課題文n-ro251 きのうわたしは,マサオがひとりで川沿いを散歩しているのを見ました。

解説
わたしはマサオがひとりで散歩しているのを見ました: mi vidis(,) ke Masao sola promenas または mi vidis Masao-n solan(または sola) promenanta のようにいうことができます。「マサオ」が目的語になるときは,Masaon, Masao-n の形にしたり,対格語尾を付けずに Masao のままにすることもあります。Mi vidis Masao-n の構文にしたとき,「ひとりで」を sola の形にするか solan の形にするかという問題が起きますが,これは sola を 付加形容詞(名詞の直前または直後に付く形容詞)と見るか,叙述形容詞(動詞をはさんで間接に名詞を修飾する形容詞)と見るかによって決まる問題で,大方の意見では,どちらにも取れるというのが一般的ですから,ここではどちらを使ってもよいでしょう。「ひとりで」には sole も使えますが,sole は nur と同じ意味でも使われるので,誤解を避けるために「ひとりで」という意味のときは sola を使うほうがよいでしょう。
Mi vidis Masao-n, kiu promenis sola というようにもいうことができますが,この場合は過去形(promenis)でいわなければなりません。Mi vidis(,) ke Masao promenas という構文のときは現在形(promenas)でいうので,この区別に注意しましょう。これは ke を使う構文では文の述語動詞(ここでは vidi) の時点を基準にしていうので現在形でいうのに対して,関係詞(ここでは kiu)を使っていうときは,話しているときを基準にしていうので過去形になるのです。 なお,kiu を固有名詞(ここでは Masao)に付けるときは,Masao, kiu ... のように kiu の前にコンマを付けましょう。
「ひとりで」の欠落や Masao の代わりに lin を使ったのはうっかりミスですね。promeas はタイプミスでしょう。

川沿いを: lau^ rivero または lau^longe de rivero のようにいえばよいでしょう。聞き手にどの川のことか分かるときには,冠詞を付けて la rivero といいます。lau^longe は2語ではなく1語に書きます。また lau^longe は副詞ですから lau^longe la rivero ではなく,lau^longe de la rivero としなければなりません。rovero はタイプミスですね。

訳例
Hierau^ mi vidis(,) ke Masao sola promenas lau^ la rivero.
Hierau^ mi vidis Masaon solan promenanta lau^ la rivero.
Hierau^ mi vidis Masao-n, kiu promenadis sola lau^longe de la rivero.


課題文n-ro252 Petroは,男の子が海でイルカといっしょに泳いでいるのを見ました。

解説
男の子が泳いでいるのを見ました: vidis(,) ke knabo nag^as または vidis knabon nag^anta のようにいうことができます。vidis knabon nag^i のように動詞の不定形を使うのは,厳密にいえば,分詞形(nag^anta)を使っていうのと同じではありません。次の例文を見てください。

比較:
(1) Mi vidis knabon nag^i trans la riveron.(わたしは少年が川を泳ぎ渡るのを見ました)
(2) Mi vidis knabon nag^anta trans la riveron.(わたしは少年が川を泳ぎ渡っているのを見ました)

(1)の文が少年の行為の全部(泳ぎ始めから対岸に着くまで)を見たことをいうのに対して,(2)の文は少年の行為の一部(泳ぎ渡っている途中)を見たことをいいます。つまり(2)の文は,少年が対岸に着いたかどうかについては触れていないのです。英語でも同じように不定詞(swim)と分詞(swimming)によって区別することができますが,ラテン系の言語では不定詞と分詞によるこのような区別がないので,ヨーロッパのエスペランチストは,どちらの場合にも動詞の不定形を使うことが多いようです。
knabo, knabon に冠詞をつけるのはよくありません。どの男の子のことをいっているのか聞き手に分かっている場合には冠詞を付けていいますが,そうでない場合には無冠詞の knabo, knabon を使いましょう。
「泳いでいる男の子を見ました」という意味で vidis knabon(,) kiu nag^is ということもできますが,関係詞を使うときは動詞の時制に注意してください。ここでは nag^as ではなく nag^is としなければなりません。

海で: en la maro。sur la maro はよくありません。「ホバークラフト」のように水面の上を進む場合は,Mi vidis teraplanon iranta sur la maro(わたしはホバークラフトが海上を走っているのを見ました)のようにいいますが,「泳ぐ」ときは sur la maro ではなく en la maro を使っていいます。

イルカといっしょに: kun delfeno または kune kun delfeno。kune kun は「同時同場所」を強調します。

訳例
Petro vidis(,) ke knabo nag^as (kune) kun delfeno en la maro.
Petro vidis knabon nag^anta kun delfeno en la maro.
Petro vidis knabon, kiu nag^is kun delfeno en la maro.


課題文n-ro253 あなたは,その男の人が通りを横切るのを見たのですか。

解説
「その男の人が通りを横切るのを見た」という日本語を,「横切っているところを見た」という動作の進行中の意味にとるか,「横切ったのを見た」という動作の完了の意味にとるかによって,エスペラントの表現は違ってきます。横断中の男の人を見たという場合には,vidis la viron transiranta la straton, または vidis(,) ke la viro transiras la straton のようにいうでしょうし,反対側に着いたのを見た場合には,vidis la viron transiri la straton, または vidis(,) la viro transiris la straton のようにいうでしょう。vidis tiun viron krucirante の krucirante は kruciranta としなければなりません。la viron, la viro は tiun viron, tiu viro ということもできます。「通り」は,街なかの道のことをいう言葉ですから,strato を使っていうのがよいでしょう。「横切る」には iri transverse, kruciri, krucpas^i, iri lau^larg^e を使った訳も寄せられましたが,普通よく使われるのは transiri または iri trans で, transiri straton, iri trans straton の形で使われます。transverse pas^anta en la strato, trairas c^e la strato の en, c^e はよくありません。en, c^e は log^i en(c^e) la strato Ginza(銀座通りに住んでいる)のように使われるのが普通です。iri, pas^i のような自動詞とともに使うときは sur la strato のようにいいます。sur la straton は「通りへ」という「通りへの移動」を表すときの表現です。strato は,無冠詞で使えば,「どこかの通り」を指すことになりますが,ここではどの通りのことを指しているのかが話し手と聞き手に分かっていると考えるほうが自然ですから冠詞を付けましょう。

訳例
C^u vi vidis la viron transiri la straton?
C^u vi vidis(,) ke la viro transiras la straton?


課題文n-ro254 ここで通りを横断するのは危険です。

解説
ここで: c^i tie といいます。de c^i tie を使った訳が数例ありました。日本語でも「ここから」といえるので,de c^i tie も使えないではありませんが,ここでは c^i tie のほうがよいでしょう。c^i tie を置くところは transiri の前か後,または文末でもよいのですが,一般的には文中よりも文末に置いた語のほうが目立つので強調されることになります。

通りを横断するのは: transiri la straton とするのがよいでしょう。「いつもここで横断している」という相手に対していうときは,ke vi transiras la straton のようにいうこともできますが,これから横断しようとしている人にいうときは ke vi transiras ... ではなく,ke vi transiros ... といいます。これから行われる一回きりの動作は -os で表し,現在を中心とした習慣(繰り返して行われる動作)は -as で表します。
ke oni ektransiri ... や oni transiri とするのは誤りです。この oni は主語ですが,「主語+動詞の不定形」という形はありません。主語の動作,状態を表す動詞は finitivo(-as, -is, -os, -us, -u の語尾を持つ動詞の形)に限ります。

危険です: estas deng^ere といいます。主語が動詞の不定形(ここでは transiri)や ke節(ke の後に「主語+動詞」が続く)のときは形容詞ではなく,副詞で修飾します。estas en dang^ero ということもできます。
Transiri la straton c^i tie estas dang^ere は文法的には問題はありませんが,このように主部(Transiri la straton c^i tie)が長いときは,下の訳例のように倒置して Estas dang^ere transiri ... の形にするほうが安定感のある文型になるので,倒置する形が好まれます。

訳例
Estas dang^ere transiri la straton c^i tie.


課題文n-ro255 あなたが彼といっしょに行ってくれることが望ましいのですが。

解説
〜ことが望ましいのですが: estus dezirinde(,) ke 〜というのがよいでしょう。estas dezirinde(,) ke 〜は「〜することが望ましい」という意味で,丁寧な表現ではありません。ここでは「望ましいのですが」は丁重な表現ですから,estus を使っていうのがよいでしょう。mi deziras(,) ke 〜や mi volas(,) ke 〜も mi dezirus(,) ke 〜 mi volus(,) ke 〜 とすると,丁寧な表現になります。日エスで「望ましい」を引くと,dezirinda, preferinda が
出ていますが,preferinda は「ほかの人,物に比べて」という意味を含んでいるので,例えば「(彼といっしょに行くことができる人は他にもいるのだが)できれば,あなたに行ってほしい」という場合にはぴったりの表現です。

上に挙げたように ke を使う構文では estus dezirinda ではなく, estus dezirinde のように副詞形を使うことに注意してください。これは動詞の不定形(-i)が主語のときも同じです。

参考: Ne estas bone, ke la homo estu sola.(人がひとりでいるのは良くない。創世記 2:18)

あなたが彼といっしょに行ってくれる: vi akompanu lin や vi iru kun li, または vi iru kune kun li のようにいうことができます。注意しなければならないのは,動詞が -u の形を取ることです。deziri, preferi や,その派生語である dezirinde, preferinde とともに使われる ke節(ここでは ke vi akompanu lin, ke vi iru [kune] kun li)の中の述語動詞(akompani, iri)は -os や -us の形ではなく -u の形を取ります。deziri, preferi のほか,permesi, ordoni, necesi, voli なども ke 以下の述語動詞は -u の形を取ります。

参考: Necesas ke vi iru.(あなたが行くことが必要です。)
Li ordonis al mi ke mi iru.(彼はわたしに行くように命じました。)

なお,訳例にある訳が vi akompanu lin でなく vi lin akompanu となっているのは,普通弱く発音される人称代名詞(ここでは lin)が語尾にくるのを避けるためです。

訳例
Estus dezirinde ke vi lin akompanu.
Estus dezirinde ke vi iru kun li.


課題文n-ro256 この手紙を日本語に訳していただきたいのですが。

解説
この手紙を: c^i tiun leteron または tiun c^i leteron。c^i tiu と tiu c^i は,どちらも使われますが,新しい PLENA ILUSTRITA VORTARO DE ESPERANTO では c^i tiu の形を勧めています。これは発音が「弱強弱」になって,エスペラントのアクセント(最後から2番目の母音に置かれる)と一致するからです。(tiu c^i は「強弱弱」と発音されます。)

日本語に: en la japanan lingvon または lingvon を省略して en la japanan というのがよいでしょう。en japanan lingvon でもよいのですが,冠詞を付けることをお勧めします。lingvon を付けずに en la japanan の形にするときは,必ず冠詞を付けましょう。al la japana lingvo や en la japana lingvo とするのはよくありません。「日本語で書く(話す)」というときは,skribi (paroli) en la japana lingvo(この lingvo も省略できます)が,「日本語に翻訳する」というときは, traduki en la japanan (lingvon)といいます。japanigi を使う人もいますが,japanigi はもともと「日本化する,日本語[人]風にする」という意味で,「日本語に翻訳する」という意味にも使われますが,「日本語に翻訳する」という意味では,国際的にはあまり使われていないようです。

訳していただきたいのですが: mi volus(,) ke vi traduku か mi dezirus(,) ke vi traduku とするのがよいでしょう。Estus dezirinde, ke vi traduku は「あなたが訳してくださることが望ましいのですが」という意味ですから,課題文の日本語とは少し違いますね。C^u vi bonvolus traduki ...? は「訳していただけないでしょうか」という意味ですから,課題文の日本語に近い表現といえるでしょう。(日本語では否定の疑問文でいうのが普通ですが,エスペラントでは C^u vi ne bonvolus ... ではなく,肯定形の C^u vi bonvolus ... の形が普通です)。Bonvolu traduki ... は丁寧な依頼の形です。Mi volus peti de vi traduki ...といういい方もできます。

訳例
Mi volus(,) ke vi traduku c^i tiun leteron en la japanan lingvon.


課題文n-ro257 わたしは,そのメッセージを日本語からエスペラントに翻訳しました。

解説
そのメッセージを: la mesag^on または tiun mesag^on。

日本語から: el la japana lingvo または el la japana。el のところに de を使うのはよくありません。el la japanan は誤りです。el の後に対格(-n)が置かれることはありません。

エスペラントに翻訳しました: tradukis en Esperanton。en la Esperanton のように冠詞をつけるのはよくありません。Esperanton は esperanton と書く人もいます。「エスペラント語に」という意味で en la esperantan というのもよくありません。「エスペラント語に」といいたいときは en la lingvon Esperanto というのがよいでしょう。al Esperanto ではなく en Esperanton としましょう。「エスペラントを使って翻訳する」という意味で traduki en(またはper) Esperanto といういい方もありませんが,「エスペラント語に(翻訳する)」は en Esperanton というのがよいでしょう。esperantigis は「エスペラント化する,(ある人を)エスペランチストにする」というような意味です。「エスペラントに翻訳する」という意味で使う人もいますが,「エスペラントに翻訳する」というときは, traduki en Esperanton ということをお勧めします。

参考: Oni povas ne esperantigi proprajn nomojn escepte de konataj nomoj jam esperantigitaj.(固有名詞は, すでにエスペラント化されてよく知られて名前のほかは,エスペラント化しなくてもよい。)

訳例
Mi tradukis la mesag^on el la japana en Esperanton.


課題文n-ro258 だれかこの詩をエスペラントに翻訳してくれませんか。

解説
だれか: iu el vi というのがよいでしょう。この vi は,もし何かの集まりでいうときなら,この発言を聞いている人たちを指していますし,メーリングリストの中での発言なら,これを読む人を指しています。iu だけでもわかりますが,kiu は「だれが」という意味ですから,「だれか」とは違いますね。ここでは,ひとりの人を念頭に置いて発言していると考えて,単数形の iu を使っていうのがよいでしょう。複数の人を念頭に置いていうときは iuj を使っていいます。

参考:
C^u iuj el vi bonvolus helpi min en la preparoj de la kongreso?(大会の準備をだれか手伝ってくださいませんか)

この詩を: c^i tiun poemon といいます。poezio は「文学形式としての詩」のことで,個々の詩は poemo といいます。 poeziaj^o は「あまり長くない詩(の1編)」で,poemo は「詩としての完成度が高い,比較的長い作品」を指しますから,俳句や川柳は poemeto です。

エスペラントに翻訳してくれませんか: bonvolus traduki ... en Esperanton? というのがよいでしょう。bonvolus traduki の代わりに povus traduki も使えますが,traduku はよくありません。 c^u iu traduku ...? は「だれかに翻訳させますか」という意味になります。C^u kiu tradukos ...? のようにはいいません。疑問詞(kia, kie, kio, kial, など)は文頭に置いて,c^u を付けません。

訳例
C^u iu el vi bonvolus traduki c^i tiun poemon en Esperanton?


課題文n-ro259 だれか彼の電話番号を知っている人はいませんか。

解説
だれか知っている人はいませんか: 複数の人に対しては C^u iu el vi scias ...? のようにいえばよいのですが,el vi を省略して iu だけでもかまいません。C^u ekzistas c^i tie iu, kiu scias ...? のようにもいえますが,話している状況が,その場所にいる人たちの中にいるかどうかを尋ねていることが明らかである場合は,C^u iu (el vi) scias ...? というのが普通でしょう。el vi も状況からいえば不要なくらいですが,iu el vi は一口で言える短い表現ですから,複数の人を前にしたときは習慣的に口から出てしまっても不自然ではありません。C^u ekzistas c^i tie iu, kiu scias ...? は,それに比べると日本語の原文を忠実に訳しすぎているともいえます。iu el vi は日本語の「ここにいらっしゃる皆さんの中で,どなたか」のような表現にも対応していると思ってもよいでしょう。
C^u iu el vi ekzistus scii や, C^u iu el vi ne estas tiun, kiu scias のようにいうことはできません。C^u iu el vi bonvolus scii のようにもいいません。「ここにいますか」という意味で C^u jen estas iu, kiu scias のように jen を使うことはありません。jen estas X は,相手の注意を引いて「ほら,ここに X がいます(あります)」というときに使われる表現です。C^u iu estas persono, kiu scias ... も分かりにくい表現で,外国人には通じないでしょう。
「知っている」に konas を使うのは,ここでは誤りです。電話番号や住所などを「知っている」のは scii を使っていいます。

参考:
scii: 知識として知っている
Li iom scias la anglan lingvon.(彼は英語を少し知っています。)
Mi scias instrui Esperanton.(わたしはエスペラントの教え方を知っています。)
koni: 経験を通じて知っている,(人を)知っている
Mi konas la lastan militon.(わたしはこの前の戦争を体験しています。)
Mi konas tiun viron, sed ne scias lian adreson.(わたしはあの男の人を知っていますが,彼の住所は知りません。)

彼の電話番号を: lian telefonnumeron または lian telefonan numeron。

訳例
C^u iu el vi scias lian telefonnumeron?


課題文n-ro260 あなたがわたしといっしょにそこへ行ったことを知っているのは,誰と誰ですか。

解説
あなたがわたしといっしょにそこへ行った: vi iris tien kune kun mi のようにいえばよいでしょう。kune kun は kun だけでも構いませんが,kune kun のほうが kun だけよりも,行動を共にしたことの強調になります。tie は「そこで」という意味ですから,そこへの移動を表すときは tien としなければなりません。c^i tien は「ここへ」という意味ですから iri といっしょに使うことはありません。vi akompanis min tien のようにいうこともできます。

ことを知っているのは,誰と誰ですか: Kiuj scias, ke でよいのですが,Kiuj scias pri tio, ke という言い方もあります。最初のほうが短いので,この言い方を使う人のほうが多いようです。意味上の区別はありません。kiu kaj kiu という直訳はよくありません。前にも書きましたが,あるイタリア人に見せたら,一読しただけでは意味がつかめず,わたしの説明を見てやっと分かったそうです。
iu kaj iu のようにも言わないので,複数の意味でいうときはiuj となりますが,iuj は「だれか,ある人」の複数ですから,C^u iuj scias ...? は「だれかが知っていますか」という質問になって,返事は Jes か Ne で答えられるので,例えば,Jes, kelkaj scias(はい,何人かが知っています) とか,Ne, neniu scias(いいえ,誰も知りません)のように答えます。Kiuj scias ...? に対する返事は Jes や Ne ではなく,Tion scias Akio kaj Haruo(アキオとハルオが知っています)のようにいいます。単に Akio kaj Haruo だけでもよいのですが,日本語で「アキオとハルオ」というと,ぶっきらぼうな返事になるので,「アキオとハルオです」というでしょう。この「アキオとハルオです」を Akio kaj Haruo estas と訳すことはできません。

訳例
Kiuj scias(,) ke vi iris tien kune kun mi?