課題文n-ro721 「あそこに塔が見えますね」と,マサオは塔を指しながらわたしにいいました。
解説
あそこに塔が見えますね: Vi vidas la turon tie, c^u ne? または C^u vi vidas tie la turon? などのようにいえばよいでしょう。turo には冠詞を付けます。聞き手にはその塔が見えているからです。この場合の冠詞の用法については後で説明します。

マサオは塔を指しながらわたしにいいました: Masao diris al mi, fingromontrante turon といいます。fingromontrante は fingre montrante または montrante per la fingro などのようにいうこともできます。「...しながら」というときは -ante を使っていいますが,このように分詞が接続詞と主語と動詞を兼ねた働きをして副詞句を作る文を分詞構文といいますが,副詞句(ここでは fingromontrante turon)をコンマで区切ることを忘れないように注意しましょう。応募訳の中に Masao diris al mi montrante turon per sia fingro というのがありましたが,この文は Masao diris al mi, montrante turon per sia fingro のようにコンマで区切らなければなりません。 turon に冠詞がついていないのは,読者にはその塔が見えていないからです。この課題文はザメンホフが訳した「アンデルセン童話」に入っている Fajrilo(火打石)の冒頭の部分にある文を少し変えて出題したのですが,Bertilo Wennergrenが Plena Manlibro de Esperanta Gramatiko の「冠詞」の中で,この文の冠詞の用法について,分かりやすい説明をしているので紹介します。

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“C^u vi vidas tie la grandan arbon?” diris la sorc^istino, montrante arbon, kiu trovig^is apud ili. ("Fajrilo")

Temas ambau^foje pri la sama arbo. Unue parolas la sorc^istino. La persono, al kiu s^i parolas, povas mem vidi la arbon. Tial la sorc^istino uzas la. Poste parolas la verkinto de la fabelo, sed li ne uzas la, c^ar la leganto ne povas vidi la arbon. (2回出てくる arbo は同じ木のことで,最初は魔女の言葉です。魔女が話しかけている相手にはその木が見えています。だから魔女は grandan arbon の前に la を付けたのです。それに続く文は物語を書いた人の文ですから,arbo に la を付けていません。なぜならこの文を読んでいる人にはその木は見えていないからです。)
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中学校で英語を学んだときに,There are two books on the table.(テーブルの上に本が2冊あります)というような文があったことを思い出してください。books には付いていない定冠詞(the)が table に付いているのは,books は始めて話題にする物なので定冠詞を付けず,table は聞き手に見えているので定冠詞を付けるのです。エスペラントでは Sur la tablo kus^as du libroj. といいますが,du libroj は無冠詞で tablo に冠詞が付いている理由は英語の場合と同じです。

訳例
"Vi vidas la turon tie, c^u ne?", diris Masao al mi, fingromontrante turon.


課題文n-ro722 この木をてっぺんまで登ると,鳥の巣が見つかります。
解説
この木をてっぺんまで登ると: se vi grimpos sur c^i tiun arbon g^is la supro というのがよいでしょう。se vi grimpos sur la supron de c^i tiu arbo は厳格にいえば正しくない表現です。grimpi は「急な斜面や垂直の面を手足を使ってよじ登る」という意味ですから,grimpi する対象はある程度の長さのある傾斜面か垂直面でなければなりませんが,supro や pinto はこの条件に当てはまりません。grimpi sur c^i tiun arbon g^is la supro(てっぺんまでこの木を登る)というのは,よく分かる表現ですが,grimpi sur la supron de c^i tiu arbo(この木のてっぺんを登る)というのはおかしな表現ですね。ただし,このような誤用はヨーロッパでも通じるし,また聞くことがあるそうですから,今回は減点の対象にはしませんでした。
se を kiam に変えていうこともできます。se を使うと「あなたが実際登るかどうか知りませんが,もし登れば」という意味になりますし,kiam を使うと「今すぐではなく,いつか登れば」という意味になります。注意しなければならないのは,se と kiam がいつも交換可能なわけではない,ということです。例えば,Kiam printempo venas, la temperaturo levig^as.(春になると気温が上がります)という文の Kiam を Se に変えることはできません。春は必ずめぐってくるからです。

鳥の巣が見つかります: vi trovos neston de birdo のようにいえばよいでしょう。trovos は povos trovi としてもここではほとんど同じ意味です。trovig^os nesto de birdo ということもできますが,vi trovig^os neston de birdo は誤りです。trovig^os は 自動詞 trovig^i (見られる,ある)の未来形ですから,「巣」を目的語にするときは他動詞の trovi(見つける)を使って vi trovos neston といわなければなりません。

訳例
Se vi grimpos sur c^i tiun arbon g^is la supro, vi trovos neston de birdo.


課題文n-ro723 「水は方円の器に従う」という諺はどういう意味ですか。
解説
「水は方円の器に従う」という諺: 「という諺」は la proverbo "..."といいます。la proverbo de "..."のようにはいいません。「水は方円の器に従う」は Akvo sin formas lau^ la ujo, Akvo formig^as lau^ sia vazo などのようにいえばよいでしょう。日本ではよく知られた諺ですが,定訳はないようです。 「水」は無冠詞で使います。物質名詞には冠詞を付けません。ただし,特定の水,例えば「この井戸の水」というときは la akvo de c^i tiu puto のように冠詞を付けます。『日本語エスペラント辞典』の見出し語「方円」のところに,「水は方円の器に従う」の訳として La akvo formig^as c^iam lau^ la vazo が載っていますが,この La akvo は 誤りです。同じ辞書の見出し語「水」のところにもこの諺の訳が載っていますが,これは Akvo sin formas lau^ sia vazo となっていますから,La akvo を使ったのはうっかりミスでしょう。 「従う」に sekvi を使うのはよくありません。この「従う」(「随う」とも書きます)は「順応する」という意味ですが,sekvi にはそのような意味はありません。vazo, ujo には冠詞または sia をつけましょう。無冠詞の vazo, ujo は水が入っている器ではなく,どこかにある別の器を指すことになります。

どういう意味ですか: Kion signifas または Kian signifon havas といいます。C^u vi povas diri la signifon de ... のようにいうことはできません。

訳例には担当者の訳を挙げましたが,これが模範訳であるというのではなく,このようにもいえることを示すためです。

訳例
Kion signifas la proverbo "Akvo ricevas la formon de la ujo"?


課題文n-ro724 「時は金なり」という諺を知っているでしょ。
解説
「時は金なり」という諺を: la proverbon "Tempo estas mono" といいます。「時は金なり」はヨーロッパ諸国で広く使われている諺で,ザメンホフが編んだ Proverbaro Esperanta(エスペラント諺集) にも Temp' estas mono が載っています。Temp' の「’」は名詞語尾の -o を省略したことを示しています。名詞語尾 -oの省略は詩などではよく見られます。この諺では -o を省略しない Tempo estas mono も見られます。「金(かね)」を「きん」と読んで,oro を使った訳が3例ありましたが,この諺は日本語でも「時は金(かね)なり」としてよく知られています。ここでは特定の「時」を指しているのではないので,冠詞を付けた La tempo を使うのはよくありません。『日本語エスペラント辞典』の見出し語「時」のところに,*La tempo estas oro が載っていますが,これは誤りです。

知っているでしょ: 「知っている」には scias または konas を使っていうことができますが,scii と koni は意味が違うので注意しましょう。scias la proverbon は「その諺を正確に暗誦することができるし,その意味も知っている」ということを表わすのに対して,konas la proverbon は「その諺を何かで見たことはあるが,正確に暗誦することはできないし,意味もよく分からない」という程度であることを表わします。
「でしょ」は c^u ne? を文末に付けて表わします。

訳例
Vi scias la proverbon "Tempo estas mono", c^u ne?


課題文n-ro725 注意! この道にはクマが出没します。
解説
注意!: ここでは「危険を知らせる表示」ですから,Atenton! または Atentu! と書くのが普通です。Averto は「...するな」という「禁止の警告」ですから,ここでは不適当です。

参考:
Averto! Trapasado malpermesata.(警告! 通り抜け禁止)

この道にはクマが出没します: ursoj aperas sur c^i tiu vojo といいます。en を使うのはよくありません。「この道沿いには」という意味で lau^ も使えます。ofte(しばしば) や de tempo al tempo(ときどき)を付けていうこともできますが,こういう掲示は簡潔であることが求められるので,これらの副詞,副詞句は付けなくてもよいでしょう。クマの出没は車にとっても事故の原因になることがありますが,ドライバーに注意をうながす掲示であれば,一瞬で読み取れる Atentu ursojn!(クマに注意!)のように書かれるでしょう。一般に「クマ」を指すときは複数形の ursoj を使っていいます。
aperas の代わりに venas も使えますが,その場合は venas sur c^i tiun vojon となることに注意してください。veni は移動を表す動詞なので,その目的地は対格(-n)で表わします。aperi は移動を表す動詞ではないので,*aperi sur c^i tiun vojon は誤りです。

訳例
Atenton! Sur c^i tiu vojo aperas ursoj.


課題文n-ro726 あなたは犬と猫とでは,どちらのほうが好きですか。
解説
あなたは犬と猫とでは,どちらのほうが好きですか: Kiujn vi pli amas, hundojn au^ katojn? または Kiujn vi preferas, hundojn au^ katojn? のようにいえばよいでしょう。amas の代わりに s^atas を使う人もいます。s^ati は「高く評価する」というのが本義ですが,民族語の影響で「人や動物などを愛する」というときは ami を使い,「物や行為を愛する」というときは s^ati を使うという人たちの影響が広まり,今では C^i tiu kafo plac^as al mi(わたしはこのコーヒーが気に入っている)という意味で Mi s^atas c^i tiun kafon という人が増えています。s^ati の本来の意味「高く評価する」を表わすときは apreci または aprezi が使われます。
「どちらのほうが好きですか」というとき,preferi には pli の意味が含まれているので pli は付けませんが,ami や s^ati を使っていうときは Kiujn vi amas や Kiujn vi s^atas ではなく,Kiujn vi pli amas, Kiujn vi pli s^atas のように pli を付けましょう。

前回の解説の中で,「一般にクマを指すときは複数形の ursoj を使っていいます」と書きましたが,今回の「犬と猫」についても同じことがいえるので,hundojn au^ katojn を使うのがよいでしょう。ただし,単数形でも意味は理解できるので,今回の採点では減点の対象にはしてありません。*Kiun vi preferas, hundojn au^ katojn? や *Kiun vi amas, hundojn au^ katojn? の Kiun は Kiujn としなければなりません。Kion を使うのは誤りです。選択の対象が限定されているときは, kiu を使って尋ねます。hundojn au^ katojn の前にあるコンマは省略できないことに注意してください。(Mi diris, ke ... などのコンマが省略されているのはよく見かけます。)

訳例
Kiujn vi pli amas, hundojn au^ katojn?


課題文n-ro727 プーチン(Putin)大統領が大の犬好きであることは,日本でも知られています。
解説
プーチン大統領が大の犬好きであること: ke Prezidanto Putin tre amas hundojn のようにいえばよいでしょう。Prezidanto は Prezidento の形でも使われます。肩書きとして使われる prezidanto, prezidento は無冠詞で使うのが普通です。「ザメンホフ博士」が *la doktoro Zamenhof と書かれることはありません。Doktoro Zamenhof も doktoro Zamenhof もあるようにに,Prezidanto Putin も prezidanto Putin のどちらも使われています。prezidanto が普通名詞として使われるときは la prezidanto de Usono(アメリカ大統領)のように冠詞を付けます。 この冠詞は「現在の」ということを示しているので,もしこれを無冠詞にすると,アメリカの歴代大統領のうちの一人を指すことになります。ただし,呼びかけは無冠詞の prezidantoですから,オバマ大統領とブッシュ前大統領がいるところで Prezidanto! と声をかければ二人とも振り向くでしょう。
「大の犬好きである」は tre amas hundojn または tre s^atas hundojn などのようにいえますし,estas granda amanto de hundoj という言い方もできます。

日本でも知られています: estas konate ankau^ en Japanio, ankau^ en Japanio estas konate または oni konas ankau^ en Japanio などのようにいいます。ke の前に使うときは konata ではなく konate となることに注意してください。
この ankau^ を入れてない訳が数例ありましたが,日本語の意味を正しく伝えるには ankau^ を入れましょう。oni konas ke とするのは誤りです。koni はこのような形で使うことはできません。estas sciate, ke ということはできますが,estas sciite は誤りです。

訳例
Ankau^ en Japanio estas konate, ke Prezidento Putin tre amas hundojn.


課題文n-ro728 あなたはオバマ(Obama)氏が何代目のアメリカ大統領か知っていますか。
解説
知っていますか: C^u vi scias といいます。「...ということを」と続く場合には C^u vi scias, ke ...といいますが,ki-vortoj(kia, kio, kie, kiel, kiam, kiom など ki-で始まる疑問詞)が後に来る場合には ke を入れないので,ここでは C^u vi scias, kioma ... と続けます。

オバマ氏は何代目のアメリカ大統領か: kioma prezidanto de Usono estas s-ro Obama といいます。「大統領」には prezidento という語も使われます。estas s-ro Obama は s-ro Obama estas という語順でもよいのですが,文中よりも文末のほうが目立つので,ここでは estas s-ro Obama というほうがよいでしょう。
「何代目の」をどう表現するかに戸惑った方がおられたようですが,これは上に挙げた訳例のように kioma を使っていいます。

訳例
C^u vi scias, kioma prezidanto de Usono estas s-ro Obama?


課題文n-ro729 あなたはそのアパートの何階に住んでいるのですか。
解説
そのアパートの何階に: En kioma etag^o de la domo というのがよいでしょう。apartamento を使った訳がありましたが,この語は「居間,台所,寝室,浴室などで構成されるアパートの一戸分」を指す語です。apartamentaro は複数の apartamento からなる建物(日本語の「アパート」に当たる)を指すために日本で作られた造語で,国際的には使われていません。この語を載せている辞書は『日本語エスペラント辞典』と『エスペラント日本語辞典』だけです。『エスペラント小事典』(大学書林)には採録されていませんし,Plena Ilustrita Vortaro や Reta Vortaro にも載っていません。日本語の「アパート」に当たるエスペラントは domo です。下に引用するのはローマを紹介する文から取った文です。

参考:
En la centro de la urbo Romo staras plur-etag^aj domoj, kaj en ili log^as po 30 familioj.(ローマの中心部には複数階建てのアパートが建っていて,それぞれのアパートには30家族が住んでいます。)

かなり前のことになりますが,La Revuo Orienta に外国人を案内していたときその外国人がアパートを指して domo といったので,ほかの言い方はないのかと尋ねたところ,これは domo だからほかにいい様がないという返事だった,という話が載っていました。

住んでいるのですか: log^as を使っていいます。

訳例
En kioma etag^o de la domo vi log^as?


課題文n-ro730 わたしは学生だったころ,大学の近くにあるアパートに住んでいました。
解説
わたしは学生だったころ: kiam mi estis studento といいます。

大学の近くにあるアパートに住んでいました: mi log^is en domo proksima al la universitato といえばよいでしょう。この mi を付けていない訳が4例ありました。日本語では「わたしは」という語は入っていませんが,これは主節といって,この課題文のいちばん主要な節ですから,エスペラントでは主語の mi を省略することはできません。「節」というのは「文の中にある文(主語+動詞)」で,課題文の kiam mi estis studento は副詞節といいます。副詞節の主語は誤解を生じない場合には省略することができますが,上に述べたように主節の主語は省略できません。主節と副詞節はコンマで区切りましょう。

参考:
Kvankam Masao estas tre juna, li bone plenumas sian taskon. = Kvankam tre juna, Masao bone plenumas sian taskon.(マサオはとても若いのに仕事はよくできる。)

「大学」は kolegio を使っていうことができる場合があります。universitato と kolegio の違いについては辞書でお調べください。

domo に冠詞を付けるのは,ここではよくりません。「大学の近くにあるアパート」というのは何軒もあって特定されていないからです。universitato には mia または冠詞を付けます。無冠詞の universitato は「わたし」と無関係の大学を指しますが,ここでは文脈から「わたし」が通っていた大学を指していることが明らかなので,冠詞を付けることによって「わたしが通っていた大学」であることを示します。「わたしが通っていた大学」であることを明示する場合には mia を付けます。

訳例
Kiam mi estis studento, mi log^is en domo proksima al mia universitato.