課題文n-ro711 わたしはそのことについては何も知りません。
解説
わたしは何も知りません: mi scias nenion というのがよいでしょう。neniun を使うのはよくありません。neniu が人以外の物や事を指すのは,Mi scias neniun el la tri aferoj(わたしはその3件のいずれも知りません)のような場合です。
この課題文では scias の代わりに konas を使うこともできますが,意味は同じではありません。koni は「のこと(存在)を耳にする」という意味ですが,scii は「その内容について情報を得ている」という意味です。

参考:
Karlo konas la lingvon Esperanto, sed li ne scias g^in.(Karlo はエスペラントという言語があることは知っていますが,エスペラントを使うことはできません)

そのことについては: pri tio, pri tiu afero などのようにいえばよいでしょう。『エスペラント日本語辞典』では scii の用法に ion, ke, c^u, -i しか挙げてありませんが,これは Plena Ilustrita Vortaro のように,pri io も挙げておいたほうが学習者には親切でしょう。実際 scii pri はよく見かける表現です。

訳例
Mi scias nenion pri tio.


課題文n-ro712 Markoはエスペラントの教え方を知りません。
解説
Markoは知りません: Marko ne scias といいます。ne konas を使うのはよくありません。ne konas instruadon というと「教えたことがない」という意味になります。

エスペラントの教え方を: kiel instrui Esperanton のようにいうのがよいでしょう。maniero を使って manieron instrui Esperanton のようにいうこともできます。kiel を付けずに ne scias instrui Esperanton というと,「エスペラントの教え方を知りません」というよりも,「エスペラントを教えることができません」に近い意味になります。

訳例
Marko ne scias kiel instrui Esperanton.


課題文n-ro713 いい喫茶店を知っていますが,きょう開いているかどうかは知りません。
解説
いい喫茶店を知っています: mi konas bonan kafejon というのがよいでしょう。この koni は「その喫茶店に入ったことがある,そこでコーヒーなどを飲んだことがある」ということを表わします。scias を使うのはここではよくありません。Mi forgesis la nomon de la kafejo, sed scias, kie g^i estas(その喫茶店の名前は忘れましたが,場所は知っています)というようなときには scias を使います。kafejo に冠詞を付けるのはよくありません。kafejo という語を再度使うときは,例えば C^u vi ofte vizitas la kafejon?(その喫茶店へはよく行くんですか)と尋ねるときは,la kafejo と冠詞を付けます。

が,きょう開いているかどうかは知りません: sed mi ne scias, c^u g^i estas malfermita hodiau^ のようにいいますが,ここでは mi の重複を避けて sed ne scias のようにいうのが普通です。「開いているかどうか」は c^u g^i estas malfermita といいます。この g^i は la kafejo の重複をさけるために使った代名詞です。g^i のところに tiu を使うのは誤りです。
「開いている」に malfermig^as を使うのは誤りです。malfermig^i は「開く」という行為を指す語で,「開いている」という状態を指すには esti malfermita を使っていいます。estas malfermata は「開くという動作の途中である,開きつつある」ということを表わします。malfermig^i は点動詞ですから,-as の形は反復される行為を指すとき,例えば La kafejo malfermig^as je la sepa(その喫茶店は7時に開店します)のようには使われますが,この課題文で使うことはできません。
「かどうか」は au^ ne といいますが,この課題文のような場合には au^ ne を付けないほうが普通です。この「かどうか」を付けるのは日本語の問題です。「きょう開いているかは知りません」よりも「きょう開いているかどうかは知りません」というほうが普通ですね。

訳例
Mi konas bonan kafejon, sed ne scias, c^u g^i estas malfermita hodiau^.


課題文n-ro714 Manjoはまだコーヒーの味を知りません。
解説
Manjoはまだ知りません: Manjo ankorau^ ne konas といいます。
ザメンホフは ne ankorau^ という語順も使っていますが,Plena Ilustrita Vortaro(PIV)に lau^ la nuna normo "ne" estu post "ankorau^"(現在の規範では ne は ankorau^の後に置かれるべきである)と述べられているように,ankorau^ ne という語順にするのがよいでしょう。konas を komprenas とするのは誤りです。kompreni は「意味などを理解する」という意味です。ankorau^ ne spertas もよくありません。sperti を使えないというわけではありませんが,sperti は点動詞ですから,sperti を使うのであれば ankorau^ ne spertis としなければなりません。

コーヒーの味を: la guston de kafo といいます。gusto は de kafo によって限定されているので,冠詞を付けて la gusto de kafo といいます。ただし,「de + 名詞」の前にある名詞には必ず冠詞を付けるというのではないことに注意してください。例えば,C^i tio estas traduko de verko de Zamenhof(これはザメンホフの著作の翻訳です)という文の traduko に冠詞が付いていないのは,聞き手にとって traduko という語が初めて話題になった語であるからです。これを la traduko とすると聞き手が既に知っている話題であることを示します。「先日ザメンホフの著作の翻訳について話しましたね。これがその翻訳です」というような場合です。verko に冠詞が付いていないのも同じ理由によります。ザメンホフの著作はいくつもあるので,そのうちのひとつを指す場合には無冠詞の verko を使います。これを la verko とすると,すでに聞き手との間で話題にのぼったことがある作品であることを示します。「この間お話した例の著作」というような場合に使われる表現になります。 冠詞を付けるのは,その語が「de +名詞」によってひとつの物,ひとりの人などに限定される場合です。la edzino de Zamenhof(ザメンホフの妻)ということはできますが,「ザメンホフの娘(のひとり)」を指すときは無冠詞の filino de Zamenhof といわなければなりません。ザメンホフには娘が二人いたので,その内の一人を指していうときは無冠詞の filino を使います。この filino は unu el la filinoj (de Zamenhof)という意味を表わします。一夫多妻の文化を持つ地域では edzino de s-ro A のような無冠詞の edzino は珍しくありません。
なお,物語などの冒頭に La kastelo staris meze de la dezerto(その城は砂漠の真ん中に立っていました)のように,いきなり冠詞付きの名詞が出てくることがあります。これは「導入の定冠詞」と呼ばれる冠詞で,物語などを書くときの技法のひとつです。文法の問題ではありませんから,普通の文章を書く上では必要な知識ではありません。そういう表現に出会ったら「導入の定冠詞だな」と気づくように記憶の片隅に留めておくだけで十分です。

訳例
Manjo ankorau^ ne konas la guston de kafo.


課題文n-ro715 Karloは3歳と5歳の子の父親です。
解説
Karloは...です: Karlo estas ... といいます。

3歳と5歳の子の父親: patro de trijara kaj kvinjara infanoj でよいのですが,trijara kaj kvinjara infanoj という語順を infanoj trijara kaj kvinjara としたほうが分かりやすく,更に下に挙げた訳例のように infanoj の前に du を補っていうと,いっそう分かりやすい文になります。原文にはない語を補うことで,聞く人,または読む人にとって分かりやすい文になることがあります。
patro に冠詞を付けた訳文が応募の半数以上もありましたが,これは誤りです。前回の解説の中で,「de + 名詞」の前にある名詞には必ず冠詞を付けるというのではないことに注意してください, と述べましたが,今回の問題の場合はこれに当たります。「この子たちの父親」というのであれば,ひとりの父親に特定されるので,la patro de c^i tiuj infanoj のように冠詞を付けていいますが,「3歳と5歳の子の父親」というのは,たくさんいて「特定の父親」を指していないからです。
余談になりますが,わたしの手元にある『プロシード和英辞典』(1991)の見出し語「母」の用例「彼女は2児の母だ」が She is the mother of two children となっています。この the mother は,もちろん a mother の誤りです。高校生用の和英辞書としては,たいへん優れた辞書だと思いますが, the mother of two children は,いかにも日本人らしい誤りとして印象に残っています。
trijara, kvinjara は 3-jara, 5-jara と書くこともできますが,アラビア数字を使うときにはハイフンを入れることに注意してください。

訳例
Karlo estas patro de du infanoj trijara kaj kvinjara.


課題文n-ro716 あの有名な女優は,ふたごの母親です。
解説
あの有名な女優は...です: la fama aktorino estas ... といいます。la は tiu としても,ここではほとんど同じです。ラテン語の「その」を表わす ille の女性形の illa からエスペラントの la が作られたことを考えると,la と tiu の互換性が納得できます。ただし,tiu には「指示形容詞」(その)の働きのほかに,「指示代名詞」(それ,その人)の働きもありますが,la には「指示代名詞」の機能はないので,la と tiu がいつも交換可能な訳ではありません。aktrino が2例ありましたが,aktorino が aktoro の派生語であることを知っていると,このようなミスは起きないでしょう。

ふたごの母親: patrino de g^emeloj といいます。la patrino のように冠詞を付けるのは誤りです。「ふたごの母親」というのは,世の中に何人もいて,特定の人を指していないからです。g^emelo は dunaskito ともいいますが,どちらも「ふたごのひとり」を指す語ですから,ここでは g^emeloj または dunaskitoj のように複数形で使います。patrino de du g^emeloj, g^emela patrio はよくありません。

訳例
La fama aktorino estas patrino de g^emeloj.


課題文n-ro717 わたしはマサオの部屋に入って,窓が小さいことに気づきました。
解説
わたしはマサオの部屋に入って: mi eniris en la c^ambron de Masao kaj または kiam mi eniris en la c^ambron de Masao, あるいは enirinte en la c^ambron de Masao などのようにいえばよいでしょう。enpas^inte(足を踏み入れて)という表現も可能ですし,状況によっては enveninte を使っていうこともできます。enirante は「入りながら」という意味ですから,ここでは不適当です。Eniris en la c^ambron de Masao は Mi eniris en ... のように,主語を入れないと誤りです。くだけた会話では C^u Petro jam venis?(ペトロはもう来てる?)というような問いに対して,Jes, venis.(うん,来てるよ)のように主語抜きでいうことがありますが,この課題文はそのような状況ではないので主語を入れていいましょう。

窓が小さいことに気づきました: mi trovis la fenestron malgranda または mi rimarkis, ke la fenestro estas malgranda のようにいいます。窓が二つ以上あれば fenestro と malgranda には複数を表わす -j を付けます。fenestro には冠詞か g^ia(j) を付けましょう。ここで fenestro(j) に冠詞を付けるのは,状況からどこの窓を指していっているのかが明らかであるからです。何もついていない fenestro(j) を使うと,いま話題にしているマサオの部屋の窓ではなく,どこかの家の窓を指すことになって話の文脈が途切れてしまうことになります。
tuj mi rimarkis は語順を変えて mi tuj rimarkis としましょう。mi trovis la fenestron malgrandan の malgrandan は -n を取って malgranda とします。

訳例
Enirinte en la c^ambron de Masao, mi rimarkis, ke la fenestroj estas malgrandaj.
Mi eniris en la c^ambron de Masao kaj trovis la fenestron malgranda.
Kiam mi eniris en la c^ambron de Masao, mi rimarkis, ke la fenestro estas malgranda.


課題文n-ro718 バス停へ行く道を教えてくださいませんか。
解説
バス停へ行く道を: la vojon al la busheltejo のようにいえばよいでしょう。「バス停」は la au^tobusa haltejo ということもできます。冠詞を付けるのは「最寄のバス停」を尋ねているのだからです。無冠詞にすると,全国に無数にあるバス停のどれでもよいというような意味になるので,実際にはありえない質問になってしまいます。「バス停へ行く道」は一つとは限りませんが,vojo に冠詞を付けるのは「いちばん近い,あるいはいちばん分かりやすい」などの意味をあらわすためです。
al la bushaltejo の al を en とするのは誤りです。「へ行く道を」を la vojon iri al ということはできません。

教えてくださいませんか: C^u vi bonvolus montri al mi のようにいうのがよいでしょう。Montru al mi は丁寧さを欠く表現なので,上に挙げたようにいいましょう。diri al mi la vojon のようにいうことはできません。

訳例
C^u vi bonvolus montri al mi la vojon al la bushaltejo?


課題文n-ro719 この近くにバス停はありますか。
解説
この近くに: proksime de c^i tie というのがよいでしょう。proksime だけでは「この近くに」という意味を表わすことができません。日本語では「この近くに」と同じ意味で「近くに」という表現を使うことがありますが,エスペラントでは proksime では何の近くを指しているのか分からないので,尋ねられた人は戸惑ってしまうでしょう。najbare についても同じことがいえるので,najbare だけではなく najbare de c^i tie といいましょう。

バス停はありますか: estas bushaltejo または trovig^as bushaltejo といいます。bushaltejo に冠詞を付けるのは,ここではよくありません。この「バス停」は特定のバス停を指しているのではないからです。
「ある,存在する」を表わす語は,いくつもあります。詳しくは『作文のためのエスペラント類義語集』(日本エスペラント協会,2013)をご参照ください。

訳例
C^u estas bushaltejo proksime de c^i tie?


課題文n-ro720 お宅の近くにバス停はありませんか。
解説
お宅の近くに: proksime de via domo のようにいえばよいでしょう。domo は hejmo に,proksime は najbare にしていうこともできます。

バス停はありませんか: C^u bushaltejo ne trovig^as といえばよいのですが,語順は C^u ne trovig^as bushaltejo のようになることがよくあります。trovig^as は estas としても同じです。ne を入れない訳が12例ありましたが,ここでは原文と同じように否定の疑問文にしましょう。疑問文には肯定疑問文と否定疑問文がありますが,どちらを使っても同じという訳ではありません。人に何かを頼むとき,日本語では「わたしの仕事を手伝っていただけませんか」(否定疑問文)というほうが,「わたしの仕事を手伝っていただけますか」(肯定疑問文)というよりも丁寧な依頼になりますが,エスペラントでは C^u vi bonvolus helpi al mi en mia laboro?(肯定疑問文)というほうが,C^u vi ne bonvolus helpi al mi en mia laboro?(否定疑問文)といよりも丁寧な表現になります。否定疑問文は肯定の返事を期待するというニュアンスがあるので,C^u vi ne bonvolus ... というと「手伝ってくださるでしょ」という厚かましさを感じさせる表現になります。課題文の場合は依頼ではありませんが,それでも「ありますか」,「ありませんか」という違いがあるので,原文の形を尊重するほうがよいでしょう。

訳例
C^u ne trovig^as bushaltejo proksime de via domo?