課題文n-ro571 アキオはちょっと考えてから,うなずきました。

解説
ちょっと考えてから: 「ちょっと」という短い時間は,momento, minuto, iom da tempo などで表しますが,ここでは「ちょっとの間」という意味ですから,時間の長さを示す前置詞 dum, por を付けるか,または対格にしなければなりません。dum, por の使い分けは前回の解説で述べたように,動詞が線動詞であるか点動詞であるかによって決まります。
ザメンホフが訳した Marta という小説の中に次の用例があります。(pensiは線動詞,enpensig^iは点動詞)

Dum momento s^i denove pensis.(ちょっとの間,彼女はふたたび考えました)
s^i por kelke da minutoj enpensig^is.(彼女はしばらく考え込みました)

post は前置詞ですから,*Post Akio pensis* や *post iomete pensi* のようにいうことはできません。
*Akio kapjesis, post iom da konsiderado* や *Post ioma pensado, Akio jesis* のコンマは不要です。
*Akio iom pensinte kapjesis は Akio, iom pensinte, kapjesis のように,コンマで区切りましょう。

訳例
Akio pensis dum momento kaj kapjesis.
Akio kapjesis post minuta meditado.


課題文n-ro572 Karloがきょう3時ごろあなたのところへ行きますから,相談にのってやってください。

解説
きょう3時ごろ: c^irkau^ la tria horo hodiau^ のようにいいます。horo は省略されることがあります。je c^irkau^ la tria のように je を付けるのはよくありません,英語でも at about three o'clock のようにいう人があって,この表現は冗語法だと非難されながらも半ば慣用化していますが,エスペラントで je c^irkau^ というのは,ミスと感じる人が多いでしょう。hodiau^ が欠けている訳がありましたが,ここでは重要な情報ですから忘れずに付けましょう。

Karloがあなたのところへ行きますから: Karlo venos al vi というのがよいでしょう。venos al vi の代わりに vizitos vin も使えますが,iros al vi は誤りです。相手のところへ「行く」のは iri ではなく,veni を使っていいます。「から」は訳さずに,訳例にあるようにピリオドで区切って,ふたつの文にするのがよいでしょう。ふたつの文を c^ar でつなぐのはよくありません。c^ar は pro tio, ke という意味で,ふたつの文の因果関係(原因や理由)を示しますが,C^ar Karlo venos al vi ... はそのような関係を示す副詞節ではありません。

相談にのってやってください: Bonvolu doni al li konsilon などのようにいうことができます。doni al li konsilon は konsili al li ということもできますが,前者が完結した文として感じられるのに対して,後者は konsili が kosili al iu ion, konsili ai iu -i, konsili al iu, ke li/s^i -u の形で使われるのが普通なので,konsili al Karlo だけではやや不安定な文の感じを伴います。

訳例
Karlo venos al vi c^irkau^ la tria hodiau^. Bonvolu doni al li konsilon.


課題文n-ro573 ご意見を伺いたいことがありますので,今晩おじゃましてもよろしいでしょうか。

解説
今晩おじゃましてもよろしいでしょうか: C^u mi povus veni al vi hodiau^ vespere? などのようにいうことができます。日本語で「おじゃまする」というのは「訪問する」という意味の婉曲表現ですから,「邪魔をする」を直訳するのは誤りです。veni al vi は viziti vin とすることができますし,hodiau^ vespere は c^i-vespere としても同じです。nokte を使うのはよくありません。日本語の「晩」は,エスペラントの nokto と vespero に対応しますから,文脈によって使い分けることが必要です。エスペラントでは,就寝するまでは vespero というので,人を訪問する時間を nokte とはいわないのが普通です。hodiau^a vespere は誤りです。形容詞の hodiau^a は副詞の vespere 修飾することができないからです。

ご意見を伺いたいことがありますので: Mi volus konsulti vin pri io(あることについて,あなたに相談したい」という形にすると,分かりやすい表現になります。「相談したい」は au^di(au^skulti) vian opinion(あなたの意見を聞きたい)のようにいうこともできます。Mi volas demandi vian opinion のようにいうことはできません。demandi は demandi iun pri io あるいは demandi iun c^u(kiel, kion, ...)のように使われるので,Mi volus demandi vin, kion vi opinias pri ...などのようにいうのがよいでしょう。kion vi opinias は kiel vi opinias ということもあります。「どう思いますか(考えますか)」というときの「どう」は英語では What(Kion),フランス語ではQue(Kion), ロシア語では Kak(Kiel) というように言語によって違いますが,エスペラントでは Kion vi pensas(opinias)? と Kiel vi pensas(opinias)? の両方が使われています。西ヨーロッパでは Kion が使われていますが,日本などでは Kiel が使われることが多いようです。ザメンホフには Kiel vi pensas? という用例があります。

訳例
C^u mi povus veni al vi hodiau^ vespere? Mi volus konsulti vin pri io.


課題文n-ro574 今晩7時ごろお邪魔したいと思っているのですが。

解説
今晩7時ごろ: c^irkau^ la sepa hodiau^ vespere のようにいいます。hodiau^ vespere は c^i-vespere ということもできます。c^irkau^ の前にje を付けるのは,n-ro572の解説の中で書いたように,よくありません。je la sepa は c^irkau^ la sepa と同じではありませんが,ここでは減点の対象にはしませんでした。

お邪魔したいと思っているのですが: mi volus veni al vi というのが原文に近い表現です。volus を使っていう表現はたいへん丁寧な言い方です。voli ... は「...したいと思う」という意味ですから,日本語の「したいと思っている」を逐語訳して pensas, ke mi volas ... というのは誤りです。Kiel vi pensas ke mi volus ... のようにもいいません。「と思っているのですが」の「が」を直訳して,文末に sed を付けるのはよくありません。volus ... は「...したいのですが(よろしいでしょうか)」という表現です。C^u bone? もここではよくありません。この表現は丁寧な言い方ではないので,親しい友だちに話しているときには使えますが,volus を使っていうような丁寧な表現とはなじみません。C^u? は C^u jes?(そうですか) と同じ意味に使うのが普通ですから,ここでは不適当です。

訳例
Mi volus veni al vi c^irkau^ la sepa hodiau^ vespere.


課題文n-ro575 あすは何時までにお宅へ行けばよいのですか。

解説
あすは何時までに: G^is kioma horo morgau^ ...? のようにいいます。morgau^ は文末に置くこともできますが,文頭に置くのは避けましょう。疑問文では c^u や ki-vortoj(kia, kiam, kio, kie など)を文頭に置くのが普通です。ただし,この課題文のように疑問詞に前置詞が付く場合には,前置詞+疑問詞で始まる文になります。英語のように前置詞が文末に移動することはありません。例えば英語で「誰のところに泊まりましたか」というのを口語では,Who did you stay with? というのが普通ですが,エスペラントでは C^e kiu vi gastig^is? のように kiu の前に前置詞を付けていわなければなりません。g^is kiam(いつまでに) は g^is kioma horo(何時までに) よりも漠然とした表現ですから,ここでは g^is kioma horo を使うのがよいでしょう。g^is を付けない kiam(いつ) は,さらに漠然とした表現になります。

お宅へ行けばよいのですか: 「(何時までに)お宅へ行けばよいのですか」は「(何時までに)あなたのところへ行かなければならないのですか」という意味ですから,mi devas veni al vi というのがよいでしょう。相手のとこへ行くのはあすですが,「行かなければならない」という義務は,この話をしている時点ですでにあるので,devos ではなく devas といいます。mi venu としても近い意味を表すことができます。devus veni というと,「行かなくてはならないのだが,行けないと思う」というような意味を表すので,ここでは不適当です。相手のところへ行くのは iri ではなく,veni を使っていいます。G^is kioma horo に続けて mi povus veni al vi を使うと,「何時(なんじ)まではお宅へ行ってもよいのですか」という,課題文とはまったく違う意味を表す表現になります。

訳例
G~is kioma horo mi devas veni al vi morgau^?


課題文n-ro576 この仕事は,何時(なんじ)までに仕上げればよいのですか。

解説
この仕事は: ここでは「仕上げる」の目的語になっているので,c^i tiun laboron(または taskon)のように対格にしなければなりません。

何時(なんじ)までに: G^is kioma horo といいます。g^is の代わりに antau^ を使うと意味が少し変わります。例えば,antau^ la kvina といえば,漠然と「5時前に」を意味しますが,g^is la kvina というと「5時ぎりぎりまでかかる」ことを暗示します。

仕上げればよい: mi devas fini といえばよいでしょう。fini の代わりに finfari, elfari を使っていうこともできますが,finig^i は自動詞ですから *finig^i c^i tiun laboron* のようにいうことはできません。

訳例
G~is kioma horo mi devas fini c^i tiun laboron?


課題文n-ro577 場合によっては,わたしもあなたのところへ行かなければなりません。

解説
場合によっては: eventuale またば lau^okaze を使っていうのがよいでしょう。eventuale は depende de necertaj cirkonstancoj(事情が変わるようなことがあれば), lau^okaze は en okazo de bezono(必要な場合には)という意味です。いずれも文中に置けますが,この文の場合には文頭に置くのがよいでしょう。ただし,Lau^okaze, のようにコンマで区切るのはよくありません。日本語では「場合によっては」をコンマまたは読点で区切っても不自然ではありませんが,エスペラントでは Lau^okaze, や Eventuale, のようにコンマを付けると,たいへん不自然な文になります。日本語の読点の用法とエスペラントのコンマの用法を,混同しないようにしましょう。分かりやすい例をひとつだけ挙げると,例えば「走っているあの男の子は,わたしの息子です」という文は,不自然な書き方ではありませんが,この文を日本語の区切り方に従って,*Tiu kuranta knabo, estas mia filo* と書けば,これはもう悪文の見本になって,テストなら減点の対象になることはお分かりになりますね。

わたしもあなたのところへ行かねばなりません: ankau^ mi devos veni al vi といいます。mi devas とした訳が応募の半数近くありましたが,ここでは devos といわなければなりません。mi devas veni al vi は mi havas la devon veni al vi という意味ですが,課題文がいっていることは,発話の時点では「あなたのところへ行かねばならないかどうか分からない」,つまり mi nun ne havas la devon veni al vi という状態であることをいっているのですから,devos を使っていわなければなりません。devus を使うのはよくありません。ankau^ mi devus veni al vi は,「わたしもあなたのところへ行かねばならないのですが」という意味で,暗に「わたしは行くつもりはありません」ということを言外で表している表現になります。なお,「相手のところへ行く」のは *iri al vi* ではなく,veni al vi といいます。

訳例
Lau^okaze ankau^ mi devos veni al vi.


課題文n-ro578 きのうは,わたしもKarloといっしょに,あなたのところへ行くべきでした。

解説
きのうは,わたしもあなたのところへ行くべきでした: Hierau^ ankau^ mi devus veni al vi のようにいうことができます。「...すべきでした(が,しませんでした)」というには,estus devinta ... という形がありますが,この表現は重い感じがするので,過去のできごとであることが文脈で明らかなときは,devus で代用することができます。この課題文の場合は hierau^ という副詞が入っているので,過去のことであることは明らかです。ただし,母語の影響で estus -inta のような表現を重いと感じない人もいるので,estus devinta の形も時どき見かけます。ここでは devis を使うのは誤りです。devis veni al vi は「あなたのところへ行かなければならなかった(ので,行きました)」という意味になります。同じことは povi についてもいえます。

参考:
Hierau^ mi povis iri vidi Petron.(きのう,わたしは Petroに会いに行くことができました)
Hierau^ mi povus iri vidi Petron.(きのう,わたしは Petroに会いに行くことができたのですが,行きませんでした)

Karloといっしょに: kun Karlo または kune kun Karlo といいます。kune kun は kun の強調形です。

訳例
Hierau^ ankau^ mi estus devinta veni al vi kun Karlo.
Hierau^ ankau^ mi devus veni al vi kun Karlo.


課題文n-ro579 わたしはもっと早く,あなたに働きすぎないよう忠告すべきでした。

解説
もっと早く: pli frue といいます。置く位置は訳例のように置くことができますし,文頭に置いてもよいでしょう。pli rapide は誤りです。rapide は rapide kuri(速く走る)などのように「動作が速い」や rapide kreski(速く成長する)などのように「状態の変化が速い」ことをいいます。課題文の「もっと早く」の「早く」は「早い時期に」という意味ですから,frue を使っていいます。

あなたに働きすぎないよう忠告すべきでした: 「働きすぎないよう忠告する」という表現には,いろいろな言いかたがありますが,「〜しないよう忠告する」は訳例に挙げたように,deadmoni や malkonsili を使っていうと簡潔な表現になります。

訳例
Mi devus pli frue deadmoni vin trolabori.
Mi devus pli frue malkonsili al vi trolabori.
Mi estus devinta admoni vin pli frue, ke vi ne trolaboru.


課題文n-ro580 あの景色を君に見せたかったよ。

解説
あの景色を: la pejzag^on または tiun pejzag^on といいます。この文は話し手が見た景色について話している中での表現であることは明らかで,聞き手にはどこの景色をさしているのかは分かっているはずですから tiun または冠詞を付けていいます。「景色」に aspekto や sceno を使うのはよくありません。

君に見せたかったよ: さまざまな訳文が寄せられましたが,訳例に挙げたような表現が一般的といえるでしょう。訳例中の povus は estus povinta の代用,devus は estus devinta の代用です。-us は時の概念をふくまないので,過去のことであることを明示するには,estus -inta の形を取らなければなりませんが,ここでは状況から過去のことであることが明らかなので,-us で代用することが可能なのです。「〜したかった」という日本語を voli を使っていう場合,volis と estus volinta を使い分ける必要があります。volis は「〜したかったので,した」ということを表しますが,estus volinta は「〜したかったが,できなかった」ということを表します。

比較:
★ Sed la Eternulo volis tiel lin turmenti.(主は彼を悩まされた。イザヤ書,53:10,訳は日本聖書協会による)
volis turmenti は「悩まそうと思って実際に悩ました」ことを表します。
★ Volus kato fis^ojn, sed la akvon g^i timas.(ことわざ:ネコは魚を取りたいが,水がこわいので取れない。日本語の「フグは食いたし,命は惜しし」と同義)

vidigi, montri を使っていうのは,ここではよくありません。これらの語は「相手が見えるように提示する」という意味ですから,*vidigi la pejzag^on*,*montri la pejzag^on* という表現は不自然です。日本語の「あの景色を君に見せたかった」というのは「君にあの景色をみてほしかった」「君があの景色を見ることができたらよかったのに」,あるいは「君はあの景色を見るべきだった」というような意味です。

訳例
Ho, se vi povus vidi tiun pejzag^on!
Vi devus vidi la pejzag^on.


課題文n-ro581 マサオの代わりに君が Petro のところへ行けばよかったのに。