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ドンレミー・ラ・ピュセル
DOMREMY-LA-PUCELLE

ラ・ピュセルとは乙女と言う意味である。百年戦争でフランスを救った少女、ジャンヌ・ダルクはこの町、いや、村で生まれ育った。

■ 徒歩で村へ

すぐ村の話に行きたいところだが、ここに来るのは大変だったので、その話から始めよう。

ナンシーから列車に乗り1時間でヌフシャトーという町に到着する。そこから12km離れたところにドンレミーはある。

バスで行くと15分で着くが、田舎の景色が好きな私は行きは歩き、帰りにバスを利用する事にした。
観光案内所で帰りのバスの時間とドンレミーまでの道順を確認していざ出発!!

ヌフシャトーの町を出ると、もうそこは畑が広がる田舎の風景。
右の「NEUFCHATEAU」という文字に赤い斜線が引いてある標識は、「ヌフシャトーここまで」という意味。

歩く道は歩道者用ではないので歩道もないし、車はものすごい勢いで、時速100kmくらいのスピードで私の脇を通りすぎていく。
歩行者は私だけで、車もたまに通る程度。みんな私の方を不思議そうに見ていく。「なんで歩いてる奴がいるんだ、こんなところを。しかも日本人じゃないか。」っていう感じかな。

1時間歩き、途中の木陰でパンとツナ缶を開け昼食をとり、また歩き続ける。

始めは遠くにお城が見えたりして田舎の景色も気持ち良かったが、暑さと疲れから だんだん嫌になってくる。道はアップダウンがあるし、日陰がなく太陽の下を歩かなければならない。しかも、初めて行くので、どのくらいで着くのか分からない。

目安はたまに道にある自動車用の看板のみ。あと何キロと書いてある。観光案内所でもらった地図と標識を見ながら自分がどの辺にいるのかを見る。
熱くて上着を脱ぎ、上半身はだかになる。車が通ると恥ずかしいし、日差しが強く焼けそうだったので、またTシャツを着る。汗でびっしょりになったTシャツは気持ち悪い。

今までで一番長い坂を登る。水は無くなってきて、飲むのももったいない。そして坂を登りきったところに教会が見えてきた。

教会は日があたらないので、ひんやりとして気持ちいい。
その教会にはあるはあるはジャンヌダルクの絵画がたくさん。さすがにドンレミー村の近くだ。そう思ったが、ここはサント・ジャンヌダルク教会で、村まであと1.5kmであることを知った。うれしいあと少しだ。 ドンレミーの方角を示す看板がある。自分が間違った道を来ていなかったことを初めて確信できた。


そして目的地に向かい坂を下り続けて、出発から2時間半。やっと見つけた!
この標識。
「DOMREMY-LA-PUCELLE」

やっと村の入り口まで来たのだ。
ここがあのジャンヌダルクが生まれたところ。
あのジャンヌがそうお願いして以来フランス革命までの350年間あまり、王様から税金を特別に免除されていたところ。
そして私が2時間半歩いてやっとたどり着いた目的地。


■ ドンレミー村
以前読んだ本によれば、ジャンヌはここで家畜を追い、ムーズ川の近くで遊んだとあった。
村は今でも ど田舎、羊や牛の姿をみかける。ムーズ川もコンクリートで覆われずに流れている。
村にはカフェが一軒あるのみで、さんざん歩いた疲れをビールを飲んで癒した。この時のビールのおいしさは、スポーツをやっているものだったら分かる勝ち試合のあとのビールのうまさだ。心地良い酔いが、着かれた体を気持ち良くさせる。

町にはジャンヌ・ダルクの家が残っており、この小さい村を年間6万人が訪れる。まもなく、資料館が近くにできるそうで、立派な観光地になりそうである。

ジャンヌが通った教会
ジャンヌの生家
帰りはバスで帰ろう。そう決めていたが、待っても待ってもバスが来ない。
知合ったフランス人がバーで聞いてくれたのだが、バスはないということだ。ヌフシャトーの観光案内所では、バスはあるって言ってたのに納得いかないと思いながらも、終電まで2時間弱しかなかったので、急いで歩くことにした。
途中少し走って早足で歩いて、へとへとになりながら、すれ違う車にばかにされながらも、1時間半で駅に着いた。
終電にはなんとか10分前に着いて、間に合った。
しかしここで落ちがあるのである。
終電は30分、到着が遅れた。
あんなに急いだのに…