課題文n-ro181 あれがわたしの生まれた村です。

解説
あれが: tio を使います。tiu は人を指して「あの人」というとき使います。また,いくつかあるものの中のひとつを指して「あれ」というときにも使います。Jen estas は聞き手に見るように呼びかけて,「ほら,あそこに あります」というときの表現です。(状況によっては「ほら,ここに...」という意味で使われます。)

参考:
Vi vidas tri domojn tie. Tiu estas la mia.
あそこに家が3軒見えますね。(そのうちの1軒を指して)あれがわたしの家です。

わたしの生まれた村: la vilag^o(,) kie mi naskig^is。kie は en kiu としてもよいし,naskig^is は estis naskita としても同じです。vilag^o には la を付けましょう。ある人が生まれた家というのは特定されるからです。mia naskig^vilag^o ということもできます。無冠詞の vilag^o は unu el la vilag^oj の意味に解されるので,下の用例のように使われます。

参考:
Tio estas vilag^o(,) kie mi iam log^is.
あれがわたしが昔住んでいた村です。

上の文初めて話題にする場合で,これを la vilag^o とすると,「わたしが住んでいた例の村です」という意味になって,聞き手がその村のことを知っている状況で使われる表現になります。

「わたしが生まれたところ」という意味で mia naskig^loko としてもよいでしょう。mia nakig^inta vilag^o は誤りです。

訳例
Tio estas la vilag^o(,) kie mi naksig^is.
Tio estas mia naskig^vilag^o.


課題文n-ro182 ここに Zamenhofが生まれた家が建っていました。

解説
ここに: c^i tie または tie c^i でよいのですが,話し手が立っているところでないところを指していうときは tie を使います。

Zamenhofが生まれた家: la domo, kie naskig^is Zamenhof。domo の後のコンマは付けない人もいます。kie は en kiu としても同じですが,kiu だけでは意味の通じない文になります。
naskig^is Zamenhof は Zamenhof naskig^is という語順でもよいのですが,Zamenhof に力点を置きたいときは naskig^is Zamenhof とい語順のほうがよいでしょう。文末の語がいちばん印象に残るからです。
Zamenhof が生まれた家は世界にひとつしかない特定の家ですから,冠詞を付けて la domo とします。naskig^i は不定形(英語の不定詞)ですから,ここでは naskig^is という過去形にしなければなりません。
naskig^domo を使っていうときは,Zamenhofa naskig^domo ではなく, la naskig^domo de Zamenhof としましょう。

建っていました: staris を使っていうのがよいでしょう。estis konstruita や konstruig^is とすると,「(Zamenhofが生まれた家が)建てられた」という意味になります。

訳例
C^i tie staris la domo(,) kie naskig^is Zamenhof.


課題文n-ro183 先月わたしは母が生まれた村を訪ねました。

解説
先月: lastamonate, pasintmonate, la lastan monaton, en la lasta monato などのようにいうことができます。lasta monate と2語に書くのはよくありません。lasta は形容詞ですが,形容詞は副詞を修飾できないからです。lastamonate と lasta monate は耳で聞くと,同じように聞こえることがあるので会話の中では気づかないことが多いのですが,書くときは気をつけましょう。la lasta monato は「先月」という名詞としては使えますが,この課題文の「先月」は名詞ではなく副詞なので,エスペラントでは lastamonate のような副詞を使うか,または en la lasta monato という副詞句を使っていわなければなりません。日本語の「先月」は名詞としても副詞としても使われ,形の上では区別できないので,文の中でどちらの意味に使われているかを判断して訳し分けなければなりません,英語では last month を副詞のように使うことができますが,この last month は目的格なのです。エスペラントでも目的格(対格)の la lastan monaton を副詞のように使うことはできます。

わたしは〜を訪ねました: mi vizitis 〜n。viziti は他動詞なので viziti al 〜 の形ではなく, viziti 〜n の形でおぼえておきましょう。

母が生まれた村を: la vilag^on(,) kie mia patrino naskig^is。mia patrino naskig^is は naskig^is mia patrino の語順にすることもできます。naskig^is が文末に置かれると,「(母が)亡くなった村ではなく,生まれた村」という点の強調になり,mia patrino が文末に置かれると,「(父でなく)母が」という点の強調になります。
関係詞を使わないで la naskig^vilag^on de mia patrino ということもできます。patrino には mia を付けましょう。家族との日常会話では
"Kie esta Panjo?"(お母さんはどこ)
"En la kuirejo"(台所よ)
のように mia を付けずにいうでしょうが,書き言葉としては mia を付けましょう。

「点動詞やら線動詞やらと悩まなくてよさそうな文を見るとほっとしてしまいます」というお便りが寄せられましたが,アスペクトはどの言語にもあるもので,母語を使っているときは無意識に使い分けているのです。エスペラントの g^is には英語の by と till の意味がありますが,Mi dormis g^is la deka c^i-matene(わたしはけさ10時まで寝ていました) を英訳して I slept by ten o'clock this morning ということができないのは,by は点動詞ととも使われる語なので,線動詞 slept(sleepの過去形)とともに使うことができないからです。このことを普通のイギリス人やアメリカ人に聞いても「sleep by とは言わない」というだけで,なぜそうなのかという説明はできないでしょう。中学生が英語を習うときには,やはり「sleep by とは言わない」とおぼえるだけでよいのですが,大人が習うときは理屈なしに,ひたすら個々の形を暗記するという学習方法は効率がよいとはいえません。やはり法則性をおぼえて,さまざまな場合に応用できるようにするほうが,はるかに学習を容易にしますが,「点動詞,線動詞」もそのような学習方法のひとつとして,提案された用語です。(線動詞,点動詞についての説明はここをクリックしてください。)

訳例
En la lasta monato mi vizitis la vilag^on kie naskig^is mia patrino.


課題文n-ro184 魚がすんでいる川は比較的きれいです。


解説
魚がすんでいる川: riveroj(,) kie vivas fis^oj, のようにいえばよいでしょう。単数形の rivero は「(魚のすんでいる)川は,どの川を見ても」という意味を表しますが,やや形式的な表現なので,ここでは複数形のほうが自然に感じる人が多いでしょう。冠詞を付けて la riveroj ということもできますが,冠詞を付けると「(魚のすんでいる)すべての川」という意味になるので,魚がすんでいても汚い川があるよ,という人は無冠詞の riveroj にすればよいでしょう。
「魚」は複数形の fis^oj を使います。
「すんでいる」は vivas のほか trovig^as や nag^s も使えますが,nesti は「巣を作る」という意味なので,ここでは不適当です。魚の中には巣を作る魚もいますが,「魚が巣を作っている川」というと,範囲がずっと狭くなります。

比較的きれいです: estas relative puraj。puraj の代わりに klaraj を使うこともできますが,bela は「美しい」という意味なので,ここでは使うのはよくありません。estas pure は estas pura としましょう。relative の代わりに kompare も使えますが, 実際の用例では kompare は kompare kun 〜(〜と比べて)の形で使われることが多いようです。

訳例
Riveroj, kie vivas fis^oj, estas relative puraj.


課題文n-ro185 彼らは医者が週に一度しか来ない島に住んでいます。

解説
医者が週に一度しか来ない島: insulo(,) kien kuracisto venas nur unu fojon samajne または insulo(,) kiun kuracisto vizitas nur unufoje en semajno などのようにいえばよいでしょう。kien kuracisto venas は al kiu kuracisto venas としてもよいのですが,kien kuracisto vizitas とするのはよくありません。viziti は他動詞なので目的語が必要ですが,目的語になるのは名詞か代名詞で,kien のような副詞がなることはできません。veni は自動詞なので kien とともに使うことができます。kie でなく kien となることに注意してください。Venu c^i tien(ここにいらっしゃい)は,よく使われる表現ですが,これと同じ形ですね。
de tie, el tie は使われますが, al tie の形は使われないで tien となるのと同じように,de kie, el kie は使われても al kie は使われないので,al kie venas kuracisto は kien venas kuracisto とするのがよいでしょう。

insulo に冠詞を付けて la insulo とするのはよくありません。la insulo は聞き手の知っている島のことになるので,どこの島かを知らない聞き手はとまどってしまいます。

「週に一度」は unu fojon semajne または unufoje en semajno などのようにいうことができます。unufojon と1語に書くのはよくありません。unufoje は1語に書きます。unu foje と書くのはよくありません。

訳例
Ili log^as en insulo kiun kuracisto vizitas nur unu fojon semajne.


課題文n-ro186 わたしの祖父母は山に囲まれた村に住んでいます。

解説
わたしの祖父母は: miaj geavoj。miaj avo kaj avino ということもできますが,geavoj を使っていうのが普通です。ドイツ語を語源とする ge- は響きがよくないので geamikoj, gesinjoroj などを使わないで,amikoj, sinjorinoj kaj sinjoroj などを使う人が多いのですが,gepatroj, geavoj など親族関係の語には使われます。

山に囲まれた村: vilag^o c^irkau^ita de montoj または vilag^o(,) kiu estas c^irkau^ita de montoj や vilag^o(,) kiun montoj c^irkau^as のようにいうことができます。c^irkau^ita は c^irkau^ata を使う人もいますが,ザメンホフは c^irkau^ita の形を使っています。「囲む」は c^irkau^i を使うのがよいでしょう。c^irkau^bari(取り囲む), c^irkau^fermi(閉じ込める)を使うと,bari(邪魔をする), fermi(閉じ込める)という意味が加わるので,文学作品などで,そのような意味を加えて表現する場合は別ですが,一般的には c^irkau^i が使われます。
vilag^o に冠詞を付けるのは,よくありません。冠詞を付けると聞き手が知っている村を指すことになります。vilag^o, kien montoj c^irkau^baras は誤りで,kien は kiun としなければなりません。c^irkau^i や c^ikau^bari は他動詞ですから,目的語が必要ですが,kien は副詞ですから動詞の目的語になることができません。
c^irkau^ita per monto は c^irkau^ita de montoj としましょう。ここでは山が村を囲んでいるので,受身形では行為者(〜するもの)を表す de を使うのです。per を使うと「(誰かが,あるいは何かが)山を使って(村を囲んだ)」という意味になります。
参考: C^i tiu pupo estis farita de Anna per papero. この人形はアンナが紙で作ったものです。(この人形はアンナによって紙で作られました。)

訳例
Miaj geavoj log^as en vilag^o c^irkau^ita de montoj.


課題文n-ro187 わたしは初めてPetroに会った日をおぼえています。

解説
初めて: unuafoje, por la unua fojo, la unuan fojon などのようにいえばよいでしょう。unue は「(同じ人による一連の行為の)いちばんはじめに」という意味で,komence は「(ある動作,状態の)最初のうちは」という意味で,どちらもここでは不適当です。
比較:
S^i unuafoje vidis la maron. 彼女ははじめて海を見ました。
S^i salutis unue s-inon A kaj due s-ron B. 彼女は最初にA夫人に,次にB氏に挨拶しました。
S^i komence au^skultis lian paroladon, sed baldau^ ekdormetis. 彼女は最初のうちは彼の演説を聞いていましたが,やがて居眠りをはじめました。

Petroに会った日を: la tagon(,) kiam mi renkontis Petron。renkontis は renkontig^is kun ということもできます。renkonti は他動詞ですから目的語(ここでは Petron)を取りますが,renkontig^i は自動詞なので renkontig^i kun の形で使われます。vidi を使っていうこともできますが,vidis al Petro ではなく, vidis Petron としましょう。Petro のようにエスペラント化された固有名詞の対格(目的格)は -nを付けて,Petron とするのが普通ですが, Petro-n と書いてもよいでしょう。例えば日本人の名前の マサオ の対格は Masao-n と書いたほうが,外国人には主格が Masao であることがはっきりして分かりやすいということがいえますね。エスペラント化されていない固有名詞は,対格でも -n を付けないことがあります。

「〜する日,〜した日」は la tago(,) kiam の形で表現します。無冠詞の tago でもコミュニケーションに支障はありませんが,la tago kiam ... の形で口を慣らしておくと,会話でもこの表現がすらすらと出てきますし,書くときも特に意識しなくても冠詞を付け忘れません。kiam の前のコンマは付けても付けなくてもかまいません。

わたしは(〜を)おぼえています: mi memoras 〜n。mi memoras ke とすると,「わたしは(〜したことを)おぼえています」という意味になります。

訳例
Mi memoras la tagon(,) kiam mi unuafoje renkontis Petron.


課題文n-ro188 月曜日はわたしがいちばん忙しい曜日です。

解説
月曜日は〜です: lundo estas 〜。lundo に冠詞は不要です

わたしがいちばん忙しい曜日: 訳例に挙げた文のように,「わたしにとっていちばん忙しい曜日」という構文でいえばよいでしょう。人を主語にしていうときは estas okupita を使うのがよいのですが,それ以外の場合には okupata を使うのがよいでしょう。「曜日」はここでは tago だけで十分です。la tago de la semajno は誤りではありませんが,semajnotago は「曜日」ではなく「平日(土日以外の曜日)」を表します。

参考: Mi neniam trinkas alkoholaj^ojn en semajnotagoj. (わたしは平日には酒類を絶対飲まない)

ここでは「月曜日」のことですから semajnotago(平日) を使っても違和感はありませんが,これがもし「日曜日はわたしがいちばん忙しい曜日です」という文であれば,それを Dimanc^o estas mia plej okupata semajnotago のようにいうとおかしいですね。

訳例
Lundo estas la plej okupata tago por mi.


課題文n-ro189 マサオは有珠(うす)山が爆発した年に生まれました。

解説
マサオは生まれました: Masao naskig^is または Masao estis naskita。

有珠(うす)山が爆発した年に: en la jaro, kiam la monto Usu erupciis。kiam の前のコンマは付けなくてもかまいません。「有珠山」は Monto Usu と monto Usu がいちばん多く寄せられました。市の名前や山,川,湖などの表記は民族語の影響もあって,いろいろありますが,la urbo Nara(奈良市), la monto Usu, la rivero Tone(利根川)のような表記するのがよいと思います。ただし,モンブラン(Mont Blanc)のように, 固有名詞に monto が組み込まれている場合は la monto Blanc としないで,Monto Blanka のように無冠詞で大文字の Monto を使っていうのが普通です。
「爆発した」は,ここでは erupciis を使っていうのがよいでしょう。山のかなりの部分が吹き飛んでしまったような大きな噴火の場合には eksplodis を使っていうこともできます。比喩的用法の場合は Lia koro estas vulkano, kiu eksplodas kelke da fojoj en tago.(彼の心は日に何度も爆発する火山だ)のように eksplodi が使われます。
en la jaro を la jaron とするのはよくありません。これは Kelkaj pomoj trovig^as en la korbo.(かごの中にいくつかのリンゴが入っています)を Kelkaj pomoj trovig^as la korbon. ということができないのと同じです。
la eksplodinta jaro は誤りです。これでは jaro が eksplodi したことになります。

訳例
Masao naskig^is en la jaro(,) kiam la monto Usu erupciis.


課題文n-ro190 彼らは世界が戦争に明け暮れた世紀に生きました。

解説
彼らは〜に生きました: ili vivis en 〜。naskig^is は「生まれた」ですから,ここでは不適当です。

世界が戦争に明け暮れた世紀: 「世界」は la mondo でよいのですが,この la mondo は「世界中のすべての人たち」を表すので,la homaro と同じです。c^iuj urbanoj の意味で urbo が使われるのと同じで,こういうのを換喩法(metonimio)といいます。(下に換喩法の例を「参考」として挙げておきます。)
mondo には冠詞を付けましょう。

参考: La tuta tablo eksplodis per rido.(食卓を囲んでいた人たちみんなが爆笑した)

「戦争に明け暮れた」には,いろいろな訳が寄せられましたが,「戦争が次々に起こった」と考えると,militoj sinsekve okazis, militoj okazis unu post la alia のようにいえます。militis tage kaj nokte も使えるでしょうが,estis obsedita pri milito や estis c^irkau^ata de militoj はよくありません。esti obsedita は妄想や執念に取りつかれるという意味ですし,esti c^irkau^ata は取り囲まれているという意味ですから,どちらもここでは不適当です。oni sindec^idis al milito,estis okupita de militoj は「戦争に専念した」という意味で,風刺的な表現としては使えますが,普通の文章では浮き上がった表現になります。la mondo militis とすると,「全人類が一丸となってほかの何かと戦争した」というような意味になるので,la mondo militis inter si としましょう。ripetadis や okazigis を使っていうこともできます。「戦争」は militojn と複数形にしましょう。bataloj は「個々の戦闘」をいうので,「戦争」は militoj を使います。
「世紀」は jarcento ですが,「〜した世紀」は jarcento, kiam 〜 または jarcento, dum kiu 〜 などのようにいいます。jarcento の後のコンマは付けない人もいます。jarcento に冠詞を付けるか付けないかは,文脈によりますが,この文の ili が誰を指しているは聞き手には分かっている筈ですから,このjarcento には冠詞を付けるほうが自然です。

訳例
Ili vivis en la jarcento kiam militoj sinsekve okazis en la mondo.
Ili vivis en la jarcento dum kiu la mondo spertis sinsekvon da militoj.