課題文n-ro581 マサオの代わりに君が Petro のところへ行けばよかったのに。

解説
マサオの代わりに: anstatau^ Masao といいます。置く位置は文頭でも文中でも文末でもよいのですが,ここでは文頭に置くほうが分かりよいでしょう。文末に置くと al Petro anstatau^ Masao となって,「マサオのところへではなく Petro のところへ」という意味に取られる恐れがあると思われた方がおられましたが,この場合その心配はありません。というのは,マサオが Petro のところへ行ったという事実があって,聞き手はそのことを知っている,あるいは知らされた状況での話であるからです。anstatau^ は anstatau^i という動詞形で使うこともできますが,*anstatau^us Masaon veni al Petro* という用法はありません。

君が Petro のところへ行けばよかったのに: vi estus devinta iri al Petro または vi devus iri al Petro または estus bone, se vi irus(=estus irinta) al Petro のようにいうことができます。bone の代わりに sag^e を使うのはよくありません。「行く」に veni を使うのは,ここではよくありません。veni は話し手が「聞き手のいるところ」や「聞き手が行くところ」へ行くときに使う語です。

参考:
Mi venos ien ajn, kien vi iros.(わたしはあなたが行くところならどこへでも行きます)

訳例
Anstatau^ Masao vi devus iri al Petro.


課題文n-ro582 あなたは Karloの提案を受け入れたほうがよかったのに。

解説
あなたは...したほうがよかったのに: Estus pli bone, se vi ... というのが原文にいちばん近い表現です。Estus pli bone, se vi ... が「あなたは...したほうがよかったのに」という意味であるのに対して,Estus bone, se vi ... は「あなたは...したらよかったのに」という意味ですから,「...したほうが」という比較の存在が明示されていませんが,このふたつの表現の差は大きなものではありません。。また,このような複文でいう代わりに,Vi estus devinta -i または, その代替表現である Vi devus -i のような簡潔な単文で表すこともできます。ただし,これらの表現がすべて同じ丁寧さを表すのではなく,Vi estus devinta -i や Vi devus -i という言い方よりも,Estus pli bone, se vi ... あるいは Estus bone, se vi ... というほうが丁寧な表現になります。

Karloの提案を受け入れた: Estus pli bone, se vi で始まる文の場合には,estus akceptinta または, その代替表現である akceptus を使っていいます。Vi で始まる文では estus devinta akcepti la proponon de Karlo または devus akcepti la proponon de Karlo となります。どちらの場合も proponon には冠詞が必要です。聞き手が知っている提案について言っているのだからです。「受け入れる」に ricevi を使うのは誤りです。

訳例
Estus pli bone, se vi akceptus la proponon de Karlo.
Vi estus devinta akcepti la proponon de Karlo.


課題文n-ro583 ここにいるよりあの丘に登ったほうがよいでしょう。

解説
ここにいるより: この文では,丘に登るのも,ここにいる(居続ける)のも行為者が同じなので,不定形の動詞(-i)を使って,ol resti c^i tie ということができます。ol esti c^i tie ということもできますが,ol estos c^i tie は誤りです。

あの丘に登ったほうがよいでしょう: 「あの丘に登る」は supreniri sur tiun monteton といます。ascendi を使うのは誤りではありませんが,supreniri のほうが誰にでも分かる語なのでお勧めです。grimpi を使うのはよくありません。grimpi は「手足を使ってよじ登る」という意味なので,「(避難のために)丘に登る」とか「富士山に登る」などというときに使うのは適切ではありません。「〜したほうがよいでしょう」は, ここでは Estas や Estus ではなく Estos を使って Estos pli bone といいます。「あの丘に登ったほうがよい」というのは,「あの丘に登る」という,未来の行為について述べているのだからです。Estus でなく Estos 使うのは,事実と反対のことや事実と反対の仮定に基づく推論を述べているのではないからです。*supreniri al tiu monteto* や *supreniri sur tiu monteto* は誤りです。supreniri をおぼえるときに supreniri sur monton(山に登る) のような形でおぼえるのがよいでしょう。Estos pli bone, supreniri sur ... のように,コンマで区切るのはよくありません。

訳例
Estos pli bone supreniri sur tiun monteton ol resti c^i tie.


課題文n-ro584 あなたはまだすっかりよくなったわけではないのだから,入院していたほうがよかったのに。

解説
あなたはまだすっかりよくなったわけではないのだから: c^ar vi ankorau^ ne tute resanig^is または c^ar vi estas ankorau^ ne tute sana などのようにいうのがよいでしょう。「(病気が治って)健康になる」というときは, sanig^i ではなく resanig^i を使っていいます。resanig^i は点動詞なので,反復する行為を表すのでないときは,-as の形で使うことはできません。「すっかり〜ではない」は ne tute または ne komplete を使っていうのがよいでしょう。「すっかりよくなったわけではない」を tute ne resanig^is とするのはよくありません。tute ne は「全否定」で,ne tute は「部分否定」です。
 
比較:
Lia klarigo estas tute ne komprenebla.(彼の説明はさっぱり分からない)
Lia klarigo estas ne tute komprenebla.(彼の説明は完全には分からない。分かるところもあるが,分からないところもある)

入院していたほうがよかったのに: estus pli bone por vi resti en la hospitalo または estus pli bone, se vi restus en la hospitalo あるいは vi devus resti en la hospitalo のようにいうことができます。hospitalo に冠詞を付けるのは,「(あなたが)入院していた病院」を指しているのだからです。estus pli bone resti en la hospitalo は resti の前にこの動詞の意味上の主語を表す por vi を入れます。前回の課題文のように,意味上の主語が ni である場合には省略することができますが,この課題文では por vi を入れることが必要です。意味上の主語を表すには por を使うので,al vi はよくありません。hospitalig^i を使うのは,ここでは誤りです。hospitalig^i は「入院している」という状態を表すのではなく,「入院する」という行為を表す語です。

訳例
Estus pli bone por vi resti en la hospitalo, c^ar vi ankorau^ ne tute resanig^is.


課題文n-ro585 あなたは富士山の麓(ふもと)に住んでみたいと思いませんか。

解説
あなたは...と思いませんか: C^u vi ne deziras ...のようにいえばよいでしょう。deziras は volas とすることもできます。deziri は「心の中に描いていることを実現しようと切に望む」という気持ちを表し,voli は「何かを実現させようと努力する」という意思を表します。deziri が「気持ち」に力点を置いており,voli は「意思」に力点を置いているという違いがあるというふうにいうこともできるでしょう。 voli は「...したいと思う」という意味ですから,C^u vi pensas ke vi volas のようにいうことはありません。deziri や voli の代わりに intenci を使っていうことはできますが,opinii は不適当です。

富士山の麓(ふもと)に住んでみたい: log^i c^e la piedo de la monto Huzi(Fuji)のようにいうことができます。「麓」に montopiedo を使うのは,ここではよくありません。日本語では「富士山の麓」という表現は普通の表現ですが,エスペラントで la montopiedo de la monto Huzi というと,日本語の「馬から落馬」という表現で感じる違和感を伴います。「富士」は訓令式のローマ字で書くと Huzi ですが,国際的には Fuji という表記で知られているので,訳例のように書くことをお勧めします。これは訓令式でなく,Huj^i のようなエスペラントの表記にした場合もおなじです。「麓に」の「に」には sur でなく c^e を使いましょう。

訳例
C^u vi ne deziras log^i c^e la piedo de la monto Huzi(Fuji)?


課題文n-ro586 新潟市は信濃川(しなのがわ)の河口にあります。

解説
新潟市は: 「新潟市」は la urbo Niigata と書くことをお勧めします。ここでは文頭に置くので La urbo Niigata となります。Urbo Niigata や Niigata-urbo も誤りではありませんが,la urbo Niigata のほうが eleganta と感じる人が多いでしょう 

信濃川の河口にあります: situas c^e la bus^o de la rivero Sinano のようにいうのがよいでしょう。Sinano は S^inano と書く人もいますし,「信濃川」を固有名詞と取って Sinanogawa とかいてもよいのですが,この場合でも外国人に川の名前であることを分かってもらうために,la rivero Sinanogawa とするのがよいでしょう。このような pleonasmo(冗語法)は認められています。situas の代わりに estas, trovig^as, kus^as も使えますが,lokas は誤りです。loki は「(〜を)置く」という意味の他動詞ですから,この語を使うのなら estas lokita(位置する)といわなければなりません。「河口」は la bus^o だけで十分です。川についていうときには la riverbus^o とはいわないと覚えておくのがよいでしょう。信濃川の河口はひとつですから,bus^o には冠詞を付けます。「河口」を表す語には estuaro もありますが,これは専門用語なので日常生活では bus^o を使うのが普通です。「信濃川」を S^inano rivero というのはよくありません。エスペラントでは,名詞を並べて前にある語がすぐ後にある語を修飾するということができません。「河口に」の「に」には c^e を使います。apud はよくありません。c^e la bus^o は河口に接していることを表しますが,apud la bus^o は河口に近いが接していないことを表します。frontas もここではよくありません。fronti は「面している」という意味ですから,La urbo frontas al la maro(その都市は海に面している)というように使われる語です。

訳例
La urbo Niigata situas c^e la bus^o de la rivero Sinano.


課題文n-ro587 Natas^a は右足のつま先で立つことができます。

解説
Natas^a は立つことができます: Natas^a povas stari といいます。starig^i を使うのはよくありません。starig^i は「立ち上がる」という意味です。日本語の「立つ」には「足で体をまっすぐに支えた状態を保つ」という意味と「座っていたり横になっていたりした状態から足で体をまっすぐに支える状態に移る」という意味がありますが,ここでは前者の意味で使われていることは明らかですから stari を使っていわなければなりません。

右足のつま先で: sur la pinto de la dekstra piedo または sur la dekstra piedpinto というのがよいでしょう。la dekstra piedo と la dekstra piedpinto の la は sia としてもここでは同じです。la も sia も付いていないのはよくありません。la piedpinto de la dekstra piedo のようにはいわないで,la pinto de la dekstra piedo というのが普通です。「つま先で」の「で」には kun や per でなく,sur を使います。
 
訳例
Natas^a povas stari sur la pinto de la dekstra piedo


課題文n-ro588 発言するときは立ってくださるようお願いします。

解説
発言するときは: kiam vi parolos, c^e via ekparolo などのようにいえばよいでしょう。c^e via ekparolo は「発言に際しては」というような意味です。antau^ ol ekparoli という表現も可能です。kiam vi parolas とするのはよくありません。この課題文は,椅子に座っている人たちに向かって発言するときの注意を述べているのですから,発言は未来の行為です。parolos の代わりに eldiros を使うのは誤りです。paroli は自動詞ですが,eldiri は他動詞ですから目的語(vian opinion など)が必要です。

立ってくださるようお願いします: Bonvolu starig^i というのがよいでしょう。丁寧さの度合いは落ちますが,Mi petas vin starig^i のようにいうこともできます。Bonvolu stari は「立っていてください」という意味ですから,起立をうながす注意としては不適当です。

訳例
Bonvolu starig^i, kiam vi parolos.


課題文n-ro589 わたしがその部屋に入ったとき,アキオはひとりで窓際に立っていました。

解説
わたしがその部屋に入ったとき: kiam mi eniris en la c^ambron というのがよいでしょう。envenis(入ってきた)は部屋の中にいた人がいう言葉ですから,ここでは不適当です。

アキオはひとりで窓際に立っていました:Akio staris sola apud la fenestro といいます。apud は c^e とすることもできます。厳密にいえば,apud la fenestro よりも c^e la fenestro のほうが窓に近い位置を示しますが,実用上はほとんど同義に使われています。Akio sola staris という語順にすると,「アキオだけが立っていた(ほかの人は座っていた)」という意味になります。

比較:
Akio sola scias tion.(アキオだけがそのことを知っています)
Akio iris sola tien.(アキオはひとりでそこへ行きました)

エスペラントは語順がかなり自由な言葉ですが,上に挙げた文のように語順によって意味が変わることがあります。
「ひとりで」に sole を使うのは誤りとはいえませんが,sole には「...だけ」という意味があるので,「ひとりで」という意味を表すには sola を使うのが普通です。
fenestro には冠詞を付けます。これは,わたしが入った部屋の窓であることを示すためで,無冠詞にすると「どこかの部屋の窓」を指すことになってしまいます。

訳例
Kiam mi eniris en la c^ambron, Akio staris sola apud la fenestro.


課題文n-ro590 わたしはその部屋に入ったとき,天井がたいへん高いことに気づきました。

解説
わたしはその部屋に入ったとき: Kiam mi eniris en la c^ambron または Enirinte en la c^ambron といいます。

天井がたいへん高いことに気づきました: mi rimarkis, ke la plafono estas tre alta または mi trovis la plafonon tre alta といいます。plafono に冠詞を付けるのは,その部屋の天井を指しているからです。trovi は trovi ke ...(...であると気づく)という形のほかに,trovi ion ia(...が...であることに気づく)という形で使うこともできますが,rimarki は *rimarki ion ia* という形で使うことはできないので,課題文のような文は rimarki, ke ... という形で表します。la plafono estis tre alta とするのは誤りです。英語では「時制の一致」といって,このような文では主節に合わせて過去形を使いますが,エスペラントでは keで導かれる名詞節では時制の一致は起こりません。

訳例(敬
Kiam mi eniris en la c^ambron, mi trovis la plafonon tre alta
Enirinte en la c^ambron, mi rimarkis, ke la plafono estas tre alta.