課題文n-ro521 わが国では依然として出生率の下降が続いています。

解説
わが国では: en nia lando といいます。置く位置は文頭でも文末でもかまいません。

依然として続いています: ankorau^ dau^ras というのが簡潔な表現です。dau^ras sens^ang^e や dau^ras kiel antau^e という表現が使われている訳がありましたが,dau^ri には sens^ang^e や kiel antau^e という意味が含まれているので,これらの修飾語句は不要です。また,dau^ri は自動詞ですから,dau^ras malgrandig^i のように使うことはできませんし,dau^rig^i の形で使われることもありません。「どんどん(下降している)」という意味を強調して,c^iam pli (malgrandig^as) または (malgrandig^as) c^iam pli kaj pli のようにいうこともできます。

出生率の下降: la malkresko de la naskokvanto といえるほか,malkresko を動詞形にして,malkreskas la naskokvanto(出生率が下降している) のように表現することもできます。欧米のエスペランチストは,上に書いたように malkresko に冠詞を付けますが,これは母語の影響です。訳例の malkresko には冠詞を付けておきましたが,無冠詞の malkresko でも減点の対象にはしてありません。「(率が)下降している」という意味で sinki を使うことはできますが,descendi(=malsupreniri, malsuprenflugi)は, そのような転義には使われないのが普通です。

訳例
En nia lando ankorau^ dau^ras la malkresko de la naskokvanto.


課題文n-ro522 当時,戦争の危険が増大つつありました。

解説
当時: en tiu tempo, tiutempe, tiam, siatempe などが使えます。tiutempe を tiu tempe と2語に書くのは誤りです。これらの語句のあとにコンマを付けた訳が数例ありましたが,これはよくありません。日本語では「当時戦争の」のように書くと読みにくいので,「当時」のあとにコンマや読点(、)を置くことはありますが,エスペラントのコンマの用法は,日本語のコンマや読点とは違うということを知っておく必要があります。例えば,「エスペラントのコンマの用法は,日本語のコンマの用法とは違います」という文をエスペラントで書くと,La uzado de Esperanta komo diferencas de tiu de la japanlingva といえますが,これをもし日本語と同じようにコンマで区切って *La uzado de Esperanta komo, diferencas de tiu de la japanlingva* と書けば,正しい表記ではなく誤りとなります。

戦争の危険: dang^ero de milito のようにいうのがよいでしょう。dang^ero の前の冠詞を付ける人もありますが,これは民族語の影響によるものや,文体上の好みによるものです。milito に冠詞を付けるのはよくありません。*la milito*は聞き手の知っている「あの戦争」を表します。 「この「危険」には minaco, risko も使えますが, dang^ereco, krizo はよくありません。「戦争の危険」は,ここでは「戦争が起こる危険」の意味ですが,dang^ereco de milito は「戦争というものが持っている危険性」を意味します。例えば,第一次世界大戦と比べると,現代の戦争の dang^ereco は比較できないほど大きくなっていますね。krizo は「(すでに始まっている)戦争の重大局面」を表す語ですから,ここでは不適当です。

増大つつありました: estis kreskanta というのがよいでしょう。esti ...anta の形は,重い感じがするので,多用は避けるべきですが,ここではこの表現がぴったりです。estas kreskanta は nun kreskas または状況によっては nun を入れずに kreskas としても同じ意味を表しますが,estis kreskanta を kreskis とすると,「増大つつありました」ではなく,「増大しました」という意味になります。「増大つつありました」は,増大するという状態が過去のある時期に続いていたことを表しますが,「増大しました」は過去のある時期に増大するという状態が既に完了していたことを表します。kreski は *kreskig^i* の形で使われることはないので,*kreskig^anta* という形もありません。

訳例
Tiutempe dang^ero de milito estis kreskanta.


課題文n-ro523 Petro は自分の生命の危険を冒して,その女の子を救い出しました。

解説
自分の生命の危険を冒して: je la risko de sia vivo, または riskante sian vivon などのようにいうことができます。riske al sian vivon は riske de sia vivo とするのがよいでしょう。al や de の後に対格(-n)が置かれることはありません。riskinte sian vivon の riskinte は riskante としましょう。riskinte とすると,「自分の生命の危険を冒してから,救出した」という意味になって,「救出に伴う危険を冒して」という同時性の意味がなくなります。この同時性の欠落は Petro riskis sian vivon kaj ... (Petro は自分の生命の危険を冒しました。そして) という文についてもいうことができます。kun dang^ero, ke li perdus sian vivon の dang^ero は ke節(ke li perdus ...)で限定されているので,冠詞を付けて kun la dang^ero, ke li perdus sian vivon または kun la dang^ero perdi sian vivon としましょう。この dang^ero は risko にすることもできますし,sian vivon は la vivon とすることもできます。

その女の子を救い出しました: savis la knabinon といえばよいでしょう。「救い出しました」は forsavis を使っていうこともできます。savis vivon de la knabino は vivon に冠詞を付けて savis la vivon de la knabino とします。

訳例
Petro savis la knabinon je la risko de sia vivo.
Petro savis la knabinon, riskante sian vivon.


課題文n-ro524 わたしはすべて自分の責任でやろうと決心しました。

解説
すべて: 「すべて」は「全部,何もかも」という意味ですから, c^io を使っていうのがよいでしょう。ここでは fari の目的語になるので c^ion とします。tute は「まったく,完全に」という意味ですから,tute je mia (propra) respondeco ということはできますが,je tute mia (propra) respondeco とすると,意味不明の表現になります。日本語では「まったくわたしの...」とい表現を使うことはできますが,エスペラントで tute mia ...ということはできません。c^ion の代わりに tuton を使うこともできますが,冠詞を付けて la tuton としましょう。

自分の責任で: je mia propra respondeco といいます。propra はなくてもかまいませんが,入れたほうが強調した表現になります。この表現では前置詞に je を使うという慣習が確立しているので,je mia propra respondeco というまとまった形で覚えておくのがよいでしょう。

やろうと決心しました: mi decidis fari または mi decidis, ke mi faru といいます。ke節を使う場合には,faros ではなく faru となることに注意してください。この課題文のように decidi する人と fari する人が同じ場合には mi decidis fari と不定形の動詞を使っていうほうが簡潔ですが,そうでない場合には decidi, ke iu faru といわなければなりません。(ke の前のコンマは付けない人もあります。) 

参考:
Mi decidis, ke Masao min akompanu.(わたしはマサオにいっしょに行ってもらうことにしました。)

訳例
Mi decidis fari c^ion je mia propra respondeco.


課題文n-ro525 もし何かあれば,わたしが責任を取ります。

解説
もし何かあれば: se io okazos というのがよいでしょう。「何かあれば」というのは,ここでは「何か起これば」という意味ですが,havi には「(何かが)起こる」という点動詞的な意味はないので,se ni havos ion という表現は不適当です。se estus la problemo の estus も線動詞ですし,-us とするのもよくありません。la problemo の冠詞は誤りです。

参考:
S^ajnas al mi, ke Masao havas ian problemon.(マサオは何か問題を抱えているようです。= 何か悩み事があるようです。)

kiam io okazos の kiam はよくありません。日本語の「何かあったときは」という表現は,「もし何かあれば」と同じ意味で使われることがありますが,エスペラントの kiam io okazos と se io okazos は区別して使われます。kiam を使うのは「起こることは確実な場合」で,「起こるかどうか分からない場合」には se を使っていいます。ですから,「夏休みになったら」というときは *se la someraj ferioj venos* ではなく,kiam la someraj ferioj venos といいますが,「(来るかどうか分からないが,もし)マサオが来たら」というときは se Masao venos といいます。ただし,一般的真理について述べるときは,kiam, se のどちらを使ってもかまいません。

参考:
Kiam(Se) figuro havas tri laterojn, g^i estas triangulo.(図形に三つの辺があれば,その図形は三角形である。)

わたしが責任を取ります: mi prenos sur min la respondecon または mi akceptos la respondecon といえばよいでしょう。prenos sur min の sur min は必ず入れなければならないというわけではありませんが,この表現はたいてい sur sin(ここでは sur min)を入れて使われます。「責任」は respondo ではなく respondeco といいます。ここでは,何かあれば「その責任を」取ります,という意味なので,冠詞を付けて対格(-n)にします。

訳例
Se io okazos, mi prenos sur min la respondecon.


課題文n-ro526 ここでは「責任」ということばが,拡大された意味で使われています。

解説
ここでは: c^i tie といえばよいでしょう。en c^i tiu okazo といういい方もあります。

「責任」ということば: la vorto "respondeco" といいます。イタリック体が使える場合には,括弧を付けずにイタリック体で表すこともあります。vortaro を使うのは誤りです。vortaro はひとつの単語を指すのではなく,語彙(ひとつの言語,あるいはその言語の中の特定の範囲についての単語の総体)を指す語です。

拡大された意味で: en la plivastigita senco または en la plivasta senco などのようにいうのがよいでしょう。冠詞を付けるのは「la vorto "respondeco" の(拡大された意味)」ということを示すためです。日本語の「拡大された」を直訳して *pligrandigita* を使うのは誤りです。「意味を広げる」ことはできますが,「意味を大きくする」ことはできないからです。日本語の「拡大解釈」は plivastigita interpreto と訳されることも覚えておきましょう。前置詞は je, kun ではなく,en を使います。kiel もよくありません。plivastigata は「拡大されつつある」という意味になるので,plivastigita としましょう。-ata は「始まった行為がまだ終わっていない」ことを表します。

使われています: estas uzata といいます。uzig^as といういい方もできます。uzita は uzata としなければなりません。uzita は「使われた(今は使われていない)」という意味で,uzitaj pos^tmarkoj(使用済みの切手)などのように使われます。「責任」ということば」を目的語にして,oni uzas la vorton "respondeco" のようにいうこともできます。

訳例
C^i tie la vorto "respondeco" estas uzata en la plivastigita senco.
C^i tie oni uzas la vorton "respondeco" en la plivasta senco.


課題文n-ro527 この文の中で,わたしは devo という語をもっとも狭い意味で使いました。

解説
この文の中で: en c^i tiu frazo のようにいえばよいでしょう。「文」に skribaj^o を使うのはよくありません。skribaj^o は複数の文を含む場合があって,その場合は「文」ではなく「文章,書類」の意味になります。日本語の「文」にはいくつかの意味がありますが,ここでは frazo の意味で使われていると取ってよいでしょう。

devo という語を: la vorton "devo" といいます。

もっとも狭い意味で: en la plej malvasta senco または en la malplej vasta senco のようにいいましょう。plej malvasta と malplej vasta とは実用上の意味の区別はありません。つまり,どちらの表現を使っても同じ内容を伝えることができるということです。表現は異なりますが,en la strikta senco(厳密な意味で), en la preciza senco(正確な意味で)といってもほとんど同じ意味を伝えることができます。
la plej plimalvasta のようにはいいません。

訳例
En c^i tiu frazo mi uzis la vorton "devo" en la plej malvasta senco.


課題文n-ro528 "Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn"という文は分かりにくい。

解説
"Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn"という文: la frazo "Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn"といいます。jenan frazon:"Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn"のようにコロン(:)を使うと,「という文」の持つ一体感がなくなって,「次の文,すなわち」という切れた表現になるので,ここでは上に書いたようにいうのがよいでしょう。la frazo, ke "Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn" のようにはいいません。

分かりにくい: estas malfacile komprenebla または ne estas facile komprenebla のようにいいます。estas nekomprenebla や ne estas komprenebla はよくありません。これらの表現は「分からない,意味が取れない」ということを表しますが,「分かりにくい」というのは「分からない」のではなく,「読み返してみると(何度も読んでみると)意味が取れるが,一読してすぐには意味が取れない」ということを表す表現です。estas malfacile kompreni の kompreni は誤りです。Kompreni la frazon "Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn" estas malfacila の malfacila は malfacile としなければなりません。動詞の不定形(ここでは kompreni)を修飾するのは,形容詞ではなく副詞です。

訳例
La frazo "Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn" estas malfacile komprenebla.

なお,Mi ne sciigos c^i tion al iu ajn は,次のように書き換えると分かりやすい文になります。
Al neniu ajn mi sciigos c^i tion.
al neniu ajn は文末に置いてもよいし,ajn をつけなくてもかまいません。neniu ajn は neniu の強調表現です。


課題文n-ro529 "fandi kuglojn"という表現はどういう意味ですか。

解説
"fandi kuglojn"という表現: la esprimo "fandi kuglojn"といいます。esprimo のところに frazo や vortumo を使うのはよくありません。

どういう意味ですか: Kion signifas または Kian signifon havas といいます。Kiun signifon havas は「(いくつかある中の)どの意味ですか」という選択を求めるときの表現ですから,ここでは不適当です。Kia signifo estas la esprimo ... は誤りです。estas にはイコール(=)のような機能がありますが,この場合 esprimo=signifo という関係が成立しないので,Kia signifo estas la esprimo ... という表現はできないのです。(ここでいう「イコール」は数学で使われるような厳密な意味で用いたのではありません。) kiel senco は誤りです。kiel は「どのように」という意味の副詞ですから,名詞を修飾することはできません。Kion signifas la senco de la esprimo ... は,「... という表現の意味はどういう意味ですか」というように「意味」が重複しているので,la senco de を削除しましょう。

この fandi kuglojn という表現は,ザメンホフが訳したゴーゴリ作の喜劇 LA REVIZORO の中に出ています。20年ほど前に La Movado の編集部からの依頼で LA REVIZORO について書いた折,このザメンホフ訳をロシア語の原文と比べながら読んだのですが,そのときロシア語の慣用句(idiomaj^o)を直訳した表現をいくつか見つけました。fandi kuglojn はその中のひとつで,「ほらを吹く」という意味です。LA REVIZORO は機知に富んだ,生き生きとした会話の連続で,読み物としてもたいへんおもしろいものですが,ロシア語を知らないとよく意味が理解できない箇所があるのに,ザメンホフがなぜ訳注をつけなかったのかは分かりません。

訳例
Kion signifas la esprimo "fandi kuglojn"?
Kian signifon havas la esprimo "fandi kuglojn"?


課題文n-ro530 わたしは「骨を折る」という日本語の慣用句の意味をPetroに教えてあげました。

解説
「骨を折る」という日本語の慣用句の意味を: la signifon de la japana idiomaj^o "rompi al si la oston" のようにいうのがよいでしょう。「骨を折る」を漢字とかなのまま書いた文がありましたが,これはよくありません。メールで送ったのなら文字化けするでしょうし,紙に書いたものを見せたとしても,日本語を知らない人には意味不明の記号にしか見えません。これはハングルやヘブライ語の文字で書かれたものを見せられたとき,それらの知識のない普通の日本人には,まったく読めないのと同じです。"hone wo oru" とローマ字で書けば,外国人にも読めるでしょうが,"hone wo oru" というのが「骨折する」という文字通りの意味ではなく,慣用句としては別の意味があるということは分かりません。これは例えば,ロシア語の lit' puli というのは「ほらを吹く」と教えられても,lit' puli が 直訳では fandi kuglojn という意味であることを教えられなければ慣用句のおもしろさは分からないのと同じです。la japana idiomaj^o "hone wo oru(rompi al si la oston)のように,ローマ字表記の日本語を挙げて,カッコ内にその意味を書いておくのもよいでしょう。ただし,この課題文では「骨を折る」という日本語の慣用句の意味は書いてないので,strec^i sin, peni, klopodi などを "hone wo oru" の後のカッコ内に書くのはよくありません。「骨折する」は rompi al si la oston または複数の骨についていうのであれば rompi al si la ostojn といいます。

わたしはPetroに教えてあげました: mi instruis al Petro, mi instruis Petron pri, mi sciigis al Petro, mi klarigis al Petro, mi eksplikis al Petro などのようにいうことができます。日本語の「教える」にはいくつかの意味があるので,「教える」をいつも instrui と訳してよいわけではありませんが,ここでは instrui を使っていうことができます。ただし,mi instruis Petron la signifon de ... というのは誤りです。エスペラントでは *instrui iun ion* のように,間接目的語に対格の名詞,代名詞を使うことはできないので,instrui al iu ion または instrui iun pri io という形を取らなければなりません。doni を使うのはここではよくありません。doni は Zamenhof donis al la vorto "..."(ザメンホフはその語に"..."という意味を与えた)のように使われる語です。

訳例
Mi instruis al Petro la signifon de la japana idiomaj^o "hone wo oru(rompi al si la oston)".