Diary 19 Feb. 2001

2001年2月19日

で、パリにもどる。

正直なところ、なんつうか、あっちこっちの都市をめぐっては、その都市での城とか、大聖堂とかそういうのを巡って、写真とってみたりというのも、多少飽きてきたところ。

まあ、パリだと、べつに、そういうの以外でも見るところありそうだし。いや、もちろん、ボルドーでも、どこでも、それ以外にも見るところはあるんだけれど、時間が面倒とか、チケットがどうのこうのとかありそうでしょ。

で、パリにもどれば、まあそれなりになんでもできそうだし、ってことで、もどってきました。

ボルドーからTGVにのって、午後2時前にパリ到着。で、いつものホテルに電話して予約とかおもったら、電話が全部テレカがないとかけられないやつで、なにこれ!って感じ。コインでかかるやつ一つくらい用意しろよー。

で、適当に駅前のホテルでも良いとは思うのだけど、TGVが到着したモンパルナスの駅は、いまいち環境が悪いってことで、いつものホテルまで、タクシーとばして、「まあ、部屋なかったら、適当に近所にたくさんあるし」とおもっていったら、あっさり部屋がありました。

で、こうなるまでに、2時間くらいうろうろしていたので、4時ごろホテル着。で、ホテルでぐでーっとしてから、5時ごろまたあるきはじめて、結局、ノートルダムのあたりまであるいていったりして。

さーて、このホテルは何度も泊まっている。95年ごろからかな。だから落ち着くことは落ち着くが、どうも、インターネット事情が。
途中で、そうそう、ホテルのあるモンジュ通りには、日本のアニメとかコミックをあつかっている「トンカムモンジュ」といういわゆる「オタク屋」があったのだけど、今回さがしたら、なんと、つぶれた直後。それも、トンカムという名前ではなくなっていたので、いったいなにがおこったのか。センチュリー21のロゴがあって「売出し中」とあった。もっとも、鉄格子のかかった窓の中には、エヴァンゲリオンやらなにやらのポスターとか、いくらか、かつて「オタク屋」であったことをしのばせるものがあったから、まだつぶれて間もないのかも。

かつての、「トンカムモンジュ」の店を覗くと、、なにやら怪しくいろいろ並んでいるのだが。
ちょっとわかりにくいかな。日本のアニメもの。エヴェンゲリオンのアスカが見えますか。
センチュリー21による、店舗の売出。以前、ここでいろいろ買ったこともあるし、なんか、淋しかった。もうちょっと早くきていれば、、。
で、そのあと、ノートルダムのあたりから、戻る途中に、「ネオタク」というやっぱりオタク屋があった。まだまだ健在なのは、日本のアニメか、と思うけど、全体として、以前ほど、日本アニメがどうこうってことはないようで、ピカチュウとかは流行っているようだけど、いわゆる濃いめのオタクが減ったのか、なんなのか。

まあ、日本でも、最近はアニメ系、いまいちらしいから。

夜は、以前住んでいたドーバントン通りの家の隣の建物にあるインド料理屋。 5年前にもきたけれど、今回は内装を入れ替えてあったし、メニューからしても、ベンガル料理的になっていたようだけれど。ただ、料理の味は相変わらずで、同じ料理人がやっているんではないかって。

そういえば、まだ、パリのモスクの写真見せてませんでした。
この店、1984年当時はベトナム料理の店で、その後、93年に来たときに、インド料理屋に変っていて、95年に来たときは、ベトナム料理屋だったなごりで、厨房と客の入るところとの間に、小窓があって、そこから料理を受け渡ししていたんだけれど、今回はそれがなくなっていた。えっと、この近辺には、もう一軒インド料理屋があるけれど、今回の話のインド料理屋は、モスクに面しているやつで、ちょっといくと、植物公園があるほう。インド料理は、日本でも、アメリカ(ワシントン近郊)、イギリス(ロンドン)でも食べているけれど、一般に、まともにインド人が作っている場合は、味は問題が無くマトモ。それでも微妙な違いはあると思うけれど。中華料理はかなり当たり外れが大きいけれど、インド料理は大丈夫。今回の店は、けっこういけているほうだと思うし、フランス人という舌の肥えた人たちの中で、マトモにおもねることなくちゃんとした味を出しているんだから、まず、まともな料理屋だと思ってよい。

さて、明日は、十数年ぶりに、ルーブル美術館でも見てくるか、というところ。


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