課題文n-ro611 "leveti la c^apelon al iu" という表現はどういう意味ですか。

解説
"leveti la c^apelon al iu" という表現: la esprimo "leveti la c^apelon al iu" といいます。la esprimo de "leveti ..." や esprimo kiel "leveti ..." はよくありません。

どういう意味ですか: Kion signifas ...? または Kian signifon havas ...? のようにいえばよいでしょう。
「意味」はここでは senco を使っていうこともできますが,signifo と senco がいつでも交換可能なわけではありません。senco は単語や文が表す意味ですが,signifo は単語や文だけでなく,記号や身振りなどについても使うことができます。ですから,leveti la c^apelon という表現の意味を尋ねるときには Kian signifon ...? だけでなく,Kian sencon ...? ということもできますが,帽子をすこし持ち上げて会釈するという動作を指して,その動作の意味を尋ねるときには, Kian sencon ...? ではなく Kian signifon ...? といわなければなりません。

訳例
Kion signifas la esprimo "leveti la c^apelon al iu"?


課題文n-ro612 わたしはあの標識が何を意味しているのか知りません。

解説
わたしは知りません: mi ne scias または mi ne komprenas といえばよいでしょう。 mi ne sciig^as を使うのは誤りです。scii は「知っている」という意味の線動詞ですが,sciig^i は「(知らなかったことを)知るようになる」という意味の点動詞です。kompreni は「理解している,分かっている」という意味の線動詞としての働きだけでなく,「理解に達した」という意味の点動詞としての働きもあります。ほとんどの場合, -as形の kompreni は線動詞,-is形の kompreni は点動詞として機能します。

参考:
Mi ne komprenas, kion vi diras.(わたしはあなたが言っていることが分かりません) (この kompreni は線動詞)
Mi komprenis ne c^ion, kion vi diris.(わたしはあなたが言ったことが部分的には分かりましたが,全部は分かりませんでした。) (この kompreni は点動詞)

あの標識が何を意味しているのか: kion signifas tiu signo または kio estas la signifo de tiu signo, あるいは kian signifon havas tiu signo などのようにいえばよいでしょう。 何かを指していうときは tiu または la を付けていいます。tiu は指で指し示しながら,という感じが強いですが,必ずしも指で指す場合だけでなく,顔を動かして指す場合もあるでしょう。「標識」には signo のほかに indikilo, signalo, distingilo なども使えます。
「意味」に senco を使うのは,ここでは誤りです。senco は「語や文の意味」を表す語ですから,標識や記号,身ぶりなどの「意味」は signifo を使っていいます。

訳例
Mi ne scias, kion signifas tiu signo.


課題文n-ro613 この表意文字(ideografiaj^o)の意味は「きずな」です。

解説
この表意文字の意味: la signifo de c^i tiu ideografiaj^o といいますが,「この表意文字は...を意味します」という構文にすれば, c^i tiu ideografiaj^o signifas ... となります。la senco de c^i tiu ideografiaj^o ... という訳が応募訳の三分の一近くを占めましたが,これは誤りです。前回の解説で述べたように,senco は「語や文の意味」を表す語ですから,表意文字の「意味」は signifo を使っていわなければなりません。「意味」に signo を使うのは誤りです。signo は「記号」を指す語です。

「きずな」です: estas "ligilo" といえばよいのですが,c^i tiu ideografiaj^o signifas という構文では "ligilo"-n を使います。c^i tiu ideografiaj^o signifas "ligilon" とすると,その表意文字の意味が「ligilon(きずなを)」という意味であるかのように誤解される恐れがあるので,-nは" "の外に付けるほうがよいでしょう。この対格語尾は付けなくても意味は通じますが,文字にすると欠落感が生じます。この問題は訳例に挙げたように構文にすれば解決できるので,この課題文ではこの形がお勧めです。
"kizuna"とした訳が数例寄せられましたが,これは文字を指して「どう読むのですか」と尋ねられたときの答えであって,意味を尋ねられたときの答えではありません。

訳例
La signifo de c^i tiu ideografiaj^o estas "ligilo".


課題文n-ro614 これは何の記号か知っていますか。

解説
これは何の記号か: kion signifas c^i tiu signo というのがよいでしょう。語順を kion c^i tiu signo signifas としても同じですが,文末に置かれた語のほうに力点が置かれるのが普通です。kio estas c^i tiu signo や por kio estas uzata c^i tiu signo, por kio estas c^i tiu signo のようにいってもよいでしょう。kia signo や kiu signo を使うのはよくありません。kia signo は「どんな記号」という意味ですから,尋ねられた人は simpla(分かりやすい)とか stranga(奇妙な)とか facile memorebla(簡単に覚えられる)というように -a で終わる語を使って答えるでしょう。 kiu signo は複数の記号を指して,「どの記号ですか」という尋ね方ですから,ここでは不適当です。

知っていますか: C^u vi scias といいます。この文の後に「これは何の記号か」という上の文を付けるのですが,このような疑問文を付ける場合には ke を入れないで直接付けるので,訳例のような文になります。「知っている」に konas を使うのはよくありません。koni は「(人を)知っている,(何かを)体験して知っている」というような意味で,「知識として知っている」ことをいうときは scii を使っていいます。

訳例
C^u vi scias, kion signifas c^i tiu signo?


課題文n-ro615 なぜハトが平和の象徴であるのか知っていますか。

解説
知っていますか: C^u vi scias ...? といいます。

なぜハトが平和の象徴であるのか: kial la kolombo estas la simbolo de la paco または kial la kolombo simbolas la pacon のようにいいます。kolombo は冠詞を付けると「ハトというものは」という改まった感じの表現になります。
この課題文の「平和」のように,何の限定もない抽象名詞には英語の場合には定冠詞も不定冠詞も付けませんが,フランス語などのラテン系の言語では定冠詞を付けるので,エスペラントの「平和」には無冠詞の paco と冠詞付きの la paco の両方が使われています。『エスペラント日本語辞典』では la paco が使われています。
「象徴」には simbolo を使いますが,無冠詞の simbolo を使うと,「平和のシンボルはいくつかあって,ハトはその内のひとつ」であることを示します。冠詞付きの la simbolo は「平和のシンボル」がひとつしかない場合,あるいはいくつもあるが,「まさにこれこそ平和のシンボル」であることを強調して示す場合に使われます。
「平和のシンボルである」ということを表すには,estas (la) simbolo de (la) paco のほかに,simbolas (la) pacon という言い方もあります。

訳例
C^u vi scias, kial la kolombo simbolas la pacon?
C^u vi scias, kial la kolombo estas la simbolo de la paco?


課題文n-ro616 Andreoが駅のどこで待っているのか分かっているのですか。

解説
分かっているのですか: C^u vi scias といいます。komprenas を使うのはよくありません。kompreni は「理解する」という意味ですから,「単語の意味が分かる」,「エスペラントが分かる,「違いが分かる」などというときの「分かる」には kompreni が使えますが,この課題文では使えません。informig^i も使えますが,この動詞は点動詞ですから,-as の形ではなく -is の形で使います。sciig^i(知らされる)も点動詞ですから,-is の形で使います。点動詞が一回きりの行為について -as の形で使われることはありません。

Andreoが駅のどこで待っているのか: 「駅のどこで」というのは kie en la stacidomo というのがよいでしょう。「待っている」は atendas ですが,目的語の nin または vin を付けていうのがよいでしょう。話し手と聞き手がいっしょに,Andreo が待っている駅に向かっているという状況であれば,nin を付けるでしょうし,Andereo が聞き手だけを待っているのなら vin を付けていうでしょう。
「駅」は stacio でなく stacidomo を使いましょう。stacio は「停車地点」を指す語ですから,例えば「次の駅は停車しません」というときの「駅」や,田舎にある無人駅などを指していうときには使えますが,都市にある駅舎を指すときには stacidomo を使っていうのが普通です。英語の station はエスペラントの stacio と stacidomo の両方の意味がありますが,エスペラントでは stacio と stacidomo は区別して使わなければなりません。

訳例
C^u vi scias, kie en la stacidomo Andreo atendas nin?


課題文n-ro617 散歩の途中,駅の前でマサオの父親に会いました。

解説
散歩の途中: dum mia promenado, en mia promenado のようにいうことができます。この mia は la に置き換えることができますが,何も付けない promenado はよくありません。kiam mi promenis や promenante ということもできますし,survoje en mia promenado も使えますが,*survoje de mia promenado* のようにいうことはできません。survoje de, survoje al は survoje de Kioto al Tokio(京都から東京へ行く途中で)や survoje al Tokio(東京へ行く途中で)のように,出発地や目的地の前に置かれる表現で,*survoje de mia promenado* のように使うことはできません。

駅の前で: antau^ la stacidomo といいます。*antau^e la stacidomo* は誤りです。antau^e は副詞ですから名詞の前に置くことはできません。前置詞の antau^ を使っていいます。stacidomo の前には冠詞を付けます。聞き手にはどこの駅を指しているのか分かっているはずだからです。

マサオの父親に会いました: mi renkontis la patron de Masao または mi renkontig^is kun la patro de Masao のようにいうほか,mi vidis la patron de Masao のようにいうこともできます。renkonti は他動詞ですから renkonti iun, renkonti ion のように使われ,renkontig^i は自動詞なので renkontig^i kun iu, renkontig^i kun io のように使われます。renkonti, renkontig^i はどちらも偶然の場合も,そうでない場合も含みますが,いずれも人についていうときは,顔を合わせて会うことを意味します。これに対して vidi はお互いに顔を合わせる場合も合わせない場合も含むという違いがあります。「...でマサオを見かけた」などというときの「見かける」がこの語に当たりますが,その場合は ekvidi(=rimarki per la vido)を使っていうこともできます。renkonti, renkontig^i, vidi は,偶然であることを強調する場合は hazarde などをいっしょに使っていうことができます。ここでは patro に冠詞が必要です。マサオの父親というのは一人に限定されるからです。

訳例
Dum la promenado mi renkontis la patron de Masao antau^ la stacidomo.


課題文n-ro618 あなたが帰宅の途中で会ったのは誰だったか覚えていますか。

解説
覚えていますか: C^u vi memoras ...? のようにいいます。memoris とするのは誤りです。memoris は「過去のある時期には覚えていたが,いまは覚えていない」ということを表わします。

あなたが帰宅の途中で会ったのは誰だった: kiun vi renkontis survoje hejmen または kun kiu vi renkontig^is survoje hejmen のようにいうことができます。survoje hejmen は survoje al via hejmo といっても同じです。via domo を使うのは誤りではありませんが,ここでは domoではなく hejmo を使うほうがよいでしょう。hejmo は aparta domo au^ log^ejo, kie oni vivas konstante; familia restadejo(人が定住している個別の建物,家族が居住している所)という意味です。

dum veni hejmen や dum iri al via hejmo は誤りです。不定形の動詞の前に dum が置かれることはありません。

訳例
C^u vi memoras, kiun vi renkontis survoje hejmen?


課題文n-ro619 ほかに何か言い忘れていることはありませんか。

解説
ほかに何か: ion alian といいます。ion alian dirindan の dirindan は direndan のほうがよいでしょう。-inda は「...する価値のある」というような意味ですから,「言うべき」は direnda を使っていいます。ion ajn は「何か」ではなく「何でも」という意味ですから,ここでは不適当です。io, c^io, nenio, tio を受ける関係詞は kio ですが,これらの語に形容詞が付いている場合には io alia, kiu ... のように kiu を使うと Plena Analiza Gramatiko de Esperanto(PAG)には書かれています。しかし,ザメンホフはこういう場合に kio も kiu も使っているので,Plena Manlibro de Esperanta Gramatiko(PMEG)では,どちらの使用も認めています。ion paroli のようにいうことはできないので,ion por diri としましょう。

言い忘れていませんか: C^u vi ne forgesis といいます。forgesas は誤りです。forgesi は点動詞ですから,一回きりの行為についていうときに -as の形を取ることはできません。繰り返される行為については -as が使われます。

参考:
Mi ofte forgesas s^losi la pordon.(わたしはよくドアの鍵をかけ忘れます。)

訳例
C^u vi ne forgesis diri ion alian?


課題文n-ro620 マサオはわたしとの約束を忘れているようです。

解説
マサオは忘れているようです: s^ajnas al mi, ke Masao forgesis のようにいうことができます。al mi は省略しても,ここでは意味は変わりません。「おそらく」という意味の s^ajne や vers^ajne を使っていうこともできます。S^ajnas al mi, Masao forgesis ... は S^ajnas al mi, ke Masao forgesis ...のように ke を入れましょう。

わたしとの約束を: sian promeson al mi というのがよいでしょう。 sian の代わりに la を使った訳が多く寄せられましたが,ここで la promeson といえば,聞き手が知っている約束を指していっていることになります。ですから,ある人を評して「彼は約束を守る人だ」というときは,Li tenas sian promeson というべきであって,これを Li tenas la promeson というのはよくありません。Li elprenis monerojn el sia pos^o(彼はポケットから小銭を取り出した)という文の sia は la に置き換えることが出来ますが,これは彼が身につけている衣服の部分についていっているからであって,mia, via, sia などがいつでも la に置き換えることができるわけではありません。

訳例
S^ajnas, ke Masao forgesis sian promeson al mi.