課題文n-ro351 あすは始発のバスに乗って行きなさい。そうしないと遅刻しますよ。

解説
始発のバスに乗って行きなさい: prenu la unuan au^tobuson または veturu per la unua au^tobuso などのように言えばよいでしょう。au^tobuso は buso と言っても同じです。

そうしないと: au^ や alie または se ne を使って言うことができます。前回の解説の中で書いたように,au^ と alie は前の文にコンマを付けて続け,se ne はピリオドを打って終った文の後に,Se ne, とコンマで区切るのが普通です。au^, alie, のようにコンマを付けることは普通しません。

遅刻しますよ: vi malfruos または vi malfruig^os と言います。malfrui と malfruig^i は PLENA ILUSTRITA VORTARO DE ESPERANTO(PIV)ではそれぞれ違う定義がされていますが,PLENA VORTARO DE ESPERANTO(PV)では malfru(ig^)i の形で定義されていて,この2語を区別していません。この課題文の場合には,どちらを使っても意味は同じです。ただし,「時計が遅れている」というときは,例えば,La horlog^o malfruas kvin minutojn.(時計が5分遅れている)のように,malfrui のほうを使って言うのが普通です。
atingi は他動詞なので,atingos tien のように言うのはよくありません。tien を使うのなら alvenos tien と言いましょう。atingos malfrue も alvenos malfrue としましょう。

訳例
Prenu la unuan buson morgau^, au^ vi malfruos.


課題文n-ro352 マサオは Karloがなぜ来なかったのだろうと思いました。

解説
Karloがなぜ来なかった: kial Karlo ne venis または pro kio Karlo ne venis とします。

マサオは ... のだろうと思いました: 「のだろうと思いました」に pensis を使った訳が応募の大部分を占めましたが,pensis kial ... のように pensi を ki-vorto とともに使うことはないとおぼえておいてよいでしょう。Kial Karlo ne venis, pensis Masao や Masao pensis, "Kial Karlo ne venis?" についても同じことが言えます。
miri を使って Masao miris kial ... を使った訳も寄せられましたが,この表現もよくないと言えるでしょう。miri をこのような意味に使うのは英語の wonder の用法の影響で,英語を母語とする人の中には,このような表現を使う人が見られることがありますが,ラテン系の言語を母語とする人や英語を母語としない人を含めて,国際的には miri kial(kiam, kie, kiu, ...)や miri c^u という表現はよくないとされています。わたしの手もとにある4冊の「英エス」でも miri にこのような用法を許している辞書は1冊もありませんし,とくに Butler の辞書には miri の見出し語のところで miri を scivoli, demandi sin の意味に使わないようにという注を付けています。『エスペラント日本語辞典』では miri の訳語2の例文に Mi miras, kial s^i ne venis.(=Mi demandas min, kial ...)が載っていますが,このような使い方はしないようにお勧めします。ただし,miri をそのような意味に使った文に出会うことがないとは言えませんから,上に述べたことを知っておくのも無駄ではないでしょう。

訳例
Masao demandis sin(,) kial Karlo ne venis.
Masao scivolis(,) pro kio Karlo ne venis.


課題文n-ro353 わたしは列車の中で,いまどこを走っているのだろうとよく思います。

解説
わたしは...のだろうとよく思います: mi ofte demandas min または mi ofte scivolas を使って言うのがよいでしょう。konjektas, imagas, ne komprenas, pensas を使うのはよくありません。mi demandas sin とした訳が数例ありましたが,これは誤りです。sin は主語が三人称(mi, ni, vi 以外)のときだけしか使われません。ここでは mi が主語ですから min を使わなければなりません。

列車の中で: en la trajno または en trajno と言えますが,trajno のところに vagonaro を使っても同じです。(厳密に言えば vagonaro は機関車を含みませんが,実用上は trajno と vagonaro は同じように使われます。)
trajno には冠詞を付けても付けなくても文法上の問題はありませんが,この課題文の場合は冠詞を付けて言う人が多いでしょう。なぜ冠詞を付けるのかと言うと,例えば,「列車の中で偶然A氏に会った」というときの「列車」は「ある列車に乗っていたら」とか「ある列車に乗ったら」というように「ある列車」という意味合いが強いのですが,この課題文の「列車」は「ある列車」という意味ではなく「列車という乗り物」を指して使われているからです。冠詞を付けるか付けないかという区別は,Li sendis al mi libron. Mi nun legas la libron.(彼はわたしに本を送ってくれました。いまその本を読んでいます。)のように,初級の段階でもすぐ分かる区別もありますが,この課題文の場合のように少し長い説明を必要とするような区別もあります。わたしたちは日本語の「は」と「が」を,無意識に区別して使っていますが,エスペラントの冠詞も付ける付けないが感覚的に分かるようになれば理想的です。

いまどこを走っている: kie mi nun veturas, kie la trajno nun veturas などのように言うことができます。mi は ni としてもよく,veturas のところに iras や kuras を使ってもよいでしょう。人や動物でなく乗り物について kuri を使うことに抵抗を感じる人もいますが,kuri は物についても使われるので,la trajno nun kuras を誤りとすることはできないでしょう。trajno rulig^as も使えますが,文頭に En trajno が使ってあるので二度目の trajno には冠詞を付けて, kie la trajno nun rulig^as としましょう。kie のところに en kiu loko を使うことはできますが,en kie のようには言いません。

訳例
En la trajno mi ofte demandas min, kie ni nun veturas.


課題文n-ro354 わたしの妹は,あなたと同じ名前です。

解説
わたしの妹は: mia fratino と言います。自分より年下であることを示したいときは mia pli juna fratino と言いますが,年齢で区別しないで「姉」も「妹」も mia fratino と言うのが普通です。fratineto は pli juna fratino と同義ではなく,愛称ですから「妹」という意味で使うと不都合な場合があります。juna fratino は妹が幼い場合や若い場合には使えますが,そうでない場合には使えませんから,一般的な「妹」の意味で使うことはできません。

あなたと同じ名前です: 「あなたと同じ名前を持っています」という構文にして havas la saman nomon kiel vi と言えばよいでしょう。sama は「同一の」と言う意味と「同様の」と言う意味があって,「同様の」という意味のときは冠詞を付けないほうが論理的ですが,抽象概念などの場合には「同一」と「同様」の区別が付けられない場合があるので,sama にはいつも冠詞を付けて使われるのが多いと言えるでしょう。sama al la via の al, saman nomon de vi の de は,いずれも kiel にします。
havas tian saman nomon, kian vi havas のように tian を使うのは,ここではよくありません。tia は de tiu kvalito, tiuspeca という意味ですから,tian strangan nomon kiel(のような変わった名前を)とか tian longan nomon kiel(のような長い名前を)などの場合には使えますが,ここでは使えない表現です。Mia fratino estas sama nomo kiel vi のように言うことはできません。sama の代わりに komuna を使うのはよくありません。下の例文をご覧ください。

参考:
Mi uzas saman komputilon kiel mia edzino.(わたしは妻と同じ機種のコンピュータを使っています。)
Mi uzas komputilon komunan kun mia edzino.(わたしは妻と共有のコンピュータを使っています。)

「わたしの妹の名前はあなたのと同じです」という構文にすることもできます。このときは La nomo de mia fratino estas la sama kiel la via のように nomo には冠詞が必要です。la via の la は付けなくてもかまいません。

訳例
Mia fratino havas la saman nomon kiel vi.


課題文n-ro355 マサオは,わたしに前とまったく同じ返事をしました。

解説
「わたしに返事をした」は donis respondon al mi または respondis al mi というのが普通です。respondis mian leteron(わたしの手紙に返事をくれた)とは言えるが,respondis min とは言わない,つまり respondi ion とは言うが,respondi iun とは言わない,とおぼえておくのがよいでしょう。

「前とまったく同じ返事を」は donis を使う表現では,la tute saman respondon kiel antau^e となり,respondis を使う表現では tute same kiel antau^e となります。

donis を使った場合は kiel antau^e の代わりに kiel la antau^an を使って言うこともできますが,respondis を使った場合には kiel la antau^an を使うことはできないので,kiel antau^e を使って言います。「まったく同じ返事をした」は donis la tute saman respondon または respondis tute same と言います。respondis la tute saman や respondis tute la saman はよくありません。kiel antau^e li diris の li diris は不要です。

訳例
Masao donis al mi la tute saman respondon kiel antau^e.
Masao respondis al mi tute same kiel antau^e.


課題文n-ro356 わたしの祖父は同じことを何度も言います。

解説
同じことを: la samon と言うのが簡潔な表現です。la samajn aferojn や la samajn vortojn も使えます。「同じこと」の内容が実際の出来事,または架空の出来事についての場合には rakonton も使えますが,日常生活の中の会話,例えば「〜はもう終わったか」とか「〜はまだか」などのようなことを繰り返して言う場合などには使えません。対格を使うのは「言います」に diras を使って言う場合ですから,parolas を使って言うときは pri la samaj aferoj のように,pri を付けて言います。samon のところに saman を使うのは誤りです。

何度も言います: diras plurfoje, diras multfoje, ripete parolas, ripetadi, diradas, diras ree kaj ree, rediras multfoje などを使って言うことができます。rakonti は paroli pri okazaj^o vera au^ imagita(本当にあった出来事または架空の出来事について語る)という意味ですから,そうでない場合,例えば上に挙げたような日常会話の中の繰り返しについて言うときには rakontas は使えません。「何度も」は ofte も使えますが,kiom da fojoj は「何回?」と尋ねる表現ですから,ここでは使えません。parolas la saman aferon は parolas pri la sama afero と言うのが普通です。
diris, ripetis のように過去形を使うのは,ここではよくありません。現在を中心として繰り返される行為を表すときは現在形を使って言います。

訳例
Mia avo diras la samon multfoje.


課題文n-ro357 わたしの兄は,この駅の構内で小さな喫茶店を経営しています。

解説
わたしの兄は: mia frato と言うのが普通ですが,自分より年上であることを言いたければ pliag^a や pli maljuna を付けて言えばよいでしょう。

この駅の構内で: 正確に言えば en la tereno de c^i tiu stacidomo ですが,ここでは en c^i tiu stacidomo としてもよいでしょう。

小さな喫茶店を: malgrandan kafejon でよいでしょう。malgrandan の代わりに etan も使えますが,この語には「かわいらしい」という語感を伴うことがあります。

経営しています: administras とした訳がいちばん多く寄せられましたが,この語はここではよくありません。日本語で「小さな喫茶店を経営しています」と言えば,その店の所有者であると理解されるのが普通ですが,administri には「所有している」という概念が含まれていないので,administri kafejon は「雇われて喫茶店の経営をまかされている」と言う意味に理解されます。「小さな喫茶店を経営している」を表すには havi malgrandan kafejon のように言うのがよいでしょう。この havi は havi kaj eventuale administri(所有していて,場合によっては業務を取り仕切る)と言う意味に理解されます。英語ではこのような場合 keep を使って言うので,エスペラントでも teni を使う人があります。PIV でも teni に havi sub sia regado, estante la posedanto au^ administranto(所有者または経営者として支配下に置いている)と言う意味を与えていますが,「所有し経営する」と言う意味に teni を使うことを批判する人も多く,ヨーロッパではほとんど使われていないそうです。英語を母語とする Anna Lowenstein(La S^tona Urbo の著者)も「わたしは teni をそのような意味に使わないし,そのように使われたのを聞いたこともない」と言っています。direkti には「所有している」と言う意味がないので,direktas malgarandan kafejon はよくありません。

訳例
Mia frato havas malgrandan kafejon en c^i tiu stacidomo.


課題文n-ro358 あの店を経営しているのは誰ですか。

解説
あの店を: 指で指し示して言うときは,la vendejon や la butikon ではなく,tiun vendejon, tiun butikon と言いましょう。tian は「あのような」と言う意味ですから,ここでは不適当です。

経営しているのは誰です: 「誰が経営しているのですか」と言う構文にして,Kiu havas,または Kiu posedas とするのがよいでしょう。Kiu posedas kaj administras とも言えますが,前回の解説に書いたように administri には「所有している」と言う概念を含まないため,Kiu administras とするのはよくありません。
「あれは誰の店ですか」と言う意味の Kies butiko g^i estas? の g^i は tio にしましょう。g^i はすでに話題に出たものを指して言うときに使う語ですから,tio の代わりに使うのはよくありません。

この課題文は Kiu estas la posedanto de tiu butiko? のように言うこともできます。

訳例
Kiu havas tiun butikon?


課題文n-ro359 その部屋には段ボール箱がひとつ置いてあって,その中に本がいっぱい詰まっていました。

解説
その部屋には: en la c^ambro または en tiu c^ambro。

段ボール箱がひとつ: 「段ボール箱」は『日エス』に skatolo el ondumita kartono と出ています。これは正確な言い方ですから,「段ボール箱」と言う日本語の定義として使うときはよいのですが,日常会話の中で使うには長すぎるので,kartono と言うのが普通です。『日本語エスペラント辞典』の kartono には「段ボール箱」と言う訳語も出ています。

置いてあって: 直訳すれば estis metita kaj ですが,この表現は「誰かが置いた」と言う行為の結果を表しているので,meti と言う行為にも多少の力点が置かれている表現です。ここでは単に「存在していた,あった」と言うことを表す estis または trovig^is や kus^is を使って言うのがよいでしょう。estis metata は「置かれる」と言う行為が完了していない状態であったことを表すので,この metata はよくありません。

その中に本がいっぱい詰まっていました: kaj に続けて g^i としてもよいし,訳例のように kartono の後に関係詞の kiu を使って 続けることもできます。g^i または kiu を主語にして estis plena de libroj のように言うのがよいでしょう。plena または plenplena は容器(ここでは段ボール箱)について言う語ですから,en kiu estis plenplenaj libroj ではなく,kiu estis plenplena de libroj としましょう。

訳例
En la c^ambro trovig^is kartono, kiu estis plena de libroj.
En la c^ambro trovig^is unu kartono plena de libroj.


課題文n-ro360 あなたは田中さんの親類にあたるのだそうですね。

解説
あなたは田中さんの親類にあたる: vi estas parenco de s-ro Tanaka または vi estas parenca al s-ro Tanaka のように言います。parenco por s-ro Tanaka のように por を使うのはよくありません。『日エス』に「彼女はわたしの親類筋にあたる」の訳として S^i estas parenco por mi が載っていますが,このエスペラント文は「(彼女はわたしの親類ではないが)わたしは彼女を親類のように思っている」と言う意味に取るのが普通です。

のだそうですね: Mi au^dis ke を使って言うのがよいでしょう。Oni diras ke や onidire, lau^ onidiro は「うわさによると」と言う意味を含むので,個人的に何かの話の中でたまたま知ったような場合には mi au^dis ke のように言うのがよいでしょう。「ね」を訳して c^u ne? を付けた訳がいくつかありましたが,ここでは付けないほうが自然です。c^u ne は文全体にかかるので,Vi estas parenco de s-ro Tanaka, c^u ne? は聞き手に,「田中さんの親類ですね」と確認する表現として使うことはできますが(注),Oni diras ke などといっしょに使うと,「と言われていますね」と言う意味になって,そう言ううわさがあることを確認する表現になってしまいます。vers^ajne を「のだそうですね」の意味に使うのはよくありません。C^u estas vera ke vi estas ... の vera は vere としなければなりません。C^u vi estis と過去形になっているのは,うっかりミスでしょう。

注: 「のだそうですね」は「ですね」と同じではないので,ここでは c^u ne? ではなく,Mi au^dis ke と言う表現を使うほうがよいでしょう。

訳例
Mi au^dis ke vi estas parenco de s-ro Tanaka.