけです。

そしてどうやら、後期旧石器時代の始まるころまで存続していたいろいろな地 域の旧人たちは、後期旧石器時代が始まったとたんに、姿を消す。まさに、進 化論のところでのべたように、現代人につながる新人は、その発生時点では、 けっして現代人的な言語能力や文化創造能力を持たなかったにも関わらず、いっ たんその能力が必要となった段階で、世界のあちらこちらで、それらの能力を 独自に、あるいは影響を受けて受容するなどし、後期旧石器時代へと突入する わけです。その中で、その能力を受け継ぐことの無かった旧人はその段階に至っ て、滅びるわけです。つまり、潜在的な能力は、遺伝的には15万年くらい前 に完成されていて、その遺伝的形質を受け継ぐものが新人として、現代型ホモ・ サピエンスになったわけですが、その新人の発生時点では、他の旧人と、全く 同じ生活をしていたというわけです。

ヨーロッパで活躍していた旧人であるネアンデルタール人は、およそ3万年前 まで存続し、そして、最後のころには、ほとんど同じ地域に住んでいた新人で あるクロマニオン人と文化的な交流があった可能性すら指摘されています。最 後の最後になって、ネアンデルタール人も、後期旧石器時代的な文化を持つに 至ったからです。骨を削って装飾品をつくるなどしています。しかし、そうし た中で、やはり、彼らはどうしても、新人のもつ文化に対抗できなかったよう です。おそらく、このような形で世界のあちらこちらで、ホモ・エレクトスの それぞれの地域での後裔といえる旧人たちは、15万年前にアフリカで発生し て、世界へ進出した新人へと、道をゆずることになったのだろうと思われます。 そして、新人だけが、後期旧石器時代に本格的に突入し、その文化の受容がで きなかった旧人は滅びたというわけです。ところが、後期旧石器時代を可能に した遺伝的因子は、15万年前にすでに用意されていたわけです。後期旧石器 時代が始まるまでは、その遺伝的因子をもつものと持たないものは、選択を受 けることはなく、共存すらできたのです。しかし、後期旧石器時代に入ると、 新人としての遺伝因子をもつものだけが存続できた、つまり、その段階で、初 めて自然選択による淘汰が行われたと言えるわけです。


言語の話

現在の人類は等しく言語能力をもちあわせ、また、世界の言語は非常に多様で はあるけれど、それらが決してそれぞれの言語話者の先天的な能力の違いによ るわけではなく、たんにそれぞれの言語話者の生まれて以来の環境によるもの だということはよく分かっています。前にものべたように、日本人の子供であっ ても、たとてば、フランスで生まれて、日常においてフランス語を使う環境に あれば、その子供は完全なフランス語を習得し、逆にその子供が日本語学習を 怠れば、日本人としての意識はあっても、そして、遺伝的な意味での系統が日 本人であっても、日本語をはなすことができない状況になることはよく知られ ているわけです。つまり、遺伝的系統的な意味で日本人であることは、日本語 を学習する上では、全くといってよいほど利益にならないと同時に、他の言語 を学ぶ上で損になることもないのです。日本人だから日本語が得意なのは、た んに日本語に囲まれた環境に育つからであって、遺伝的、系統的に日本人でな い人でも、同様に日本語に囲まれた環境に育てば、日本語を完全に習得するわ けです。

言語の多様性があること、そして、前節でも書いたように、考古学的に後期旧 石器時代に入るのがどこの地域でも5万年から2万年前であり、後期旧石器時 代への突入というのが人間の言語能力の発達を示唆していると推測されている ことを考えれば、現在話されている様々な言語に系統的につながる「発達した 言語」を人間が持つようになったのは、5万年から2万年前のことではないか という推測が成り立ちます。ところが、人類のさまざまな人種への分化という ことが遺伝的にみれば、10万年以上前に遡るとされているわけですから、そ のことからすれば、現代の人間の言語を発達させる前、考古学的にいえば、ム ステリアン文化の時期に人類は遺伝的には異なる人種に分化してゆき、その後 で、それぞれが独自に後期旧石器時代に突入し、そして、現在の言語と同じレ ベルの言語をそれぞれ独自に、あるいは影響しあって獲得したことになります。

近年になって、猿や、類人猿の言語能力に関する研究がいろいろ報告されるよ うになり、その結果、チンパンジーやボノボといった知能の高い類人猿は、人 間の言語の一歩手前ともいえる言語を習得する能力があることが分かってきま した。かといって、彼らの野生状態での生活における言語は、その複雑さの違 いはおいといて、他の猿類と似たような形式のコミュニケーション能力しかも たないことも知られています。つまり、知能の高い類人猿は、人間の言語の一 歩手前の原言語(Proto-language)を使う能力を(すべての個体が持っているか どうかは分からないが)もつということが分かったわけですが、その能力は、 野生状態での彼らの生活においては、利用されていない能力であると言えるわ けです。

ここで、デレック・ビッカートンの1990年ごろ書かれた「ことばの進化論」に 書かれていることを多少追い掛けることにします。ビッカートンの本は非常に 読むのがつらいので、まあ、要点だけをまとめようと思うわけです。

ビッカートンは、異なる言語を持つ人たちが一緒に生活を始めたり、あるいは 交易などのために異なる言語を持つ人たちがなんらかの言語的コミュニケーショ ンを必要とする状態になったときに生まれる、混成言語、ピジン言語の研究を してきました。たとえば、ハワイにおいて、環太平洋のいろいろな地域の人が 混ざって生活をしつつ、そこで、英語の語彙を使い、ハワイ語の語彙を使いな がら、最低限のコミュニケーションをするために、ハワイピジン英語が生まれ ました。このピジン言語の文法は、英語の文法とは大きく異なり、また、話者 ごとに、それぞれの話者の自分自身の言語の影響もうけて、雑多なものになっ ています。多くのマトモな言語がもつ文法機能を持たず、複雑な概念の表現な どはできないが、日常において最低限必要なコミュニケーションにはなんとか 足りるというレベルの言語です。もちろん、このようなピジン語の中でも、数 世代にわたって利用されてきた、たとえば、パプア・ニューギニアのトクピシ ン語などになると、話者によらない安定した文法構造を獲得した例があります が、かなり例外的です。

ビッカートンは、このピジン語の雑多で安定しない文法と、類人猿の言語との 類似性に注目しました。また、アメリカにおいて、父親からの虐待によって、 12歳になるまで言語生活を営むことのできなかった少女が、12歳から英語を学 習しはじめて、ようやく獲得した不完全な英語との類似性にも着目しました。 (彼女は、知能の面では問題はなく、また情緒的にも、それほどのダメージを うけているわけではなかったことが、他の調査からわかっています。)これら の言語は、原言語(Proto-language)としてくくれる特徴をもっているというわ けです。

原言語は、物を表す名詞と、その状態や動き、関係などを表す動詞を持ってい るので、単独の事実関係を示すことは可能であるけれど、文章中に別の文章を 埋め込むような複文を作ることができないというものです。また、「AがBに Cを与える」といった、二つ以上のモノにまつわる動作、状態を表すために安 定した語順や文法を持っていません。英語であれば、「AがBにCを与える」 という意味を表すには、

A gives B C.

A gives C to B.

という二つ以外は許されないわけです。日本語では、語順に自由度はあります が、「AがBにCを与える」という文章で、「が、に、を」とそれぞれの名詞 との関係は一意に決まるものであって、これを入れ替えたら意味が変ります。 しかし、原言語は多くの場合、考えられる様々な語順などになってしまって、 結局、意味が不明確になるというわけです。また、原言語には、代名詞がない といわれています。代名詞は、モノの概念のさらに上にある抽象的なもので、 これも、現代人の言語には、なんらかの形で必ず存在するが、原言語にはない ものなのです。

一般に言語は子供のときに習得され、クリティカルポイントである9歳をすぎ ると、言語習得は非常に困難になると言われています。ピジン語の場合は、自 分の母語を9歳までに完全に習得していながら、確立された言語教育法が適応 されずに、9歳以降に勝手に第二の言語を獲得した場合には、原言語レベルを 越えて習得できないことを意味します。また、12歳まで言語生活を営むことの なかった少女が、その後にかなり苦労して獲得した言語もまた原言語レベルを 越えるものではなかったということです。そして、このレベルの言語は、よく 訓練された類人猿でも習得可能であるということを意味しています。

一方で、類人猿などが野生状態で日常的に行っているコミュニケーションは、 原言語にも至らないものです。たとえば、天敵のような動物が近傍に現れたと きに発する吠え声のようなもの、つまり「警告の声」について、ある種の猿で は、その敵がなんであるかによって、声が異なるものがあります。鷲が来たの か、蛇が来たのか、といった敵の種類によって吠え声が違うわけです。しかし、 この吠え声の違いは、「鷲が来た、注意しろ」、「蛇がいる、注意しろ」とい う「現象や警告」を表すのであって、その中において、「鷲」とか「蛇」を表 す名詞が存在するわけではなく、また、「来た」という状態を表す動詞が存在 するわけでもないのです。これは、「鷲が来た。」とか「蛇がいる」という現 象、あるいは事象がそのまま脳の中のマップに張り付いているのであって、 「鷲」とか「蛇」とか「来た」という細分化された概念が脳のマップの中に存 在するわけではないというわけです。

しかし、原言語では、明らかに、名詞と動詞が存在し、「鷲」とか「蛇」とい う語彙があり、「動いている、来た、なにかを食べようと狙っている」といっ たような「状態」とは切り放された「モノ」としての概念が存在し、そしてま た「動いている、来た」といった、「状態」に関する概念が、モノを表す概念 と独立して存在しています。つまり、「来た」というのが、「鷲が来た」とか 「蛇が来た」というのから分離し、純粋な「来た」という概念が存在しなけれ ば、原言語は使えないわけです。物理現象として見れば、「蛇が来た」のと 「鷲が来た」のでは片方は空中から、片方は木を這うなどしているので、まる で違う現象ですが、それを、「こっちに近づいてくる運動」として抽象化した 「来た、来る」という概念をもつことが、原言語を使う上で重要なわけです。

さらに、原言語のレベルを習得した類人猿の思考能力、あるいは問題解決能力 が原言語を習得していない類人猿とは全く違うことが、実験によって示されて います。つまり、原言語を習得するかしないかが、思考レベルに大きく影響す るということです。

ビッカートンは、考古学的にみて、アシューリアン文化に入った原人(ホモ・ エレクトス)の時代に、人類が原言語を使い始めたのではないかと推測してい ます。これが音声言語であったかどうかはわかりません。ホモ・エルガスター (ホモ・エレクトスのアフリカにおける原始型)の場合、ツルカナボーイの標 本からは、音声言語能力は非常に低いレベルであったということが脊椎の神経 の構造から分かっているので、この時代は、手話のようなものだったかもしれ ません。しかし、手話のようなものであれ、頭の中にモノの概念をもち、そし て、動作や状態、運動に関する概念をもち、それらを組み合わせてモノの動作、 状態を表すことが可能な原言語が、日常の生活で使われるようになったのが、 ホモ・エレクトスの時代ではないか。それが、オルドヴァン文化の一発の工程 で作れる単純な石器ではなく、複雑な工程で製作されるアシューリアン文化の 石器の意味するところではないかというわけです。

ところが、この原言語と現代人の一般の言語との間にはまた大きな違いがあり ます。原言語では複文が作れない、多数の物の相互の関係を一つの抽象的な形 で表現するときに安定しない、という状況では、実際の体験に基づく状態や経 験を語ることはできても、現実には存在しないコト・モノ、あるいは今後変化 する方向への期待といったことが表現できないのです。

複文というのは、文の中に文が埋め込まれるわけですから、日本でいえば、

「AさんはBさんにCを渡したと(Aさんは)言った。」 というような文のことです。この場合、非常に重要なことは、この文を聞いた 人にとっては、Aさんの「BにCを渡した」という行動については、この文を 信じなければ不確定なことであり、そこに、事実かどうかということが不確定 な情報というものが加わることを意味します。このような、自分が確実に真実 だと判断できる情報以外の不確実性をともなう情報交換を始める段階に至り、 人間は、実際に目にみえないもの、知覚不能なものなどを想定して話をするこ とができるようになったのではないかと推測されます。いわば、反実仮想とい うようなものです。多くの情報の中から、その情報の裏にかくされた「理」と いうものを見つけようとする行動は、そういう反実仮想が可能になってできる ことであり、原言語の段階ではできないことなのです。もちろん、現代人の生 活の中での多くの情報交換は、原言語レベルで十分可能なものがほとんどで、 だからこそ、ハワイで発生したハワイピジン語も原言語レベルのものであって も、知的に十分発達した人々が知的生活をおくる上で、最低限のニーズを果た していたわけですし、ロシア人とスカンジナビア人が商売をする上では、ロッ スノルスクというピジン(原言語)があれば問題はなかったわけです。しかし、 ロッスノルスクによる会話だけでは、ロシア人とスカンジナビア人の間で共通 の神や自然の摂理に関する議論をすることはできないでしょう。

さて、ピジン言語がはなされている環境で育つ子供たちは、その子供たちの間 で独自にクレオール語とよばれる言語を発達させることがあります。ハワイに おいても、ハワイに入植した世界各地から来た一世たちは、ピジン語をつかっ ていましたが、そこで育った子供たちはクレオール語を習得しました。ハワイ のクレオール語は英語をベースにしていますが、文法的には英語とは大きく違 い、独自のものです。また、ハワイ以外でも、奴隷貿易などで異る言語集団の 人々が集められたような場所では、さまざまなクレオール語が発生しました。 それらのクレオール同士は、独立に発生したものでも、非常に似通った文法構 造をもっていることもしられています。そして、重要なことは、このクレオー ル語は、けっして原言語レベルの言語ではなく、十分に現代人の他の言語と共 通の複雑な構造を持つのです。このことは、現代の人類は9歳という言語習得 のクリティカルポイント以前においては、「言語をはなす環境」に身を置いて いれば、たとえ、独自に、複雑な構文をもつマトモな現代人的言語を創造する 能力を備えていることを意味します。つまり、いかなる人種、民族であっても、 この現代人としてマトモな複雑な構造をもつ言語を習得する能力を備えている のです。これは、おそらく先天的なもので、類人猿はいかにその環境において も、そのレベルの言語を習得することはできません。また、9歳を越えた大人 たちも、系統的な言語学習を行わないとこの言語を後から習得することは難し いわけです。しかし、言語生活が非常に貧困な環境におかれた子供は、クリティ カルポイントである9歳を過ぎたあと、言語環境におかれても、複雑な文法形 式を習得することはできないのもまた示唆されています。もちろん、クレオー ル語を習得する子供たちは、不完全なピジン語に接する以外に、親たちのはす 完全な言語も同時に習得します。日系ハワイ人の二世は一世たちのはなす完全 な日本語が話される環境で育つので、彼らはほぼ完全な日本語を習得します。 その中で、非日系の子供たちと一緒の環境では、クレオールを話し、それを習 得するわけです。

ここで興味ある疑問は、親たちが原言語しか話さない環境で、子供たちは、複 雑な言語を独自に創造するだろうか?というものです。私はそれは難しいので はないかと思うのです。おそらく15万年くらい前から各人種への分化が起こ り、新人が登場したわけですが、その新人たちは、言語習得能力を遺伝的にもっ ていたと思われます。しかし、彼らはその能力を持たない旧人たちと同じ文化 しか持たなかったと思われます。後期旧石器時代の始まりが、「複雑な言語を もつ時代」と一致していると仮定すれば、それは、人種への分化が起った時期 からは、数万年から十万年がたっています。しかし、一度世界のどこかで現代 人的な複雑な言語が生まれてしまえば、それが、「すでに習得能力を潜在的に 備えている人々」には即座に受容され、そして能力のある民族だけが、その言 語を獲得してゆき、それが世界的に広まるでしょう。その言語能力の発現は、 後期旧石器時代の始まりであり、それは、あるいは地域ごとに独立に、あるい は、接触による拡散という現象で、およそ2万年くらいかかって世界中に広まっ たと推測されるわけです。その段階で、その言語習得能力を持たない旧人たち は、ほろびさったのでしょう。これが、後期旧石器革命ともいうべきものです。 このときから、人間はハンターとなり、そして、非常に頻繁な技術革新が起る ようになって、その結果、それぞれの地域でそれぞれ特色のある文化を持つよ うになったわけです。

こうして、後期旧石器時代に入った人類は、それぞれ自然現象の裏にある真理 の探求とか、神の存在を想定するなどして、宗教や原始的な科学を持つように なり、それが、美術や工芸品を産み出し、後期旧石器文化の遺跡や遺物という 証拠となって残ったわけです。

まとめると、まず、猿や類人猿のコミュニケーションにおいては、ある状況、 現象一つ一つに概念としてのラベルをつけて、それを吠え声や警告の声などに よって表現することを野生生活の日常において行っている。これは言語以前で ある。ところが、この状況や現象の中から、状況や現象を構成するモノと、そ してモノとモノとの関係やモノの動作、状態というものを分離して、状況や現 象と独立して「モノの概念」をもち、「動作、状態」という概念をもつことで、 原言語が生まれた。この原言語は、知能の高い類人猿は習得可能であるが、彼 らが日常においてその原言語を使っている形跡はない。高度な訓練をすれば、 習得は可能である。で、その原言語は、おそらく原人(ホモ・エレクトス)が、 日常的に使い始めたのではないかと推測させるいくつかの証拠が考古学的に存 在する。現代人のつかう言語は、この原言語のレベルよりもまた一段高いもの で、反実仮想を行うことができる。そしてこれが創造的な技術革新を可能にし、 それが後期旧石器文化を産み出した。その段階で、原言語の習得までしかでき なかった原人や旧人は、その大きな波の中で滅び去り、15万年前に高度な言 語能力を潜在的にもつに至った新人だけが、生き残った。現代人はすべてその 新人の子孫であり、いまのところ、原人や旧人から新人になったものは知られ ていない、少なくとも、現代人の中には、その子孫と思われる人は、ミトコン ドリアDNAの分析からは検出されていない、と言えるわけです。

もちろん、旧人とよばれる人類の中にも、個体としてはある程度後期旧石器文 化を受容することのできた者がいたかもしれないことは、考古学的にも知られ ています。後期旧石器文化に触れることがあったヨーロッパの旧人、つまりネ アンデルタール人の遺跡の中には、後期旧石器文化を模倣して、工芸品を作っ た形跡があります。ちょうど類人猿に対して、非常に多くの努力と苦労を払え ば、原言語を習得させることができるのと同じく、頻繁に新人と交流していた 旧人の中には、ある程度不完全ながら後期旧石器文化、あるいは、複雑な言語 体系を学ぶことのできる個体がいたかもしれませんし、その結果として、旧人 と新人との間に混血などもあったかもしれません。しかし、その混血した種族 は、やはり新人のもつ後期旧石器文化の中では、広まることはなく、ハンディ キャップとして淘汰されたと見ることができます。

さて、最後に現在まだ現実として見ることのできる文字の話もしたいと思いま す。複雑な構造をもつ現代人型の言語は、歴史時代に入る数万年前に獲得され、 現代においては、「人間であって、知能に問題がなく、言語が話される環境に あれば、複雑な言語を習得しする能力をもつ」というのは、大方前提として認 められることです。そして、よほどの不幸なことがない限り、現在世界のどこ の民族でも複雑な言語を使いこなしています。しかし、文字についてはそうで はありません。先進国では、構成する人々の大半がある程度の識字能力をもつ ような教育が行われていて、そして、その教育を受けた場合には、人種、民族 に関係なく識字能力を獲得することは知られています。だから、文字について も、健常な現代人であれば、だれもがそれを獲得する能力をもつという点で、 言語獲得と同様、すでに十万年以上前に潜在能力としては獲得されていた可能 性が高いでしょう。つまり、十万年前の、現代人につらなる新人の祖先をつれ てくることができたら、彼らは教育によって文字言語を獲得する潜在能力があ るだろうということです。

しかし一方で、文字言語の獲得は、非常に形式的に確立した強制的な文字言語 教育がなされなければ、習得されないという考え方があります。言語は言語が 話されている環境さえあれば習得できるが、文字はかなり強制的な訓練がほど こされて、初めて習得できるものではないかという考えです。

ところが、よくよく考えてみると、先進国においても、両親がほぼ確実に文字 言語を利用している、という状態になったのは、たぶん、第二次世界大戦後の ことです。近代的な教育制度が確立して、万人に文字教育をするようになった のは、実は20世紀に入ってからで、そうして、一般の人たちが子供のときか ら文字言語に接するようになったのは、実はここ数十年のことです。数十年前 では、小学校に入ってくる子供たちのほとんどが文字を知らない状態で入学し ていたのに対して、最近では、幼稚園において基本的な文字の学習を終えた状 態で小学校に入学してくる。そして、幼稚園でもとくに体系だった文字教育を しなくても、家庭において自然に文字を習得している子供たちがかなりいるよ うです。両親が文字言語を日常的に用いる時代になったのは、ここ数十年のこ とで、家の中に文字文化があふれる状態、テレビをひねったら、文字があり、 置いてあるほとんどのものに文字がかかれ、子供に絵本を読み聞かせることの できる親が、社会の中の人口の半数を越えたのも、おそらく先進国においても、 そんなに昔のことではないのです。とすれば、文字についても、人間は、それ が非常に頻繁に日常で利用されている環境にあれば、子供はそれほど苦労もせ ずに文字を習得し、文字文化を獲得すると考えることができるのではないかと 思います。

文字が発明されたのは、たしかに一万年前のことで、ずいぶんと過去のことで すが、それが、社会を構成するすべての人に行き渡ったのは、たった数十年前 のことで、そして、子供が自然に文字に接して、文字文化を受容でき、文字言 語能力を特別な訓練や教育によらず獲得できるようになったのは、つい最近の、 それも、一部の先進国に限られることであると言えます。その一方で、文字の 獲得もおそらく現代の人類であれば、だれでも「その環境にさえ身をおけば」 可能なことであって、これまた、特定の人種や民族だけが文字文化獲得能力を もつわけではない点で、人類普遍の能力であると言えます。

こうして見てくると、先天的、遺伝的な意味での人類進化が最後に起ったのは、 新人の発生のときであり、それは十数万年前に遡り、その進化以降の人類は、 系統が違っても、等しくどの文化でも吸収する能力をもつといえます。でも、 その新人といえども、その最後の遺伝的進化が起ってから数万年にわたって、 その遺伝的進化をしなかった原人、旧人と同等の文化しか持ち得ず、ようやく 5万年前ごろ以降に、それぞれの地域で独立に、あるいは影響を受けることに よって、後期旧石器文化を起したわけですから、進化論的な意味でいう能力獲 得と、その能力が実際に利用されるようになるには、数万年の開きがあるわけ です。そして、文字学習から言えることは、進化から十数万年たってようやく 開花する能力もあることを示しているといえます。

現代においても、後期旧石器文化の生活をしている民族もいますし、一方では、 宇宙時代とも言われるような技術力をもつ民族もいます。しかし、これらは、 本質的な進化的意味で先天的に異るわけではなく、単に文化的な違いです。そ の意味で、人種や民族の違いは、ある意味で非常に大きく違うといえると同時 に、先天的な意味での違いは物凄く小さいと言える、あるいはほとんど無いと までいえるのです。

もちろん、このことは、人間の遺伝的に決定される能力が完全に等しいとか、 人間のそれぞれの個体の能力差が遺伝的には全く存在しないとかいう平等主義 そのものとも違います。ときとして、ある種の先天的疾患をもつ子供が生まれ てくるのと同じく、知能的な能力を決定する遺伝子が複数あったときに、それ らのすべてをどの個体もが持っているとは限らないです。特定の知的能力を欠 いた個体も存在するでしょうし、その個体はその能力を使わなければならない 場においては、その能力を先天的にもつ個体とくらべて著しく能力が劣ること があるでしょう。ただし、その能力を発揮しなければならない場におかれない 限りにおいては、その能力の欠如は生活をする上で問題はないということです。

その意味において、ある特定の能力を持つ個体が、民族的、人種的に偏りが あるという可能性はあるわけです。しかし、重要なことは、それらの能力を司 る遺伝子というものの、基本セットは、十万年前にすでにほとんど全て出そろっ ていて、それらは、民族、人種に関係なく、普遍的に広まっていると言える、、 もちろん、偏りはあるかもしれませんが。そして、偏りがあるにせよ、そ の特定の能力を発揮しなければならない特別な環境に置かれない限りにおいて は、人間は民族、人種の違いを越えて平等であるといえます。そして、それぞ れの民族や社会において、たとえ特定の能力を欠いた個人がいたとしても、そ の個人は、その能力を必要としない生活の場を見つけることによって、その能 力を欠いていることが問題ではない生活をおくることができるとも言えます。 おそらく万能人間は非常に少ないので、それぞれの人が、それぞれの能力のあ るなしによって、社会のさまざまな部分で自分にふさわしい場、つまり、自分 が持たない能力を要請されない場、を探して生活することができるというのが、 人間の在り方なのではないかと思います。

ま、多くの先進諸国において有能な人間とされる分厚い眼鏡をかけているよう な秀才君は、アフリカのサバンナで狩猟生活をする中に入れば虚弱体質と目の 悪さから劣等生になってしまうかもしれません。そして、それは、先天的にも つ欠陥だと見なされる場合も多い。だから、彼はそういう場にいくのは得策で なく、先進国の空調管理されたオフィスビルなどで生活するのに適しているの です。ようはどんな人も、自分の先天的、あるいは後天的な身体能力や知的能 力にあった場を探せば、快適な生活ができる、そのように人間は単一の社会の 中でも分業や社会階層を作ることによって、いろいろな人間を包容することが できるようになってきた、と言えましょう。そして、もし、アフリカのサバン ナにおいて、先進国の秀才君のようなタイプの人間が劣等生とされてしまうと したら、そういうタイプの人間は淘汰されて、社会の片隅ひっそり生きるしか ないので、そういう民族においては、そういうタイプの人間の数は非常に少な いでしょう。一方で、先進国においては、そういうタイプの人間はまさに社会 の中核で活躍することもできるので、そういうタイプの人間の数は多いかもし れない。だから文化により、民族により、ある能力をもつ人の数というのは多 少の偏りがあるのも当然でしょう。


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