DEE DEE BRIDGEWATER

ELEANORA FAGAN TO BILLIE WITH LOVE FROM DEE DEE BRIDGEWATER



 ビリー・ホリデイ。ジャズがお好きな方だったら誰でもがその名前を聞いたことがあるはずです。 多くのジャズ歌手や演奏家が彼女に捧げてアルバムを作っていますが、今現在、 彼女の後継者と誰もが認めているディー・ディー・ブリッジウォーターがついに彼女を取り上げてアルバムを発表しました。 今回紹介するアルバム、<エリノラ・フェイガン・トゥ・ビリー・ウィズ・ラヴ・フロム・ディー・ディー>です。

 ディー・ディー・ブリッジウォーターを知らない方のために、ここで少し彼女を紹介してみましょう。

 1950年アメリカはテネシー州メンフィスで生まれた彼女は、 ジャズ・トランペッターで高校教師だった父親の影響もあり早くからジャズに興味を持っていました。 大学時代にはジャズバンドに入って当時のソビエト連邦にも演奏旅行に出向いています。 1970年、ジャズ・トランペッターであるセシル・ブリッジウォーターと結婚('75に離婚)し、 サド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラにヴォーカリストとして入ってそのキャリアをスタートします。 74年にサド=メルオーケストラの来日公演の際、日本のトリオ・レコードにアルバム<アフロ・ブルー> を吹き込みジャズ・ヴォーカリストとしてレコード・デビューします。同年、 サド=メル・オーケストラを退団した彼女は、ジャズに限らず広い範囲の音楽と向き合っていきます。 翌75年に出演したミュージカル<ザ・ウィズ>で助演女優賞を獲得、 76年にはそのアルバムのオリジナル・キャストとしてグラミー賞も獲得していきます。 フュージョン真っ盛りだった当時、彼女もソウルやブルースよりの歌を歌いアルバムを出していきます。 彼女のステージを絶賛したフランスに移住したのは1986年。その翌年に、 オフ・ブロードウェイで上演されていたミュージカル<レディー・デイ>をパリで、88年にはロンドンで上演し、 イギリスではローレンス・オリビエ賞にノミネートまでされました。 このミュージカルは日本でもちあきなおみ伝説のステージとして有名です。フランス中心に活動していた期間、 原点であるジャズに戻り、以降彼女独特の世界を表現してきました。アメリカに活動の拠点を戻すと98年には ジャズ・ヴォーカリストとしてグラミー賞を受賞。 発売するアルバムのクオリティーの高さと素晴らしいステージで聴き手を魅了してきた彼女は今までにアルバム15枚を発表。 今回のアルバムが16枚目となるのです。昨年(2009年)来日し、 ブルー・ノート東京で行なったライヴでもこのアルバムを中心にした曲を披露して話題になりました。

 それでは紹介していきましょう。

 彼女のルーツを垣間見る#1。ジェームス・カーターのサックスも暴れまくります。超絶技巧のスキャットで始まる#2。 彼女の実力を遺憾なく発揮した一曲でした。落ち着いたトーンの#3。ビリー・ホリデイのお気に入り曲でした。 ビリー・ホリデイがストリングス入りで吹き込んで当時「驚く演出」とダウンビート誌で評されたのと同じく、 この#4の編曲も「あっぱれな演出」と言えるかもしれません。失恋の歌#5。彼氏に語りかけるように歌う ディー・ディー。詞をじっくり聴かせてくれますね。スウィング感溢れる#6。 男の浮気が分かった時の抑えた感情をしみじみ歌う#7。あなたはこんな時感情を抑える事ができますか? フルートの音色がどこか哀しそうですね。粘りっこい歌唱の#8。クリスチャン・マクブライトのベースが光る#9。 ビリー・ホリデイが母親との口喧嘩から出来た曲#10。お金にまつわる話は数多くありますが、 要は「金の切れ目は縁の切れ目」ってな事でしょうね。ヴァースから歌う#11。 ヴァースの内容とコーラスに入ってからの内容の違いを見事に歌に反映させて歌っています。 アルバム最後の#12はビリー・ホリデイ最大のヒット作品。悲惨な光景が眼に浮かびます。 この曲を最後に持ってきたディー・ディーの心情が痛いほど分かりますね。演奏陣も フリー・ジャズっぽくその心情を後押ししています。

 如何でしたか?ビリー・ホリデイのトリビュート・アルバムは色々な人が作っていますが、 このディー・ディーのアルバムは中でも個性と主張と言う面ではずば抜けていると思います。アルバムの番号は、 0602527241555(輸入盤)でDDBレコードから出ています。ジャズ・ヴォーカルのコーナーに行ってみてください。 なお、ライヴの模様を収めたDVDの付いている盤も発売されています。

2010.3.13