栗本尊子

愛と祈り


 私が数年前に初めて手にした、80歳を越してからも活躍していた声楽家、柳兼子の歌を聴いた時には、 その枯れた人生の重みというのを感じましたが、今回紹介する栗本尊子は、現在86歳にもかかわらず、 まさに現役も真っ青といった、今再び旬の声楽家と言っても過言ではない、とても素晴らしい歌を聴かせてくれています。 その彼女が86歳にして初めて出したアルバム、<愛と祈り>を今回紹介したいと思います。

 栗本尊子、彼女を知らない人のために、ここで少し彼女を紹介してみましょう。

 現在の東京芸術大学(当時は東京音楽学校)を卒業後、1946年にプッチーニのオペラ<蝶々夫人> のスズキ役でデビューした彼女は、その後、モーツァルトを始めとしてバロックから現代音楽、そして、 日本のオペラにおいて、主要な役を演じ歌ってきたという、 それも殆どが日本における初演だったという輝かしい経歴を持っています。 NHK交響楽団のベートーヴェンの<第九>のソリスト(この時はアルト)や、日本歌曲をプログラムとしたリサイタルなどで活躍し、 洗足学園大学で後進の指導にもあたっていました。その彼女が一瞬にして再び脚光を浴びたのは、 1998年の8月にカザルスホールで行われた<20世紀を代表する日本の声楽家達のガラコンサート>でした。この時彼女は、 中田喜直の曲を2曲歌いましたが、当時、70歳代後半とは思えない歌声に信じられないといった声があちらこちらで聞こえたのです。 さらに2002年、東京の紀尾井ホールで行われた<グレート・マスターズ〜日本音楽界をささえつづけるアーチストたち〜> という公演で彼女は、山田耕作(作の本来は竹冠が付いています)が作曲または編曲をした3曲を歌ったのですが、 その圧倒的な声と表現の素晴らしさに私たちは驚きを超えたものを感じざるをえませんでした。更にそれから4年の月日が流れ、 ここに、彼女初めてのアルバム<愛と祈り>が発売され、皆さんにも是非、彼女の歌を聴いてもらいたいと思って、 今回紹介する事にしたのです。このアルバムは、<歌いつがれる日本のうた>という副題が付いているように、 山田耕作と中田喜直の作曲、または編曲した日本歌曲で構成されています。

 それでは、紹介していきましょう。

 先にあげた2002年の<グレート・マスターズ>でも歌っていた#1。もうこれが80歳代半ばの声だと誰が思うでしょう。 最初から彼女の世界に引き込まれてしまいますね。寺山修司が作詞し、中田喜直が作曲した#2は、 私が中学校の時に合唱で歌った想い出の曲。寺山が天才だった事が良く分かる、とても素敵な詩です。 中田の曲も詩のイメージに良く合っていてまさに名曲です。桜には不思議な魅力がありますが、 桜を主題にしたこの#3にも不思議な魅力があります。満開の桜があなたにも見えて来るのではないでしょうか? このアルバムのタイトルになっている#4。この曲は山田耕作が戦後初めて書いた歌曲ですが、 この詩に作曲意欲をそそられたのが分かるくらいに素敵な詩です。みなさん誰でもが知っている#5。 先にあげた1998年のカザルスホールでのコンサートで歌って好評を博した#6。人生の深みが伝わっていく名曲ですね。 今、作詞や作曲をする人達に是非見習ってほしい曲です。平和を望む作者の気持ちが痛いほど分かる#7。 爽やかな風が通り過ぎるような#8。元々は筝曲だった#9。外国の声楽家が来日した時にもしばしば歌われる日本を代表する曲ですね。 山田の編曲した有名曲#10と#11。情熱溢れる歌唱に感動する#12。北原白秋と山田のコンビで作られた歌曲は沢山ありますが、 その中でも特に素晴らしい#13と#14。アルバムの最後にボーナストラックとして入っている#15は、昨年(2005年10月) に紀尾井ホールで行ったリサイタルからのライヴ。野上彰作詞、小林秀雄作曲のこの曲は、内に潜んでいる深い想いを感じる事が出来ます。 ライヴでこの声です。本当に感激ですね。 最後にこのアルバムを通してピアノの伴奏をしている塚だ佳男さんにも拍手を送りたいと思います。

 如何でしたか?もう皆さん、驚いて口を開けたままの状態ではないでしょうか。本当に素晴らしい、 素敵なアルバムでした。アルバムの番号は、CMCD-28110 でカメラータ・トウキョウから出ています。 クラシックのコーナーに行ってみてください。
 なお、彼女は、9月25日(月曜日)に東京四谷にある紀尾井ホールにてリサイタルを行う予定です。 私は残念ながら行けないのですが、お時間のある方はどうぞ足をお運び下さいね。

2006.9.16